百人一首 3♪
2012-10-30(Tue)
やまどり を を
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
よ ね
ながながし夜を ひとりかも寝む (柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ)
『 読み方 』
アシビキノ ヤマドリノオノ シダリオノ
ナガナガシヨオ ヒトリカモネン
『 現代語訳 』
「山鳥の長く垂れ下がった尾のように、長い長いこの夜を、私はたったひとりでねることになるのだろうかなあ。」
※あしびきの・・・「山」にかかる枕詞(まくらことば)。
※枕詞(まくらことば)・・・強調とイメージづけを目的に、特定の言葉にかぶせられる5音の装飾語。
※山鳥・・・山の鳥ではありません。キジ科のヤマドリ。
※しだり尾・・・「しだり」は「下垂る」が変化した形。「しだれ桜」の「しだれ」と同じで、力なく垂れ下がった様子をいう。
※かも・・・「か」が疑問、「も」が感動をあらわす。
雄の尾がうんと長い。その長い尾っぽのように、長い長い秋の夜長を、私はひとりで寝ることになるのかな・・・という、ひとり寝のさびしさを詠んだ歌。
この歌も解釈が2通りあるようです。
1つは、男性である人麻呂が女性の立場で詠んだという説。
もう1つは、男性である人麻呂が男性の気持ちで詠んだという説。
「山鳥の尾の しだり尾の」・・・「尾」は、 「尾」のほかに「雄」という意味を含ませた掛詞(かけことば)という考え方から、男のひとり寝と考えるもの。
※掛詞(かけことば)・・・一つの言葉に二つの意味を持たせる技法。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇の時代に『歌の聖(ひじり)』と言われて活躍した歌人です。
「万葉集」では「人麻呂」と書き、「ひとまろ」と読むのが正しいのですが、平安時代には「人丸」と書いて「ひとまる」で通っていました。
作者の分からない王朝人好みのいい歌が書かれているような時は、「これは人丸が詠んだ歌だ。」「こんなすごい歌が詠めるのは『歌の聖(ひじり)』と言われた人丸以外にはない。」と神格化してゆくようになりました。
そして、兵庫県明石市の柿本神社に、『火災防止』と『安産』の神様として祀られています。
「ひとまる」は「火止まる」だから、『火災除け』。
「ひとまる」は「人生まる」だから、『安産』。
『 作者について 』
柿本人麻呂(生没年未詳)
持統・文武天皇時代(7世紀末~8世紀初)に活躍した宮廷歌人。
すぐれた歌を詠んだが、官位は低かった。
紀貫之によって、「歌の聖」と仰がれたように、後世の歌人たちから尊敬され、やがては「歌神」として神格化された。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
よ ね
ながながし夜を ひとりかも寝む (柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ)
『 読み方 』
アシビキノ ヤマドリノオノ シダリオノ
ナガナガシヨオ ヒトリカモネン
『 現代語訳 』
「山鳥の長く垂れ下がった尾のように、長い長いこの夜を、私はたったひとりでねることになるのだろうかなあ。」
※あしびきの・・・「山」にかかる枕詞(まくらことば)。
※枕詞(まくらことば)・・・強調とイメージづけを目的に、特定の言葉にかぶせられる5音の装飾語。
※山鳥・・・山の鳥ではありません。キジ科のヤマドリ。
※しだり尾・・・「しだり」は「下垂る」が変化した形。「しだれ桜」の「しだれ」と同じで、力なく垂れ下がった様子をいう。
※かも・・・「か」が疑問、「も」が感動をあらわす。
雄の尾がうんと長い。その長い尾っぽのように、長い長い秋の夜長を、私はひとりで寝ることになるのかな・・・という、ひとり寝のさびしさを詠んだ歌。
この歌も解釈が2通りあるようです。
1つは、男性である人麻呂が女性の立場で詠んだという説。
もう1つは、男性である人麻呂が男性の気持ちで詠んだという説。
「山鳥の尾の しだり尾の」・・・「尾」は、 「尾」のほかに「雄」という意味を含ませた掛詞(かけことば)という考え方から、男のひとり寝と考えるもの。
※掛詞(かけことば)・・・一つの言葉に二つの意味を持たせる技法。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇の時代に『歌の聖(ひじり)』と言われて活躍した歌人です。
「万葉集」では「人麻呂」と書き、「ひとまろ」と読むのが正しいのですが、平安時代には「人丸」と書いて「ひとまる」で通っていました。
作者の分からない王朝人好みのいい歌が書かれているような時は、「これは人丸が詠んだ歌だ。」「こんなすごい歌が詠めるのは『歌の聖(ひじり)』と言われた人丸以外にはない。」と神格化してゆくようになりました。
そして、兵庫県明石市の柿本神社に、『火災防止』と『安産』の神様として祀られています。
「ひとまる」は「火止まる」だから、『火災除け』。
「ひとまる」は「人生まる」だから、『安産』。
『 作者について 』
柿本人麻呂(生没年未詳)
持統・文武天皇時代(7世紀末~8世紀初)に活躍した宮廷歌人。
すぐれた歌を詠んだが、官位は低かった。
紀貫之によって、「歌の聖」と仰がれたように、後世の歌人たちから尊敬され、やがては「歌神」として神格化された。
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