2017/10
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百人一首 86♪
なげ    つき        おも
嘆けとて 月やはものを 思はする
   かほ       なみだ
かこち顔なる わが涙かな (西行法師 さいぎょうほうし)



『 読み方 』
ナゲケトテ ツキヤワモノオ オモワスル 
カコチガオナル ワガナミダカナ

『 現代語訳 』
「嘆けといって、月が自分にもの思いをさせるのか、いやそうではない。
それなのに、まるで月のせいでもあるかのように、流れて落ちるわが涙であることよ。」

※嘆けとて・・・(月が自分に)「嘆け」といって。
※月やはものを思はする・・・月がものを思わせるのか、いやそうではない。「やは」は反語をあらわす。
※かこち顔・・・月のせいにするようなようす。「かこつ」は、かこつける、他のせいにする。「~顔」は、いかにも~のようす、という意味の接尾語。

「月前恋(つきのまえのこひ)」という題で詠んだ歌。
西行が若年の作といわれていますが、確証はありません。

西行は、月と恋とをあわせて詠むことの好きな歌人でした。
この歌もその1つで、西行の自信作でもありました。

「嘆け」と(言ひ)て、月やはものを思はする

23句の歌で、 「月見れば 千々にものこを 悲しけれ」と詠まれた、あの月。
しかし、西行は、月が自分を嘆かせるのではない、といっています。
「やは」は反語ですから、強い打消になります。
月がものを思わせるのか、いや、そんなことは絶対ありえない。と。

かこち顔なる わが涙かな
それでも、自分はそれを、月のせいだといわんばかりに泣いている。
本当は、あの人のせいなのに。
あの人のせいだということは、自分のせいでもある。
それを認めたくない自分というのは、いったいなんであろう・・・・・。
あの人を恨むこともできず、自分が悪いわけでもない。
かなわぬ恋とは、そういうものなのでしょう。
この涙を月のせいにすればいっそ楽なのですが、そうでないことは自分がいちばん分かっています。

だれのせいでもない涙は、月に向かって流すしかしようがなかったようです。



『 作者について 』

西行法師 (1118~1190年)

俗名、佐藤義清(さとうのりきよ)。
鳥羽院の北面の武士だったが、23歳で出家。
法名は円位(えんい)、西行と称した。
出家の動機」には諸説がある。
諸国を旅し、求道(くどう)と作家に生涯を捧げた。
建久元年(1190年)、河内の弘川寺(ひろかわでら)で入寂(にゅうじゃく)。
家集に『山家集』がある。






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