2013-03-14(Thu)
ちぎ つゆ いのち
契りおきし させもが露を 命にて
ことし あき
あはれ今年の 秋もいぬめり (藤原基俊 ふじわらのもととし)
『 読み方 』
チギリオキシ サセモガツユオ イノチニテ
アワレコトシノ アキモイヌメリ
『 現代語訳 』
「お約束下さいました恵みの露のようなあなたのお言葉を、命としてお頼み申し上げておりましたのに、ああ、今年の秋もむなしく過ぎてしまうようでございます。」
※契りおきし・・・約束しておいた。「おき」は、下の「露」の縁語。この約束は「息子のことをよろしく頼む」と、作者が藤原忠通に依頼したことをさす。
※させもが露・・・恵みの露のようなあなたのお言葉。「させも」は蓬(よもぎ)のこと。
「させもが露」だと「蓬の上の露」ということになるのだが、ここは忠通が作者の依頼を受けたときに「なほ頼めしめじが原のさせも草・・・」という歌を引いて快諾したことをさしている。
※命にて・・・命として。唯一の頼みとしてという意味。
※あはれ・・・ああ。
※いぬめり・・・「いぬ」は「往ぬ」と書き、行くという意味。「めり」は推定の助動詞、「~ようだ」などと訳す。
この歌は、詠まれたいきさつが複雑です。
まず、作者。基俊ですね。
彼は自分の息子がかわいくてならなかった。
息子はお坊さんです。光覚(こうかく)といって、奈良の興福寺にいるのですが、この子を僧侶としてエリートコースにのせてやりたかった。
それで、基俊は光覚のことを、権力者の藤原忠通に頼んだわけです。
「今度おこなわれる儀式の大役を、ぜひとも光覚につとめさせてやって下さいませ。」
光覚は、いつもこの大役からもれていたのでした。
基俊の依頼を受けて、忠通は言いました。
「いいよ」と。
ただ、昔ですから、和歌で答えました。
なほ頼め しめじが原の させも草 われ世の中に あらむ限りは
(やはり私を頼みにしていなさい。私がこの世にいる限りは大丈夫ですよ。)
「なお頼め」というところにご注目下さい。
忠通が言いたかったのは、「やはり私を頼みにしていなさい」ということでした。
それを、ちょっとおしゃれに、和歌で答えたわけです。
ただし、この歌は、忠通が作ったわけではありません。
記憶していた他人の歌(『新古今集』では清水の観音が作った歌ということになっています)を引用して答えました。
ところが・・・・・・。
うまくいきませんでした。
息子がまた、儀式の大役からはずれてしまった。
その恨みごとを、基俊は和歌にして、忠通におくりました。
契りおきし「させもが露」を命にて・・・・・・。
あなた約束してくれたじゃありませんか。「させも草」の歌を引いて・・・。
それを私は恵みの露のように思い、命とも思い、今までまっていたのに、ああ・・・・・・と。
『 作者について 』
藤原基俊 (1060~1142)
右大臣藤原俊家の子。
名門の出身ながら官途に恵まれず、従五位上左衛門佐に終わった。
院政期歌壇の指導者的存在として、源俊頼とならび称される。
俊頼の新風に対して、基俊は保守派の代表。
家集に『藤原基俊集』がある。
契りおきし させもが露を 命にて
ことし あき
あはれ今年の 秋もいぬめり (藤原基俊 ふじわらのもととし)
『 読み方 』
チギリオキシ サセモガツユオ イノチニテ
アワレコトシノ アキモイヌメリ
『 現代語訳 』
「お約束下さいました恵みの露のようなあなたのお言葉を、命としてお頼み申し上げておりましたのに、ああ、今年の秋もむなしく過ぎてしまうようでございます。」
※契りおきし・・・約束しておいた。「おき」は、下の「露」の縁語。この約束は「息子のことをよろしく頼む」と、作者が藤原忠通に依頼したことをさす。
※させもが露・・・恵みの露のようなあなたのお言葉。「させも」は蓬(よもぎ)のこと。
「させもが露」だと「蓬の上の露」ということになるのだが、ここは忠通が作者の依頼を受けたときに「なほ頼めしめじが原のさせも草・・・」という歌を引いて快諾したことをさしている。
※命にて・・・命として。唯一の頼みとしてという意味。
※あはれ・・・ああ。
※いぬめり・・・「いぬ」は「往ぬ」と書き、行くという意味。「めり」は推定の助動詞、「~ようだ」などと訳す。
この歌は、詠まれたいきさつが複雑です。
まず、作者。基俊ですね。
彼は自分の息子がかわいくてならなかった。
息子はお坊さんです。光覚(こうかく)といって、奈良の興福寺にいるのですが、この子を僧侶としてエリートコースにのせてやりたかった。
それで、基俊は光覚のことを、権力者の藤原忠通に頼んだわけです。
「今度おこなわれる儀式の大役を、ぜひとも光覚につとめさせてやって下さいませ。」
光覚は、いつもこの大役からもれていたのでした。
基俊の依頼を受けて、忠通は言いました。
「いいよ」と。
ただ、昔ですから、和歌で答えました。
なほ頼め しめじが原の させも草 われ世の中に あらむ限りは
(やはり私を頼みにしていなさい。私がこの世にいる限りは大丈夫ですよ。)
「なお頼め」というところにご注目下さい。
忠通が言いたかったのは、「やはり私を頼みにしていなさい」ということでした。
それを、ちょっとおしゃれに、和歌で答えたわけです。
ただし、この歌は、忠通が作ったわけではありません。
記憶していた他人の歌(『新古今集』では清水の観音が作った歌ということになっています)を引用して答えました。
ところが・・・・・・。
うまくいきませんでした。
息子がまた、儀式の大役からはずれてしまった。
その恨みごとを、基俊は和歌にして、忠通におくりました。
契りおきし「させもが露」を命にて・・・・・・。
あなた約束してくれたじゃありませんか。「させも草」の歌を引いて・・・。
それを私は恵みの露のように思い、命とも思い、今までまっていたのに、ああ・・・・・・と。
『 作者について 』
藤原基俊 (1060~1142)
右大臣藤原俊家の子。
名門の出身ながら官途に恵まれず、従五位上左衛門佐に終わった。
院政期歌壇の指導者的存在として、源俊頼とならび称される。
俊頼の新風に対して、基俊は保守派の代表。
家集に『藤原基俊集』がある。
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