2017/08
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百人一首 97♪
こ  ひと        うら   ゆふ
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
や  もしほ   み
焼くや藻塩の 身もこがれつつ (藤原定家 ふじわらのさだいえ)



『 読み方 』
コヌヒトオ マツオノウラノ ユーナギニ 
ヤクヤモシオノ ミモコガレツツ

『 現代語訳 』
「いくら待っても来ない人を待つ私は、夕なぎのころ松帆(まつほ)の浦で焼く藻塩のように、身もこがれつつ待ち続けています。」

※まつほの浦・・・淡路島の北端、兵庫県津名郡淡路町松帆の海岸。「松帆」の「松」に「待つ」が掛けられている。
※夕なぎ・・・風がなく、波が穏やかに静まった状態。
※焼くや藻塩の・・・焼く藻塩のように。「や」は語調を整え、感動をあらわす間投助詞。「藻塩」は、海藻からとる塩。当時は、海水を注いだ海藻(藻塩草)を日に干し、それを焼いて水にとかし、煮詰めて塩をとったという。「まつほの」から「藻塩の」までが序詞。
※身もこがれつつ・・・「こがれ」は思いこがれる。これに、藻塩が焼けこげるの意を掛ける。

宮中の歌合で読んだ題詠の歌。
女性の立場で、恋人を待つ気持ちをうたっています。実質的な内容を取り出せば、身も蓋もありません。

来ぬ人を待つ・・・・・身もこがれつつ
ひっくり返すと、そのつまらなさに興ざめするほどです。
「身もこがれつつ来ぬ人を待つ」。
何やら、安ものの演歌に似ていますね。
この素材を、珠玉のようにするのが、中に入れた「まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩」という部分です。

来ぬ人を待つと読めば、恋人を待って身をよじる女の姿が浮かぶのですが、
・・・・・まつほの浦の 夕なぎに
までいくと、我々の心は、いつしか夕暮れの海辺にさそわれて、意味もなくさびしい気分になります。
さらには、
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
で、意味不明な海辺の情景が、実は女のこがれた心であったということを知らされます。
女の心は、塩を焼く火のように燃えている。
立ち上がる一筋の煙には、妖しさが漂います。

我々は、言葉の力で、作者にあちこちと引きずり回されているわけですね。
主題はあくまでも「身をこがれつつ来ぬ人を待つ」なのですが、読んだ後、それだけでは済まされない何かが残る。
これが、木の皮を純白の和紙に変えるような、定家の芸でした。




『 作者について 』

藤原定家 (1162~1241年)

藤原俊成の子。
名は「さだいえ」だが、慣用で「ていか」と読む。
正二位権中納言まで昇進。
御子左家の中心人物として活躍。
『新古今和歌集』の選者の1人。
家集に『拾遺愚草(しゅういぐそう)』、日記に『明月記』、歌論に『近代秀歌』などがある。

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Author:クマコ
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