百人一首 20♪
2012-11-28(Wed)
いま おな なには
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
あ おも
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ (元良親王 もとよししんのう)
『 読み方 』
ワビヌレバ イマハタオナジ ナニワナル
ミオツクシテモ アワントゾオモー
『 現代語訳 』
「こんなに悩み苦しんでいるのだから、今となってはもう同じこと。難波にある澪標(みおつくし)ではないが身を滅ぼしあなたに逢おうと思います。」
※わびぬれば・・・「わぶ」は「悩み苦しむ」。「ぬれ」は完了の助動詞。
※はた・・・「また」と同じだが語勢が強い。
※難波なる・・・難波にある。「なる」は存在の助動詞。
※みをつくし・・・「身を尽くし」と「澪標」との掛詞。「身を尽くす」は「身を破滅させる」。
「澪標」は、「船の通り道を示すために立てられた杭(くい)」。難波の海は浅いので、船が浅瀬に乗り上げないように、水の深いところに立てられた。
元良親王の不倫の恋が発覚してしまった時の歌で、恋のお相手は宇多天皇の女御(にょうご)だった京極の御息所(きょうごくのみやすんどころ)。
※天皇のお后が大勢いるうち、1番上が「中宮(ちゅうぐう)」、2番目が「女御(にょうご)」、3番目が「更衣(こうい)」といいます。
この歌の骨組みは
わびぬれば 今はた同じ 身を尽くしても 逢はむとぞ思ふ
というところにあります。
「不倫の恋が発覚して、こんなに悩み苦しんだからには、今はもうどうなっても同じこと。身を破滅させてでも、あなたに逢いたいと思います」。
この骨組みに、「難波なる澪標」をプラスします。
一般にこの部分は、あとで「身を尽くし」という言葉を引き出す為にだけ使われた表現だ、と考える人が多いようです。そう割り切って考えると、この部分は無視していいということになりますね。
また、「難波なる澪標」には、作者の心が投影されている。
そう考える人もいます。
難波の海に立ち並ぶ、船の航路を示す為の澪標。
この情景は、「澪標を目印にあなたのところに行くしかない」という作者の決意をあらわすものなのだ、とか。
いやいや、これは逆に「澪標を頼りに行っても、自分の恋は目的地に辿り付けるかどうか分からない」という不安のあらわれなのだ、とか。
いろいろな考え方があるようです。
『 作者について 』
元良親王(890~943)
陽成天皇の第一皇子。
母は藤原遠長の娘。
色好みとして知られ、和歌をよくした。
後人の編集といわれる『元良親王集』には、多くの女性との贈答歌が見られる。
朗々とした美声であったと、吉田兼好の『徒然草』が伝えている。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
あ おも
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ (元良親王 もとよししんのう)
『 読み方 』
ワビヌレバ イマハタオナジ ナニワナル
ミオツクシテモ アワントゾオモー
『 現代語訳 』
「こんなに悩み苦しんでいるのだから、今となってはもう同じこと。難波にある澪標(みおつくし)ではないが身を滅ぼしあなたに逢おうと思います。」
※わびぬれば・・・「わぶ」は「悩み苦しむ」。「ぬれ」は完了の助動詞。
※はた・・・「また」と同じだが語勢が強い。
※難波なる・・・難波にある。「なる」は存在の助動詞。
※みをつくし・・・「身を尽くし」と「澪標」との掛詞。「身を尽くす」は「身を破滅させる」。
「澪標」は、「船の通り道を示すために立てられた杭(くい)」。難波の海は浅いので、船が浅瀬に乗り上げないように、水の深いところに立てられた。
元良親王の不倫の恋が発覚してしまった時の歌で、恋のお相手は宇多天皇の女御(にょうご)だった京極の御息所(きょうごくのみやすんどころ)。
※天皇のお后が大勢いるうち、1番上が「中宮(ちゅうぐう)」、2番目が「女御(にょうご)」、3番目が「更衣(こうい)」といいます。
この歌の骨組みは
わびぬれば 今はた同じ 身を尽くしても 逢はむとぞ思ふ
というところにあります。
「不倫の恋が発覚して、こんなに悩み苦しんだからには、今はもうどうなっても同じこと。身を破滅させてでも、あなたに逢いたいと思います」。
この骨組みに、「難波なる澪標」をプラスします。
一般にこの部分は、あとで「身を尽くし」という言葉を引き出す為にだけ使われた表現だ、と考える人が多いようです。そう割り切って考えると、この部分は無視していいということになりますね。
また、「難波なる澪標」には、作者の心が投影されている。
そう考える人もいます。
難波の海に立ち並ぶ、船の航路を示す為の澪標。
この情景は、「澪標を目印にあなたのところに行くしかない」という作者の決意をあらわすものなのだ、とか。
いやいや、これは逆に「澪標を頼りに行っても、自分の恋は目的地に辿り付けるかどうか分からない」という不安のあらわれなのだ、とか。
いろいろな考え方があるようです。
『 作者について 』
元良親王(890~943)
陽成天皇の第一皇子。
母は藤原遠長の娘。
色好みとして知られ、和歌をよくした。
後人の編集といわれる『元良親王集』には、多くの女性との贈答歌が見られる。
朗々とした美声であったと、吉田兼好の『徒然草』が伝えている。
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