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2013/02
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百人一首 56♪
            よ        おも で
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いま        あ
今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部 いずみしきぶ)



『 読み方 』
アラザラン コノヨノホカノ オモイデニ 
イマヒトタビノ オーコトモガナ

『 現代語訳 』
「私は間もなく死んでしまうでしょう。せめてあの世への思い出に、もう一度だけあなたにお会いしたいと思います。」

※あらざらむ・・・自分が生きていないであろう。「ざら」は打消しの助動詞、「む」は推量の助動詞。通説は、下の「この世」にかかるとする。
※この世のほか・・・あの世。
※今ひとたびの・・・もう一度。せめてもう一度だけ、という切実な気分でよく使われる表現。
※逢ふこと・・・男女が契りをかわすこと。

この歌から7人、あでやかな女流歌人の歌が並びます。
そのトップバッターが和泉式部。
恋多き人生と、言葉の間から情念の吹きこぼれるような絢爛たる歌で知られた女性です。

この歌は、病床から恋しい男性のもとにおくったもの
死にのぞんで、それでもなお思い切れない恋の執着を詠んでいます。

あらざらむ この世のほか
この表現が問題です。
あらざらむ この世のほかの思ひ出に・・・
と初句で切って解釈したほうが、すっきりするんですね。
「もう私は生きてはいないだろう。だからせめてあの世の思い出として・・・。」
それでも、初句で切る人は殆どいません。

多くの人は
あらざらむこの世のほかの思ひ出に(私が死んでいなくなるであろうこの世、その、この世のほかであるであるあの世への思い出に)
という重複してまわりくどい解釈を選びます。

そのほうが、髪の毛がからみつくような男への執着と、死にのぞんだ緊迫感がよく出るのではないか、というわけです。



『 作者について 』

和泉式部 (生没年未詳)

貞元・天元ごろ(976~979)生まれたかといわれる。
大江雅致の娘。
和泉守橘道貞と結婚し、小式部内侍を生む。
為尊・敦道両親王との恋愛の後、中宮彰子に仕え、藤原保昌と結婚。
以後の伝記は不明。
家集に『和泉式部集』がある。





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