百人一首 88♪
2013-04-04(Thu)
なにはえ あし
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ
こ
みをつくしてや 恋ひわたるべき (皇嘉門院別当 こうかもんいんのべっとう)
『 読み方 』
ナニワエノ アシノカリネノ ヒトヨユエ
ミオツクシテヤ コイワタルベキ
『 現代語訳 』
「難波江の芦の刈根の一節ではないが、たった一夜の仮寝のために、命を捧げて恋しつづけなければならないでしょうか。」
※難波江・・・難波(現在の大阪市)の入り江。「難波」は「芦」や「澪標(みおつくし)」を連想させる歌枕。
※芦のかりね・・・「芦の」までが序詞。「かりね」は「刈根(刈ったあとに残る根株(」と「仮寝(旅先での仮の宿り)」との掛詞。
※ひとよ・・・「一節(節と節の間)」と「一夜」との、ひとよの掛詞。「一節」は、短いことのたとえによく用いられる。
※みをつくし・・・「澪標(船の通り道を示すために立てられた杭)」と「身を尽くし(命を捧げる)」との掛詞。
※恋ひわたるべき・・・恋いつづけなければならないのだろうか。「~わたる」は「~しつづける」の意。
「旅の宿りに逢ふ恋(旅の宿で契りをかわした恋)」という題で詠まれた歌。歌合の歌ですから、実体験をそのまま詠んだものではありません。
作者はこの「旅の宿り」を、難波に設定しています。
まずは、縁語にご注目下さい。
難波江の 芦の刈根の 一節ゆゑ 澪標てや 恋ひわたるべき
「芦 ― 刈根 ― 一節 ― 澪標 ― わたる」が「難波江」の縁語です。
節のある芦は、難波のシンボルでした。芦を刈り取ったさびしい難波江。そのさびしい入り江を、澪標を頼りに、舟が渡っていきます。
この歌の主人公は、そんなさびしいところにいる、という設定です。
一方、主文脈は、序詞をはずし、掛詞のもう一方の意味をつないでみるとよくわかります。
仮寝の 一夜ゆゑ 身を尽くしてや 恋ひわたるべき
(かりそめの一夜をともにしたせいで、命をかけて、私は一生あなたを恋いつづけなければならないのでしょうか。)
かりそめの契りが、一生の心の傷になる・・・。
歌の主人公は、そうなってしまったことに驚き、嘆き、なぜこんなことになったのかと、自問している風情です。
『 作者について 』
皇嘉門院別当 (生没年未詳)=12世紀の人。
太王太后宮亮源俊隆の娘。
崇徳院の皇后皇嘉門院(関白藤原忠通の娘)に仕えた。
皇嘉門院の異母弟に右大臣藤原兼実がおり、兼実邸での歌合にしばしば参加。
この歌もそこでの詠である。
『千載集』以下に9首入集。
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ
こ
みをつくしてや 恋ひわたるべき (皇嘉門院別当 こうかもんいんのべっとう)
『 読み方 』
ナニワエノ アシノカリネノ ヒトヨユエ
ミオツクシテヤ コイワタルベキ
『 現代語訳 』
「難波江の芦の刈根の一節ではないが、たった一夜の仮寝のために、命を捧げて恋しつづけなければならないでしょうか。」
※難波江・・・難波(現在の大阪市)の入り江。「難波」は「芦」や「澪標(みおつくし)」を連想させる歌枕。
※芦のかりね・・・「芦の」までが序詞。「かりね」は「刈根(刈ったあとに残る根株(」と「仮寝(旅先での仮の宿り)」との掛詞。
※ひとよ・・・「一節(節と節の間)」と「一夜」との、ひとよの掛詞。「一節」は、短いことのたとえによく用いられる。
※みをつくし・・・「澪標(船の通り道を示すために立てられた杭)」と「身を尽くし(命を捧げる)」との掛詞。
※恋ひわたるべき・・・恋いつづけなければならないのだろうか。「~わたる」は「~しつづける」の意。
「旅の宿りに逢ふ恋(旅の宿で契りをかわした恋)」という題で詠まれた歌。歌合の歌ですから、実体験をそのまま詠んだものではありません。
作者はこの「旅の宿り」を、難波に設定しています。
まずは、縁語にご注目下さい。
難波江の 芦の刈根の 一節ゆゑ 澪標てや 恋ひわたるべき
「芦 ― 刈根 ― 一節 ― 澪標 ― わたる」が「難波江」の縁語です。
節のある芦は、難波のシンボルでした。芦を刈り取ったさびしい難波江。そのさびしい入り江を、澪標を頼りに、舟が渡っていきます。
この歌の主人公は、そんなさびしいところにいる、という設定です。
一方、主文脈は、序詞をはずし、掛詞のもう一方の意味をつないでみるとよくわかります。
仮寝の 一夜ゆゑ 身を尽くしてや 恋ひわたるべき
(かりそめの一夜をともにしたせいで、命をかけて、私は一生あなたを恋いつづけなければならないのでしょうか。)
かりそめの契りが、一生の心の傷になる・・・。
歌の主人公は、そうなってしまったことに驚き、嘆き、なぜこんなことになったのかと、自問している風情です。
『 作者について 』
皇嘉門院別当 (生没年未詳)=12世紀の人。
太王太后宮亮源俊隆の娘。
崇徳院の皇后皇嘉門院(関白藤原忠通の娘)に仕えた。
皇嘉門院の異母弟に右大臣藤原兼実がおり、兼実邸での歌合にしばしば参加。
この歌もそこでの詠である。
『千載集』以下に9首入集。
スポンサーサイト