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2013/02
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百人一首 52♪
あ        く           し
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
   うら     あさ
なほ恨めしき 朝ぼらけかな (藤原道信朝臣 ふじわらのみちのぶあそん)



『 読み方 』
アケヌレバ クルルモノトワ シリナガラ
ナオウラメシキ アサボラケカナ

『 現代語訳 』
「夜が明けてしまうと、やがて日が暮れる、そうするとまたあなたに逢えるとはわかっているけれど、それでもやはり恨めしく思われる明け方であるよ。」

※明けぬれば・・・夜が明けてしまうと。「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形。
※知りながら・・・理屈ではわかっているけれども。「ながら」は逆接の接続助詞。
※なほ・・・それでもやはり。
※朝ぼらけ・・・夜がほのぼのと明けるころ。男が女のもとを立ち去る時刻。

これも後朝(きぬぎぬ)の歌。
43句目、50句目につづいて3首目になります。

平安時代は通い婚でした。
日暮れどきに男が女のもとを訪ねます。
そして朝。
夜が明けると、男は自分の邸に帰り、なるべくはやく、女に歌をおくります。
どれだけはやいか・・・。
それが、女に対する愛情のあかしでした。

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな

ながら」と「なほ」にご注目下さい。
「理屈ではわかっていながら、やっぱり~」ということが、日常生活ではよくあります。
怒ってはいけないと、理屈ではわかっていながら、やっぱり腹が立つ。
失礼なことだと、理屈ではわかっていながら、やっぱり笑ってしまう。
理性と感情の食い違いですね。

この歌の場合
夜になればまた逢えると、理屈ではわかっていながら、やっぱり朝別れるのはつらい、といっています。
理性では割り切れない恋愛感情が素直に詠みこまれた歌ですね。



『 作者について 』

藤原道信朝臣(972~994)

右大臣帥輔の孫。
太政大臣為光の子。
母は謙徳公伊尹の娘。
兼家の養子となり、従四位上右近中将まで進んだが、23歳で夭逝。
藤原公任・実方らと親交があり、和歌の名手として知られた。
家集に『道信集』がある。





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