百人一首 7♪
2012-11-08(Thu)
あま はら み かすが
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
みかさ やま い つき
三笠の山に 出でし月かも (安部仲麿 あべのなかまろ)
『 読み方 』
アマノハラ フリサケミレバ カスガナル
ミカサノヤマニ イデシツキカモ
『 現代語訳 』
「大空をはるかに仰ぎ見ると、月がかかっている。
この月は、春日にある三笠山にかつて出たあの月なのだなあ。」
※天の原・・・大空。「海原(うなばら)・野原」というように、「はら」は広い平面をいう語。
※ふりさけ見れば・・・はるかに仰ぎ見ること。
※春日なる三笠の山・・・「春日」は奈良の地名で、今の奈良公園のあたり。地名につく「なる」存在<ニアル>の意味。「三笠の山」は春日神社のある山。現在の三笠山(若草山)とは異なる。
※かも・・・詠嘆の終助詞。「~だなあ」などと訳す。
19歳の時に遣唐使として中国に渡った仲麿。
唐の6代目皇帝玄宗に気に入られ、日本に帰ることをなかなか許してもらえませんでした。
帰国を許されて開かれた送別会で日本を懐かしみ、この句を歌ったと言われています。
舟が難破してしまった為に帰国の機会を逃し、再び唐へ戻り唐で72歳の生涯を終えました。
住めば都と言いますが、やはり生まれ故郷である日本が恋しかったのでしょうね。
『 作者について 』
安倍仲麿(701~770)
遣唐留学生に選ばれ、養老元(717年)に入唐。
玄宗皇帝に仕え、詩人李白・王維らと親交、文名を高めた。
唐名(中国での名前)は朝衡(ちょうこう)。
天平勝宝5年(753年)帰国の途中に難破し、唐に戻った後、在唐54年、ついにかの地で没した。
正しくは、阿倍仲麻呂と書く。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
みかさ やま い つき
三笠の山に 出でし月かも (安部仲麿 あべのなかまろ)
『 読み方 』
アマノハラ フリサケミレバ カスガナル
ミカサノヤマニ イデシツキカモ
『 現代語訳 』
「大空をはるかに仰ぎ見ると、月がかかっている。
この月は、春日にある三笠山にかつて出たあの月なのだなあ。」
※天の原・・・大空。「海原(うなばら)・野原」というように、「はら」は広い平面をいう語。
※ふりさけ見れば・・・はるかに仰ぎ見ること。
※春日なる三笠の山・・・「春日」は奈良の地名で、今の奈良公園のあたり。地名につく「なる」存在<ニアル>の意味。「三笠の山」は春日神社のある山。現在の三笠山(若草山)とは異なる。
※かも・・・詠嘆の終助詞。「~だなあ」などと訳す。
19歳の時に遣唐使として中国に渡った仲麿。
唐の6代目皇帝玄宗に気に入られ、日本に帰ることをなかなか許してもらえませんでした。
帰国を許されて開かれた送別会で日本を懐かしみ、この句を歌ったと言われています。
舟が難破してしまった為に帰国の機会を逃し、再び唐へ戻り唐で72歳の生涯を終えました。
住めば都と言いますが、やはり生まれ故郷である日本が恋しかったのでしょうね。
『 作者について 』
安倍仲麿(701~770)
遣唐留学生に選ばれ、養老元(717年)に入唐。
玄宗皇帝に仕え、詩人李白・王維らと親交、文名を高めた。
唐名(中国での名前)は朝衡(ちょうこう)。
天平勝宝5年(753年)帰国の途中に難破し、唐に戻った後、在唐54年、ついにかの地で没した。
正しくは、阿倍仲麻呂と書く。
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