百人一首 8♪
2012-11-09(Fri)
いほ みやこ
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
よ やま ひと
世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師 きせんほうし)
『 読み方 』
ワガイオワ ミヤコノタツミ シカゾスム
ヨオウジヤマト ヒトハユーナリ
『 現代語訳 』
「私の庵(いおり)は都の東南にあって、このとおり心のどかに住んでいる。
それなのに、世間の人々はここを、世を憂(う)しとして住む宇治山(うじやま)だ、といっているそうだよ。」
※たつみ(辰巳・巽)・・・東南のこと。宇治は都の東南にあたる。
※しか・・・副詞。漢字で「然」と書く。ふつう「そのように」と訳すが、ここは「このように」と訳すほうがわかりやすい。「鹿」との掛詞(かけことば)だという説もある。
※うぢ山・・・「う」は「憂(し)」と「宇(治)」との掛詞。「宇治山」は宇治市の東部にあり、いま喜撰山(きせんやま)といっている。
※いふなり・・・「なり」は伝聞の助動詞。「~そうだ」と訳す。
明るい歌で、なんだか滑稽味もあります。
クマコが参考にしている本では、分かりやすい解釈が書いてありました。
上の『現代語訳』よりも、こちらの方がイメージし易い気がしますので抜粋します。
「おれはこの宇治山で明るく元気に暮らしているというのに、あんたたちは何かい?
宇治だから「憂鬱」だろうっていうのかい?
へん!なんとでもいいやがれってんだー!」
江戸っ子並みに、元気ですね。@@
「歌舞伎に「喜撰」という踊りがあります。
お坊さん姿の喜撰法師が、年増のお梶(かじ)という女を相手にチャップリンのような様子で踊ります。
おそらくこの歌の明るさが、そういうとぼけた喜撰法師のイメージを作り上げたのでしょう。
親しみやすい喜撰法師ですが、六歌仙の1人というもう1つの顔も持ち合わせています。
この歌は、クマコが大好きなダジャレのオンパレード♪
「然(しか)」と「鹿(しか)」
「憂(う)し」と「宇治(うじ)」
「住む」と「澄む」
喜撰さん、サイコー!クマコをあきさせん。v(^^)
喜撰といえば「わが庵は」、「わが庵は」といえば宇治。
宇治は茶の産地。
だから、喜撰は茶の銘柄にもなりました。
上等の「喜撰」を「上喜撰」といったりします。
幕末にペリーによる浦賀への黒船来航のときの狂歌
「 泰平の 眠りを覚ます 蒸気船 たった四杯で 夜も寝られず 」
この「蒸気船」は「上喜撰」との掛詞になっています。
さすがの喜撰法師も、後世で自分の名前が掛詞として使われるとは
予期せんことだったでしょう。v(^^)v
『 作者について 』
喜撰法師(生没年未詳)
六歌仙の1人。
9世紀ごろの人と思われるが、宇治山の僧であったということのほかに、くわしいことは何もわからない。
桓武天皇の後胤(こういん)、橘奈良麿(たちばなのならまろ)の子、あるいは紀名虎(きのなとら)の子などといわれるが、確証はない。
確実な歌も、この歌1首だけである。
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
よ やま ひと
世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師 きせんほうし)
『 読み方 』
ワガイオワ ミヤコノタツミ シカゾスム
ヨオウジヤマト ヒトハユーナリ
『 現代語訳 』
「私の庵(いおり)は都の東南にあって、このとおり心のどかに住んでいる。
それなのに、世間の人々はここを、世を憂(う)しとして住む宇治山(うじやま)だ、といっているそうだよ。」
※たつみ(辰巳・巽)・・・東南のこと。宇治は都の東南にあたる。
※しか・・・副詞。漢字で「然」と書く。ふつう「そのように」と訳すが、ここは「このように」と訳すほうがわかりやすい。「鹿」との掛詞(かけことば)だという説もある。
※うぢ山・・・「う」は「憂(し)」と「宇(治)」との掛詞。「宇治山」は宇治市の東部にあり、いま喜撰山(きせんやま)といっている。
※いふなり・・・「なり」は伝聞の助動詞。「~そうだ」と訳す。
明るい歌で、なんだか滑稽味もあります。
クマコが参考にしている本では、分かりやすい解釈が書いてありました。
上の『現代語訳』よりも、こちらの方がイメージし易い気がしますので抜粋します。
「おれはこの宇治山で明るく元気に暮らしているというのに、あんたたちは何かい?
宇治だから「憂鬱」だろうっていうのかい?
へん!なんとでもいいやがれってんだー!」
江戸っ子並みに、元気ですね。@@
「歌舞伎に「喜撰」という踊りがあります。
お坊さん姿の喜撰法師が、年増のお梶(かじ)という女を相手にチャップリンのような様子で踊ります。
おそらくこの歌の明るさが、そういうとぼけた喜撰法師のイメージを作り上げたのでしょう。
親しみやすい喜撰法師ですが、六歌仙の1人というもう1つの顔も持ち合わせています。
この歌は、クマコが大好きなダジャレのオンパレード♪
「然(しか)」と「鹿(しか)」
「憂(う)し」と「宇治(うじ)」
「住む」と「澄む」
喜撰さん、サイコー!クマコをあきさせん。v(^^)
喜撰といえば「わが庵は」、「わが庵は」といえば宇治。
宇治は茶の産地。
だから、喜撰は茶の銘柄にもなりました。
上等の「喜撰」を「上喜撰」といったりします。
幕末にペリーによる浦賀への黒船来航のときの狂歌
「 泰平の 眠りを覚ます 蒸気船 たった四杯で 夜も寝られず 」
この「蒸気船」は「上喜撰」との掛詞になっています。
さすがの喜撰法師も、後世で自分の名前が掛詞として使われるとは
予期せんことだったでしょう。v(^^)v
『 作者について 』
喜撰法師(生没年未詳)
六歌仙の1人。
9世紀ごろの人と思われるが、宇治山の僧であったということのほかに、くわしいことは何もわからない。
桓武天皇の後胤(こういん)、橘奈良麿(たちばなのならまろ)の子、あるいは紀名虎(きのなとら)の子などといわれるが、確証はない。
確実な歌も、この歌1首だけである。
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