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百人一首 81♪
        な      かた
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
  ありあけ  つき  のこ
ただ有明の 月ぞ残れる (藤原実定 ふじわらのさねさだ)



『 読み方 』
ホトトギス ナキツルカタオ ナガムレバ 
タダアリアケノ ツキゾノコレル

『 現代語訳 』
「ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、そこにほととぎすの姿はなく、ただ有明の月だけが残っていた。」

※ほととぎす・・・夏を代表する鳥として和歌によく詠まれた。カッコウ科の渡り鳥で、日本には5月ごろ飛来する。
※鳴きつる方・・・今鳴いた方角。
※残れる・・・残っている。

       あかつき ほととぎす
「暁聞郭公(暁に郭公を聞く)」という題で詠まれた歌。

この題は、暁に起きたらほととぎすが鳴いていた、ということではありません。
ひと晩中待ち続けたところ、やっと暁になってほととぎすのひと声を耳にした、ということです。
平安の昔は、夜明けにほととぎすの声をきくのが風流なこととされていました。
そこで、徹夜してそのひと声を待つということが歌にも詠まれたわけですね。

長い長い夜を待ち明かす・・・。
夏は短夜(みじかよ)といいますが、短時間でも、待つ身にはそれが長く感じられます。
やがて暁になりました。

ギョッ!
と鳴いたので、あわててそちらを見やると、もうほととぎすの姿はありませんでした。あとには、ただ、有明の月がかかっているだけ。
まるでうそのような、一瞬の出来事でした。

蜀山人(しょくさんじん)と号した、江戸時代の狂歌師大田南畝(おおたなんぼ)が、
ほととぎす 鳴きつる方に あきれたる 後徳大寺の 有明の顔
と詠んで、そのうそのような一瞬をからかっています。



『 作者について 』

藤原実定 (1139~1191年)

右大臣公能の子。
祖父の徳大寺左大臣実能と区別して、後徳大寺左大臣と呼ばれた。
母は藤原俊忠の娘。俊成の甥。定家の従兄弟にあたる。
管弦・和歌にすぐれ、蔵書家としても知られた。
家集に『林下集』。
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