2017/09
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百人一首 11♪
    はら やそしま      こ  い
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
ひと  つ     あま つりぶね
人には告げよ 海人の釣舟  (参議篁 さんぎたかむら / 小野篁 おののたかむら)



『 読み方 』
ワタノハラ ヤソシマカケテ コギイデヌト
ヒトニワツゲヨ アマノツリブネ

『 現代語訳 』
     おき            おおうなばら
「(遠い隠岐に流される私は)大海原に点在する多くの島々をめざして
こぎ出して行ったと、都にいる人に告げておくれ。漁師の釣舟よ。」

※わたの原・・・大海原。「わた」は海の古語。
※八十島・・・多くの島々。「八十」は「数多くの」という意味。
※かけて・・・めざして
※漕ぎ出でぬ・・・「ぬ」は完了の助動詞で、「~た・~てしまった」などと訳す。
※人・・・家族・友人など、作者を知る都の人をさす。
※海人・・・漁師。

小野篁は、遣唐副使として唐の国におもむくことになりました。
ところが出発にあたり、遣唐大使・藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)の船に故障が見つかります。
大使の常嗣は、篁の船と交換することを朝廷に願い出ました。
それが許可されたとき篁は朝廷に抗議しましたが、聞き入られませんでした。
怒った篁は仮病を使い乗船を拒否。
その勢いで遣唐使を風刺する漢詩まで作ってしまった彼は、嵯峨上皇の怒りを買い、隠岐に流されることになります。
死刑が廃止されていた当時、島流しは極刑でした。
その時に詠んだ歌になります。

隠岐に向かうルートは、大阪湾から瀬戸内海を経て、日本海に向かいます。
季節は冬でした。
流罪なので、見送ってくれる人もいません。
行く手の海原には、瀬戸内の島々が点々と映るばかりです。
そして、猟師の釣舟・・・。
失意の篁は、たったひとりで、その釣舟に語りかけます。
「のう、釣舟。篁はあれをめざして去ったと、そちから告げよ。都の者どもにな。」と。

ちなみに、篁は飛鳥時代の遣隋使である小野妹子(おののいもこ)の子孫にあたります。
中学生の頃、「妹子なのに、男の人なんだ~。」と驚いたことがありましたっけ。(^^)



『 作者について 』

参議篁=小野篁(802~852年)

平安初期の学者・漢詩人・歌人。
当代屈指の漢詩人、小野岑守(おののみねもり)の長男。
隠岐から召還されてのちは、蔵人頭(くろうどのとう)・参議(さんぎ)・従三位(じゅさんみ)にのぼった。
直情径行の人物で、逸話が多い。
小野道風は篁の甥、小野小町もその一族だったと考えられる。

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