百人一首 14♪
2012-11-16(Fri)
みちのく たれ
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだ
乱れそめにし われならなくに (河原左大臣 かわらのさだいじん)
『 読み方 』
ミチノクノ シノブモジズリ タレユエニ
ミダレソメニシ ワレナラナクニ
『 現代語訳 』
「陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れているが、だれのせいで乱れてしまったのか。私のせいではないのに。みんなあなたのせいなのに。」
※陸奥・・・「みちのおく(=道の果て)」がつまってできた語。東北地方の東半分にあたる。
※しのぶもぢずり・・・草の汁をすりつけて染めた、乱れ模様の布。「しのぶ」というのは、染料になる草が忍草(しのぶぐさ)だからという説、また、産地が福島県信夫郡(ふくしまけん しのぶぐん)だからという説もある。
※陸奥のしのぶもぢずり・・・「乱れ」にかかる序詞(じょことば)。「誰ゆゑに」をとびこえて、比喩的に「乱れ」を導き出している。
※ならなくに(なら-な-く-に)・・・~ではないのに。
断定の助動詞「なり」の未然形+打消の助動詞「ず」の古い未然形「な」+体言化する接尾語「く」+助詞「に」
この歌は、複雑な歌です。
文脈としては、「陸奥のしのぶもぢずり」というのを暫く除外して
われならなくに 誰ゆゑに 乱れそめにし
と読んでみましょう。
「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、こんなに私の心が乱れ
始めてしまったのか(それはあなたのせいなのだ!)」。
次に、「乱れ」の部分に、「陸奥のもぢずり」というアクセサリーを
のっけてみましょう。
われならなくに 誰ゆゑに (か)(陸奥のしのぶもぢずり)乱れそめにし
「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、(「陸奥のしのぶもぢずり」
の乱れ模様のように)私の心は乱れ始めてしまったのか(それはあなたの
せいなのだ!)」。
こうして順序をバラバラにしてみると、言っていることは案外単純のようです。
あとは状況です。
この歌の「しのぶ」には、「忍ぶ恋」を感じさせるものがあります。
好きになってはいけない人を好きになる。
それが「忍ぶ恋」。
作者はそれがつらくて、どうしていいか分からなくなり、忍ぶ恋の相手にやつ
あたりしているようにも見受けられます。
『 作者について 』
河原左大臣(822~895)
嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)のこと。
源の姓をたまわって臣籍にくだり、左大臣にのぼった。
鴨川のほとり東六条に豪奢(ごうしゃ)な邸宅「河原院(かわらのいん)」を営んだところから、「河原左大臣」と呼ばれる。
また宇治にも別荘を持ち、これはのちに平等院となった。
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだ
乱れそめにし われならなくに (河原左大臣 かわらのさだいじん)
『 読み方 』
ミチノクノ シノブモジズリ タレユエニ
ミダレソメニシ ワレナラナクニ
『 現代語訳 』
「陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れているが、だれのせいで乱れてしまったのか。私のせいではないのに。みんなあなたのせいなのに。」
※陸奥・・・「みちのおく(=道の果て)」がつまってできた語。東北地方の東半分にあたる。
※しのぶもぢずり・・・草の汁をすりつけて染めた、乱れ模様の布。「しのぶ」というのは、染料になる草が忍草(しのぶぐさ)だからという説、また、産地が福島県信夫郡(ふくしまけん しのぶぐん)だからという説もある。
※陸奥のしのぶもぢずり・・・「乱れ」にかかる序詞(じょことば)。「誰ゆゑに」をとびこえて、比喩的に「乱れ」を導き出している。
※ならなくに(なら-な-く-に)・・・~ではないのに。
断定の助動詞「なり」の未然形+打消の助動詞「ず」の古い未然形「な」+体言化する接尾語「く」+助詞「に」
この歌は、複雑な歌です。
文脈としては、「陸奥のしのぶもぢずり」というのを暫く除外して
われならなくに 誰ゆゑに 乱れそめにし
と読んでみましょう。
「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、こんなに私の心が乱れ
始めてしまったのか(それはあなたのせいなのだ!)」。
次に、「乱れ」の部分に、「陸奥のもぢずり」というアクセサリーを
のっけてみましょう。
われならなくに 誰ゆゑに (か)(陸奥のしのぶもぢずり)乱れそめにし
「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、(「陸奥のしのぶもぢずり」
の乱れ模様のように)私の心は乱れ始めてしまったのか(それはあなたの
せいなのだ!)」。
こうして順序をバラバラにしてみると、言っていることは案外単純のようです。
あとは状況です。
この歌の「しのぶ」には、「忍ぶ恋」を感じさせるものがあります。
好きになってはいけない人を好きになる。
それが「忍ぶ恋」。
作者はそれがつらくて、どうしていいか分からなくなり、忍ぶ恋の相手にやつ
あたりしているようにも見受けられます。
『 作者について 』
河原左大臣(822~895)
嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)のこと。
源の姓をたまわって臣籍にくだり、左大臣にのぼった。
鴨川のほとり東六条に豪奢(ごうしゃ)な邸宅「河原院(かわらのいん)」を営んだところから、「河原左大臣」と呼ばれる。
また宇治にも別荘を持ち、これはのちに平等院となった。
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