2017/06
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百人一首 61♪
         なら みやこ  やへざくら
いにしへの 奈良の都の 八重桜
  ここのへ
けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔 いせのたいふ)



『 読み方 』
イニシエノ ナラノミヤコノ ヤエザクラ 
キョーココノエニ ニオイヌルカナ

『 現代語訳 』
「いにしえの奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、つねよりも色美しく咲きほこっていることです。」

※いにしへの奈良の都・・・かつて繁栄した奈良の都。奈良は、元明天皇から光仁天皇まで、7代70余年の都であった。
※八重桜・・・山桜の変種で、花が大きく、花弁が重なっている。他の桜より咲くのが少し遅い。11世紀初頭の京都では珍しい品種だった。
※けふ・・・今日。「いにしへ」に対していう。「京」の意を響かせると見る説もある。
※九重・・・宮中。中国の王城(おうじょう)には九重(きゅうちょう)の門をめぐらせたという故事から出た語。「八重」に対していう。
※にほひぬるかな・・・「にほふ」は、色美しく咲く。

吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草(つれづれぐさ)』に、「八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべるなり」とあります。
『徒然草』は鎌倉末期に書かれた随筆です。
伊勢大輔の時代は平安中期ですから、八重桜は珍しいものだったのですね。

その珍しい八重桜が、毎年宮中に献上されていました。
それを受けとる時に詠んだのが、この歌です。

いにしへ―けふ
八重―九重


という対の技法(「奈良―京」を入れてもいいかもしれません。)
奈(七) ― 八 ― 九
という数字の連鎖。

いにしへ 奈良
と、3度繰り返される「の」が醸し出す悠揚たる調べ。

☆この歌が詠まれた背景
奈良から僧が八重桜を持ってきた贈呈式に、一条天皇・中宮彰子(藤原道長の娘)・藤原道長・紫式部。
他にも中宮彰子の女房達も沢山いました。
最初は紫式部が八重桜の受け取り役になっていましたが、晴れがましいことを好まぬ紫式部が「今年は新参の者に・・・」と言い、新入りの伊勢大輔にこの大役を譲りました。
道長に「黙って受け取っちゃダメだよ。歌を詠みなさい。」と言われ、とっさに詠んだ歌です。

当意即妙の技巧を駆使しながら、古都の桜と王城の繁栄を同時にたたえるこの歌を伊勢大輔が詠んだとき、その場にいた貴族たちは、
「万人感歎(ばんにんかんたん)、宮中鼓動す」
と『袋草子』(平安末期の歌学書)には書かれています。



『 作者について 』

伊勢大輔 (生没年未詳)=11世紀前半の人

大中臣能宣の孫。輔親の娘。
中宮彰子に使え、紫式部、和泉式部らと親交があった。
のち、高階成順と結婚し、康資王母らを生む。
夫の死後出家し、山里に隠棲した。
家集に『伊勢大輔集』がある。
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