2017/07
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百人一首 70♪
        やど た  い
さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
    おな   あき ゆふぐれ
いづくも同じ 秋の夕暮 (良暹法師 りょうぜんほうし)



『 読み方 』
サビシサニ ヤドオタチイデテ ナガムレバ 
イズクモオナジ アキノユーグレ

『 現代語訳 』
「あまりのさびしさに、庵を出てもの思いにふけりながらあたりを眺めると、どこも同じさびしい秋の夕暮れであるよ。」

※さびしさに・・・さびしさのために。「に」は理由・原因を示す格助詞。
※宿・・・自分の住んでいる庵(いおり)。
※ながむれば・・・「ながむ」は、もの思いにふけってじっと眺める。現在の「眺める」はただ眺望するといった意だが、古語の「ながむ」には悲しみの心が加わる。
※いづく・・・「いづこ」の古形。奈良時代は「いづく」としかいわず、平安以後はどちらも使った。「いづこ」とする本文もあるが、『後拾遺和歌集』に従って「いづく」とした。

「秋の夕暮」を詠んだ歌。
大袈裟な技巧を使わず、平明に読みくだした1首です。

良暹はさびしい草庵暮らし。世を捨てて出家した身にも、さびしさをこらえきれないことがあったのですね。
意味もなく外に出てみると、いずこも同じ・・・。
外は一面の秋景色で、さびしい暮色につつまれていました。

「いづくも同じ」がこの歌のポイント。
どこも同じようにさびしく見えるのは、自分の心がさびしいからで、作者は自分の内側のさびしさを見つめている・・・。
そういったのは、『百人一首』現存最古の注釈書として知られる『応永抄(おうえいしょう)』でした。
すぐれた解釈として、おおかたの賛同を得ています。



『 作者について 』

良暹法師 (生没年未詳)

天台宗の僧で、祇園の別当だったというが、家系や経歴は未詳。
康平8年(1065年)ごろ、67,8歳で没したとみられる。
歌才を認められ、上流階級の歌会にもしばしば招かれた。
にごらずに、「りょうせん」と読む説もある。

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