百人一首 31♪
2012-12-18(Tue)
あさ ありあけ つき み
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
よしの さと ふ しらゆき
吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則 さかのうえのこれのり)
『 読み方 』
アサボラケ アリアケノツキト ミルマデニ
ヨシノノサトニ フレルシラユキ
『 現代語訳 』
「ほのぼのと夜が明ける頃、有明の月の光りがさしているのかと思うほどに、しらじらとこの吉野の里に白雪が降り積もっていることだよ。」
※朝ぼらけ・・・夜がほのぼのと明ける頃。
※有明の月と見るまでに・・・「有明の月がさしているのかと見まがうほどに」。「まで」は程度をあらわす助詞。
※吉野の里・・・奈良県吉野郡吉野町一帯の地名。春は桜、冬は雪の名所として知られた。
※降れる・・・「る」は存続の助動詞「り」の連体形。「降っている」
延喜(えんぎ)8年:908年。
作者、坂上是則は、役人として大和(やまと)に下りました。
この歌は、その時に作ったものかもしれません。
吉野は山深いところ。
朝起きてみると、うっすら光りがさしています。
あれは有明の月・・・?
そう思って見ると、外は一面の雪でした。
有明の月かと見たものは、実は雪明りだったというわけですね。
この歌の雪。
深雪(しんせつ)だったという説と、薄雪(うすゆき)だったという説があります。
どちらだったのでしょうね?
『 作者について 』
坂上是則(生没年未詳)
9世紀末から10世紀初めにかけての人。
坂上田村麻呂の子孫。
好蔭の子。
官位は低かったが、古今集選者時代の代表的歌人として知られた。
蹴鞠(けまり)の名手であったという。
三十六歌仙の1人。
家集に『是即集』がある。
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
よしの さと ふ しらゆき
吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則 さかのうえのこれのり)
『 読み方 』
アサボラケ アリアケノツキト ミルマデニ
ヨシノノサトニ フレルシラユキ
『 現代語訳 』
「ほのぼのと夜が明ける頃、有明の月の光りがさしているのかと思うほどに、しらじらとこの吉野の里に白雪が降り積もっていることだよ。」
※朝ぼらけ・・・夜がほのぼのと明ける頃。
※有明の月と見るまでに・・・「有明の月がさしているのかと見まがうほどに」。「まで」は程度をあらわす助詞。
※吉野の里・・・奈良県吉野郡吉野町一帯の地名。春は桜、冬は雪の名所として知られた。
※降れる・・・「る」は存続の助動詞「り」の連体形。「降っている」
延喜(えんぎ)8年:908年。
作者、坂上是則は、役人として大和(やまと)に下りました。
この歌は、その時に作ったものかもしれません。
吉野は山深いところ。
朝起きてみると、うっすら光りがさしています。
あれは有明の月・・・?
そう思って見ると、外は一面の雪でした。
有明の月かと見たものは、実は雪明りだったというわけですね。
この歌の雪。
深雪(しんせつ)だったという説と、薄雪(うすゆき)だったという説があります。
どちらだったのでしょうね?
『 作者について 』
坂上是則(生没年未詳)
9世紀末から10世紀初めにかけての人。
坂上田村麻呂の子孫。
好蔭の子。
官位は低かったが、古今集選者時代の代表的歌人として知られた。
蹴鞠(けまり)の名手であったという。
三十六歌仙の1人。
家集に『是即集』がある。
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