2017/03
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百人一首 100♪
        ふる のきば
ももしきや 古き軒端の しのぶにも
           むかし
なほあまりある 昔なりけり (順徳院 じゅんとくいん)



『 読み方 』
モモシキヤ フルキノキバノ シノブニモ 
ナオアマリアル ムカシナリケリ

『 現代語訳 』
「宮中の古い軒端に生えた忍ぶ草を見るにつけても、しのんでもしのびきれないほど、昔のさかんな御代(みよ)が思われるよ。」

※ももしきや・・・「ももしき」は、宮中。「や」は詠嘆の間投助詞。
※古き軒端・・・皇居の古びた軒端。
※しのぶにも・・・「しのぶ」は「忍ぶ草」と「(昔を)偲ぶ」との掛詞。「忍ぶ草」は、家の軒先や木の幹に生えるシダ植物。「忍ぶ草が生える」というのは、邸宅の荒廃を象徴する表現。
※なほあまりある・・・やはりしのんでもあまりある。
※昔なりけり・・・「昔」は、宮中に忍ぶ草など生えない王朝の盛時をいう。

順徳院は、後鳥羽院の第三皇子です。承久の乱では、お父さんの参謀役をつとめ、事件の後に佐渡に流されています。
この歌は、承久の乱が起こる5年前に詠まれました。

ももしきや 古き軒端の 忍ぶ(草)

掛詞の一方の意味を出すと、なんだか俳句のようになりますね。
武家がやりたい放題なので、宮中には忍ぶ草が生えるありさまです。
皇室の権威はまるつぶれ・・・。

しのぶにも、あほあまりある昔なりけり。

順徳院は、皇室が盛んだった時代をしのびます。

しのんでもしのんでもなほあまりある「昔」とは、延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃく)年間、天皇がみずから政務をとった醍醐天皇や村上天皇の時代のことを言っているのでしょう。
ところが最近、定家は天智天皇の時代を考えていた、という説が脚光を浴びています。

天智天皇・持統天皇の時代から、後鳥羽院・順徳院の時代まで600年。
定家が選んだ100人の歌人をつなぐと、それがそのまま王朝文化の系譜になります。
順徳院が天智天皇の「昔」を思えば、『百人一首』は首尾が一貫するわけです。

連綿としてつづいた王朝文化の歴史は、承久の乱によって幕を閉じました。
順徳院の見た軒端の忍ぶ草は、定家にとって、古きよき時代の王朝文化そのものだったかもしれない。



『 作者について 』

順徳院 (1197~1242年)

第84代天皇。
後鳥羽院の第三皇子。
後鳥羽院の期待を受けて、即位。
のち後鳥羽院とともに倒幕をはかって敗れ、佐渡に配流。在島22年で、46歳の生涯を終えた。
歌学書に『八雲御抄(やくもみしょう)』、家集に『順徳院御集』がある。







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