百人一首 72♪
2013-03-11(Mon)
おと たかし はま なみ
音にきく 高師の浜の あだ波は
そで
かけじや袖の ぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊 ゆうしないしんのうけのきい)
『 読み方 』
オトニキク タカシノハマノ アダナミワ
カケジヤソデノ ヌレモコソスレ
『 現代語訳 』
「噂に名高い高師の浜のあだ波は身にかけますまい、袖がぬれるでしょうから。
そのように、浮気で名高いあなたのお言葉は心にかけますまい。
涙で袖がぬれては大変ですから。」
※音にきく・・・うわさにきく。
※高師の浜・・・大阪府堺市浜寺から高石市にいたる海岸。今は埋め立てられているが、昔は景色の美しいところで、歌枕として知られていた。「音にきく、高し」で、「うわさにきく名高い」という意味である。
※あだ波・・・むなしく寄せては返す波。浮気な人をたとえている。
※かけじや・・・「波をかけまい」と「思いをかけまい」との二重の意味で用いられている。
※ぬれもこそすれ・・・ぬれては大変だ。「もこそ」は懸念する気持ちをあらわし、「~ては大変だ」などと訳す。
※「高師」と「高し」、「(波を)かけ」と「(思いを)かけ」が掛詞。
※「浜」「波」「ぬれ」が縁語。
堀河院主催の艶書合(けそうぶみあわせ)で、藤原俊忠に答えた歌。
「艶書合」は「えんしょあわせ」と読んでもかまいません。
艶書合は一種の恋愛ゲームでした。
歌合(うたあわせ)は歌合なのですが、男の貴族たちと女房たちとを番(つが)え、それぞれのカップルに恋の歌のやりとりをさせるという形式。
もちろん、本物のカップルではありませんから、詠み合った恋歌の内容はフィクションということになります。
紀伊の相手をした俊忠の歌は、
人知れぬ 思ひありその 浦風に 波のよるこそ いはまほしけれ
(私はあなたに人知れず思いを寄せています。ですから、有磯の浦風によって波が寄るように、夜になったら忍んで行って、あなたに思いをうちあけたいと思います。)
※「有磯」と「思いあり」、「寄る」と「夜」は掛詞。
※「浦」「波」「寄る」は、縁語。
というものでした。
紀伊の返歌は、俊忠の求愛をぴしゃりとはねつけていることになりますね。
ちなみに、俊忠の年齢は29歳ぐらい。
紀伊は、70歳ぐらいだったそうです。
『 作者について 』
祐子内親王家紀伊 (生没年未詳)
11世紀後半の人。
後朱雀天皇の第一皇女、祐子内親王に仕えた女房。
民部大輔平経方の娘で、母は祐子内親王に仕えた女房小弁かという。
すぐれた歌人として、多くの歌合に参加。
家集に『祐子内親王王家紀伊集』がある。
音にきく 高師の浜の あだ波は
そで
かけじや袖の ぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊 ゆうしないしんのうけのきい)
『 読み方 』
オトニキク タカシノハマノ アダナミワ
カケジヤソデノ ヌレモコソスレ
『 現代語訳 』
「噂に名高い高師の浜のあだ波は身にかけますまい、袖がぬれるでしょうから。
そのように、浮気で名高いあなたのお言葉は心にかけますまい。
涙で袖がぬれては大変ですから。」
※音にきく・・・うわさにきく。
※高師の浜・・・大阪府堺市浜寺から高石市にいたる海岸。今は埋め立てられているが、昔は景色の美しいところで、歌枕として知られていた。「音にきく、高し」で、「うわさにきく名高い」という意味である。
※あだ波・・・むなしく寄せては返す波。浮気な人をたとえている。
※かけじや・・・「波をかけまい」と「思いをかけまい」との二重の意味で用いられている。
※ぬれもこそすれ・・・ぬれては大変だ。「もこそ」は懸念する気持ちをあらわし、「~ては大変だ」などと訳す。
※「高師」と「高し」、「(波を)かけ」と「(思いを)かけ」が掛詞。
※「浜」「波」「ぬれ」が縁語。
堀河院主催の艶書合(けそうぶみあわせ)で、藤原俊忠に答えた歌。
「艶書合」は「えんしょあわせ」と読んでもかまいません。
艶書合は一種の恋愛ゲームでした。
歌合(うたあわせ)は歌合なのですが、男の貴族たちと女房たちとを番(つが)え、それぞれのカップルに恋の歌のやりとりをさせるという形式。
もちろん、本物のカップルではありませんから、詠み合った恋歌の内容はフィクションということになります。
紀伊の相手をした俊忠の歌は、
人知れぬ 思ひありその 浦風に 波のよるこそ いはまほしけれ
(私はあなたに人知れず思いを寄せています。ですから、有磯の浦風によって波が寄るように、夜になったら忍んで行って、あなたに思いをうちあけたいと思います。)
※「有磯」と「思いあり」、「寄る」と「夜」は掛詞。
※「浦」「波」「寄る」は、縁語。
というものでした。
紀伊の返歌は、俊忠の求愛をぴしゃりとはねつけていることになりますね。
ちなみに、俊忠の年齢は29歳ぐらい。
紀伊は、70歳ぐらいだったそうです。
『 作者について 』
祐子内親王家紀伊 (生没年未詳)
11世紀後半の人。
後朱雀天皇の第一皇女、祐子内親王に仕えた女房。
民部大輔平経方の娘で、母は祐子内親王に仕えた女房小弁かという。
すぐれた歌人として、多くの歌合に参加。
家集に『祐子内親王王家紀伊集』がある。
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