ちぎ そで契りきな かたみに袖を しぼりつつ
すゑ まつやま なみこ末の松山 波越さじとは
(清原元輔 きよはらのもとすけ)
『 読み方 』
チギリキナ カタミニソデオ シボリツツ
スエノマツヤマ ナミコサジトワ
『 現代語訳 』
「かたく約束しましたね、お互いに涙に濡れた袖を幾度もしぼっては、あの末の松山を浪(なみ)が越えることはないように(末永く心変わりしないように)しようと。」
※契りきな・・・「契る」は約束する。「き」は過去の助動詞。「な」は感動をあらわす終助詞。
※互(かたみ)に・・・互いに。かわるがわる。
※袖をしぼりつつ・・・「袖をしぼる」は、涙に濡れた袖をしぼること。「つつ」は反復をあらわす接続助詞。「何度も~しては」などと訳す。
※末の松山・・・宮城県多賀城市(たがじょうし)にある
歌枕(うたまくら)。
※浪越さじ・・・波が越すようなことはしないでおこう。「じ」は打消意志の助動詞。
元輔が人に頼まれて代作して歌。
心変わりをした女におくる歌を作ってくれ、というのが依頼の内容でした。
まず、倒置があります。
本来の文脈は、
かたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとはちぎりきなこれを、
「契りきな!」
と
倒置することで、読者にインパクトを与えます。
「何を約束したんだ!」と興味を引くわけですね。
むずかしいのは、「末の松山」です。
これは「古今集」にある、別の歌をふまえた表現。
君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪も越えなむ「あなたをさしおいて、浮気心を私がもったなら、あの末の松山を浪が越えてしまうでしょう。」
「末の松山」というのは、宮城県多賀城市に遺跡がありますが、実際はどこのことだかはっきりとは分かっていません。
海辺にありながら、絶対に波をかぶらないということで有名でした。
そこから
、「末の松山」を「浪が越す」といえば、「絶対にありえない」ということの比喩表現になりました。
『 作者について 』
清原元輔(908~990)
清原深養父の孫。
清少納言の父。
官位は低かったが、歌人として活躍。
天暦5/951年和歌所の寄人(よりうど)となり、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)らとともに、『万葉集』の訓読と『後撰和歌集』の編集にあたった。
三十六歌仙の1人。
家集に『元輔集』がある。
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