2017/08
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百人一首 68♪
こころ          よ
心にも あらでうき世に ながらへば
こひ       よは  つき
恋しかるべき 夜半の月かな (三条院 さんじょういん)



『 読み方 』
ココロニモ アラデウキヨニ ナガラエバ
コイシカルベキ ヨワノツキカナ

『 現代語訳 』
「これから先、心ならずもこの憂き世に生きながらえていったならば、そのときには、きっと恋しく思い出されるにちがいないこの美しい夜半の月であるよ。」

※心にもあらで・・・不本意ながら。
※うき世・・・つらい現世(げんせ)。
※ながらへば・・・もし生きながらえたならば。
※恋しかるべき・・・恋しく思い出されるにちがいない。

三条天皇が宮中で月を眺めて詠んだ歌。

長和4年(1015年)12月10日すぎのこと。
三条天皇は、中宮妍子(ちゅうぐうけんし)と共に、宮中で、冬の冴えわたる月を眺めていました。
そのときの心境を言葉にして、中宮に示したのがこの歌でした。

心にも あらでうき世に ながらへば
(不本意にも、この憂き世で生きながらえたならば)

「不本意にも生きながらえる」というのは、もう死んでしまいたいということを意味します。
そう思うほど、三条天皇はこの世に絶望していました。
当時、天皇は目をわずらって失明寸前。もともと身体が弱かったうえに、政治的にも難しい状況にありました。

恋しかるべき 夜半の月かな
(あとになってこの夜半の月が恋しくなるだろうね)

悲しい術懐(じゅつかい)です。精神的にも、肉体的にも、限界かと思われる今。
それが、あとになると、きっとなつかしく思い出されるに違いないというのです。
眼病が、この美しい月を見えなくしてしまうかもしれません。
政治的に、今よりもっと、苦しい立場に追いやられるかもしれない・・・。
天皇にとって、もはや明日という日はありませんでした。
1ヵ月後、三条天皇は退位します。
中宮妍子の返歌は、残念ながら伝えられていません。



『 作者について 』

三条院 (976~1017)
第67代、三条天皇。
冷泉天皇の第二皇子で、母は藤原兼家の娘超子。
寛和2年(986年)立太子、寛弘8年(1011年)即位。
藤原道長の圧迫によって、長和5年(1016年)、在位5年で譲位した。
翌年出家し、42歳で崩御。





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