2017/11
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百人一首 92♪
   そで  しほひ  み     おき  いし
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
ひと  し
人こそ知らね かわくまもなし (二条院讃岐 にじょういんのさぬき)



『 読み方 』
ワガソデワ シオヒニミエヌ オキノイシノ 
ヒトコソシラネ カワクマモナシ

『 現代語訳 』
「私の袖は、潮干のときにも海中に隠れて見えない沖の石のように、人は知らないでしょうが、恋の涙でかわく暇もありません。」

※潮干に見えぬ・・・海水がひいても姿をあらわさない。「潮干」は潮水がひくこと。
※沖の石の・・・沖の石のように。
※人こそ知らなね・・・人は知らないが。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。「こそ~已然形」で文が続くと、逆説になることが多い。
※かわくまもなし・・・いつも涙にぬれて、かわく暇がない。

「石に寄する恋」という題で詠んだ歌。
中国最初の抒情(じょじょう)詩集である『詩経(しきょう)』に、「わが心は石にあらざれば」とうたわれているように、「石」は昔から無常なものの象徴とされてきました。
そんな石に託して恋の思いを詠むのは至難のわざ。二条院讃岐は、この難題をどのように切り抜けたのでしょうか。

文脈だけでいえば、この歌はなんの変哲もありません。

わが袖は、人こそ知らね、かわくまもなし。
(私の袖は、人は知らないだろうが、恋の涙でかわく暇もない)

という、たったそれだけのこと。
そこに、次の比喩をぱちんとはめ込むと、ようすが変わってきます。

潮干に見えぬ 沖の石の
(それはまるで、潮水がひいても見えない沖の石のよう・・・・・)

ひめた恋心を、海中の石にたとえる―。
この比喩は独創的でした。

当時よほど評判になったのでしょうか、江戸時代の本にのっている説なので本当かどうかわかりませんが、この歌を詠んでから、二条院讃岐は「沖の石の讃岐」という異名をとったと伝えられています。



『 作者について 』

二条院讃岐 (生没年未詳)

永治元年(1141年)ごろ出生、建保5年(1217年)ごろ死没したと見られる。
源三位頼政の娘。
二条天皇の女房。
のち、後鳥羽院中宮宜秋門院にも仕えたらしい。
父譲りの歌才で、歌合にも数多く出詠。
家集に『二条院讃岐集』がある。
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