2013-04-22(Mon)
かぜ をがは ゆふぐ
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
なつ
みそぎぞ夏の しるしなりける (藤原家隆 ふじわらのいえたか)
『 読み方 』
カゼソヨグ ナラノオガワノ ユーグレワ
ミソギゾナツノ シルシナリケル
『 現代語訳 』
「風がそよそよと楢(なら)の葉に吹いている。このならの小川の夕暮れは、(もう秋が来たように涼しいから、)六月祓(みなづきはらえ)のみそぎだけが夏であることのあかしなのであるよ。」
※風そよぐ・・・風がそよそよと音をさせて吹く。
※ならの小川・・・上賀茂神社(京都市北区)の近くを流れる御手洗川(みたらしがわ)。「御手洗川」とは、参詣する人が手を洗い口をすすぐ川ということ。「なら」は「楢(ブナ科の落葉高木)」との掛詞。
※みそぎ・・・罪やけがれを祓いのぞくために、河原で水をかけて身を清めること。この「みそぎ」は「六月祓/夏越しの祓」をさす。陰暦6月の最終日に行われた神事で、半年間の罪とけがれを祓い落とすという。
※夏のしるし・・・夏であることの証拠。
定家とならび称された、藤原家隆の歌。
前関白藤原道家の娘が入内することになりました。
天皇家に嫁に行く時は、嫁入り道具として、屏風を調達するのがならわしでした。
その屏風には、1年12ヶ月の風物が描かれます。これが屏風絵です。
その屏風絵に合わせて歌を詠んでいく。これが、屏風歌。
道家の娘の屏風歌は、当代きっての歌人たちに、制作が依頼されました。家隆が詠んだ36首の中で、採用されたものは7首。
そのうちの1つがこの歌です。
屏風絵は「みそぎ(六月祓)」でした。どんな絵柄だったかは、屏風が残っていないので分かりませんが、御手洗川のほとりで風にゆれる楢の木が描かれていたのかもしれません。
家隆はその絵に合わせ、本歌取りをして、この歌を仕上げました。
『 作者について 』
藤原家隆 (1158~1237年)
権中納言光隆の子。
若いころ寂連の養子となり、俊成に和歌を学ぶ。定家と並び称され、和歌所の寄人となる。
『新古今集』の選者の1人。後鳥羽院の信頼あつく、院の隠岐配流後も音信を絶やさなかった。
家集に『壬二集』。
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
なつ
みそぎぞ夏の しるしなりける (藤原家隆 ふじわらのいえたか)
『 読み方 』
カゼソヨグ ナラノオガワノ ユーグレワ
ミソギゾナツノ シルシナリケル
『 現代語訳 』
「風がそよそよと楢(なら)の葉に吹いている。このならの小川の夕暮れは、(もう秋が来たように涼しいから、)六月祓(みなづきはらえ)のみそぎだけが夏であることのあかしなのであるよ。」
※風そよぐ・・・風がそよそよと音をさせて吹く。
※ならの小川・・・上賀茂神社(京都市北区)の近くを流れる御手洗川(みたらしがわ)。「御手洗川」とは、参詣する人が手を洗い口をすすぐ川ということ。「なら」は「楢(ブナ科の落葉高木)」との掛詞。
※みそぎ・・・罪やけがれを祓いのぞくために、河原で水をかけて身を清めること。この「みそぎ」は「六月祓/夏越しの祓」をさす。陰暦6月の最終日に行われた神事で、半年間の罪とけがれを祓い落とすという。
※夏のしるし・・・夏であることの証拠。
定家とならび称された、藤原家隆の歌。
前関白藤原道家の娘が入内することになりました。
天皇家に嫁に行く時は、嫁入り道具として、屏風を調達するのがならわしでした。
その屏風には、1年12ヶ月の風物が描かれます。これが屏風絵です。
その屏風絵に合わせて歌を詠んでいく。これが、屏風歌。
道家の娘の屏風歌は、当代きっての歌人たちに、制作が依頼されました。家隆が詠んだ36首の中で、採用されたものは7首。
そのうちの1つがこの歌です。
屏風絵は「みそぎ(六月祓)」でした。どんな絵柄だったかは、屏風が残っていないので分かりませんが、御手洗川のほとりで風にゆれる楢の木が描かれていたのかもしれません。
家隆はその絵に合わせ、本歌取りをして、この歌を仕上げました。
『 作者について 』
藤原家隆 (1158~1237年)
権中納言光隆の子。
若いころ寂連の養子となり、俊成に和歌を学ぶ。定家と並び称され、和歌所の寄人となる。
『新古今集』の選者の1人。後鳥羽院の信頼あつく、院の隠岐配流後も音信を絶やさなかった。
家集に『壬二集』。
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