2013/02
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ホッコリタイム 1♪
先日にキャンプズの皆さんと富士山撮影に出掛けて参りました♪
行きの東名高速・下り線「足柄SA」で見かけたメロンパン、きん太くん。
色々な顔が並ぶ中、同じ表情で仲良さげにホッペタをくっつけるカップルパンを発見♪
可愛い様子に、ホッコリとしたひと時でしたよん♪(^^)

ん?
きん太くん(男の子)ときん太くん(男の子)だから・・・
まあ、恋愛は自由ですので深く考えないことにしますか~。(^^)

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百人一首 66♪
              おも  やまざくら
もろともに あはれと思へ 山桜
はな        し  ひと
花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊 さきのだいそうじょうぎょうそん)



『 読み方 』
モロトモニ アワレトオモエ ヤマザクラ 
ハナヨリホカニ シルヒトモナシ

『 現代語訳 』
「私がおまえをなつかしく思うように、おまえも私をなつかしく思ってくれ、山桜よ。この山の中では、花のおまえ以外に、私の心を知る友はいないのだから。」

※もろともに・・・ともに。
※あはれ・・・しみじみとなつかしい。
※思へ・・・山桜に対して、「思へ」という。下の「山桜」は「山桜よ」という呼びかけ。擬人法である。
※花よりほかに・・・花以外に。
※知る人・・・知友。自分の心を知ってくれている人。

大峰山(おおみねさん)の桜を詠んだ歌。

作者の行尊は、修行をするために大峰山にのぼりました。大峰は修験道(しゅげんどう)の霊地です。行尊がどんな修行をしていたかは分かりませんが、修験道ですから相当な荒行(あらぎょう)だったでしょうし、毎日が孤独とのたたかいだったと思われます。

そんなある日のこと。
行尊は全山鬱蒼と常緑樹が生い茂る中に、ひっそりと咲く山桜を見つけました。
枝が風に吹き折られても、けなげに花を咲かせている山桜。行尊はうれしくなってしまい、桜に呼びかけずにいられませんでした。

「おい山桜、おれの気持ちを知っているのはおまえだけだよ!」

けわしい山中での、きびしい修行・・・。
孤独な自分の姿が、孤独な山桜に重なって、行尊の胸を打ちました。



『 作者について 』

前大僧正行尊 (1055~1135)

三条天皇の皇子、敦明親王の子。参議源基平の子。
12歳で園城寺(おんじょうじ)/三井寺(みついでら)に入り、諸国の山岳修行を経て、天台座主大僧正となる。
加持祈祷(かじきとう)の誉(ほま)れが高く、白河・鳥羽・崇徳三天皇の護持僧(ごじそう)。
家集に『行尊大僧正集』がある。
よみうり こころの風景 2013♪
天空の街 075-3 ポイント明+12
大分県・由布市 狭霧台(さぎりだい)

「天空の街」  入選
選者 田沼 武能(日本写真家協会会長) 三好 和義
主催 読売新聞社
後援:[財] 休暇村協会
特別協力 カメラのキタムラ
特別協賛 富士フィルム(株) JA農協 募集協力 カメラのキタムラ



念願の「よみうり こころの風景」に入選しました~♪
ヤッタァ━━━v(*´>ω<`*)v━━━ッ!!

写真を始めてから憧れていたコンテストなので、嬉しすぎて天にも昇る気持ちでおります。
そして、Photo-ZEROの越智さん(クマコ憧れのお方)と同時入選出来たことも嬉しすぎてなりません。
今夜は、先日に頂いたシャンパンを開けさせて頂きたいと思います。
瑠衣さん、ありがとうございまーーーす!!!

例年と同じく、「よみうり こころの風景 2013」も写真集として販売されます。
越智さんは127ページに、クマコは138ページに掲載されております。
本屋さんで見かけましたら、チラッと覗いてみて下さいネ♪
ちょっと休憩 12♪
昨日、百人一首が65句目まで到達致しました♪
50句以降は少しおサボり気味でしたので、少し混同しております~。@@
今日は1句目~65句目までを念入りに復習したいと思いますので、百人一首をお休みさせて頂きます。



いつもの余談です♪

今日のような雨降りの寒い日は、春が待ち遠しくなりますね~。
「水芭蕉」・「桜」・「残雪」・「ブナの根明け」・「新緑」・「ふきのとう」
「こごみ」・「タラの芽」・「ウド」・「初ガツオ」・「ほたるいか」・「菜の花」
「たけのこ」・「空豆」等々。
冬から目覚めたばかりの自然が見せてくれる、真新しい美しさや逞しい生命力。

目と心とお腹が満たされる春の訪れを楽しみに。
空豆とビールでの再会を楽しみに、今日も1日頑張りましょう♪♪
ねっ、きりんさん♪♪♪(^^)

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百人一首 65♪
うら          そで
恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
こひ く      な    を
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ (相模 さがみ)



『 読み方 』
ウラミワビ ホサヌソデダニ アルモノオ 
コイニクチナン ナコソオシケレ

『 現代語訳 』
「あの人の薄情を恨み、自分の不幸を嘆いて、涙にかわく暇もない袖は、やがて朽ちてしまうだろう。それさえ惜しいのに、まして恋のために朽ちはててしまうわが名は、なおさら惜しまれてならない。」

※恨みわび・・・動詞「恨みわぶ」の連用形。「恨む」は相手の薄情を恨み、「わぶ」は自分の不幸の嘆きを悲しむ。
※ほさぬ袖・・・かわかずに朽ちてしまう袖。袖がかわかないのは、恋の涙に濡れ続けるからである。
※だにあるものを・・・「だに」は類推の副助詞。「~さえ」などと訳す。また、「ある」の上には「惜し」という形容詞を補って、「ほさぬ袖だに惜しくある」と解する。「ものを」は逆説の接続助詞「~のに」。
※恋に朽ちなむ・・・恋のために浮き名を流して、朽ちて(失って)しまいそうな。
※名こそ惜しけれ・・・わが名が惜しまれる。「名」は評判。

恋の苦しみを詠んだ歌。
歌合に出された歌ですからフィクションかもしれませんが、相手に裏切られ、世間からもつまはじきにされる、孤独な女の苦悩がよく伝わってきます。

この歌の要は、「だに~まして」の語法
古文の文法で「軽いものをあげて重いものを類推させる」といわれる構文です。

例をあげて確認しておきましょう。
だに恩を忘れず。(犬でさえ恩をわすれない)
まして
人は恩を忘るべからず。(人は恩を忘れるべきではない)
この場合、「犬」は軽いものです。
だから、心のある「人」は、「まして」恩を忘れるべきではない。
「犬」に対して、「人」が重いものにあたるわけですね。
「だに」の下には、それぞれ、「恩を忘れず」「恩を忘るべからず」と、同じような表現がきていることに注意して下さい。

同じ語法が、この歌でも使われています。

恨みわび ほさぬ袖だに (おしく)ある (苦悩の涙でかわかずに朽ちていく袖さえ惜しい)
まして
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ (この恋のために朽ちるわが名はもっと惜しい)

「朽ちていく袖」が軽いもの。
「朽ちるわが名」が重いもの。
犬と人との対比で確認したように、「だに」の下には、同じような表現がきます。
それで、「だに」の下に「惜しく」を補ったのですね。



『 作者について 』

相模(生没年未詳)

10世紀末に生まれ、11世紀半ばに没したと思われる。
源頼光の養女。母は慶滋保胤の娘。
相模守大江公資と結婚し、相模と呼ばれた。
夫と離婚後、修子内親王家に出仕。
数多くの歌合に参加した。
家集に『相模集』がある。
百人一首 64♪
あさ     うぢ  かはぎり
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
           せぜ    あじろぎ
あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼 ごんちゅうなごんさだより / 藤原定頼 ふじわらのさだより)



『 詠み方 』
アサボラケ ウジノカワギリ タエダエニ
アラワレワタル セゼノアジロギ

『 現代語訳 』
「夜がほのぼのと明ける頃、宇治川にかかった霧がとぎれとぎれになって、その間から点々とあらわれ始める、川瀬川瀬の網代木よ。」

※朝ぼらけ・・・夜がほのぼのと明ける頃。
※宇治の川霧・・・宇治川に立ちこめている霧。宇治川は琵琶湖に源を発し、京都盆地を経て、大阪湾に至る。上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、淀から先は淀川という。
※たえだえに・・・とぎれとぎれに。
※あらはれわたる・・・あらわれてくる。霧が晴れるにつれて、あちこちで、霧の奥の景色が次第にあらわれ、広がっていくようすをいう。
※瀬々・・・あちこちの川瀬。「瀬」は川の浅いところをいう。
※網代木・・・網代の杭(くい)。「網代」は、氷魚(ひお)をとるために、竹や木を編んで、川瀬に立てる装置。「網」の「代」わりだから、「網代」という。冬の宇治川の風物詩だった。

作者の定頼が宇治に出かけたときの作。
冬の早朝の美しい景色を、墨絵のように詠みあげた叙景歌(じょけいか)です。

山深い宇治には、平安貴族の山荘がたくさんありました。今風に言えば別荘ですね。
そのどこかに泊まった定頼が、朝起きて目にした光景は、都ではとても見られない珍しいものでした。

夜がほのぼのと明け染める頃。
宇治川に立ち込めていた霧が動き出しました。その霧の絶え間から、じわじわと姿をあらわしたのが網代です。
網代あ氷魚(鮎の稚魚)をとるための仕掛けで、冬の宇治川の風物詩として知られていました。

目をつぶって、作者の視界を想像してみてください。
パチャパチャパチャ・・・。
暗闇の中で、水を受けた網代が音を立てています。
ふいに、ほのかな光。
夜が明けてきました。
霧が流れます。
その隙間に見え隠れする・・・あれは何?
ひょっとして、あれが網代木!

網代に焦点を絞りながら、時の流れを動的につなぎとめ、冬の宇治川を一幅の淡彩画(たんさいが)に仕立てあげた技量は、まことに見事というほかありません。




『 作者について 』

権中納言定頼995~1045)=藤原定頼

公任(きんとう)の子。母は、昭平親王の娘。
正二位権中納言まで昇進。
四条中納言と呼ばれた。
能書家で、誦経(ずきょう)もうまかったといわれる。
多くの女流歌人と交流し、さまざまな逸話を残す。
家集に『権中納言定頼集』がある。
百人一首 63♪
いま     おも た
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
ひと
人づてならで いふよしもがな (左京大夫道雅 さきょうのだいぶみちまさ / 藤原道雅 ふじわらのみちまさ)



『 読み方 』
イマワタダ オモイタエナン トバカリオ
ヒトズテナラデ ユーヨシモガナ

『 現代語訳 』
「今となってはただ、『あなたのことをあきらめてしまおう』というひと言だけを、人づてではなく、直接あなたにお話しするすべがあればなあと思います。」

※今はただ・・・(恋の望みを絶たれた)今となっては、ただ。
※思ひ絶えなむ・・・すっかりあきらめてしまおう。「思ひ絶ゆ」は、断念する。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は意志の助動詞。
※とばかりを・・・「思ひ絶えなむ」とばかりを、と考える。「あきらめてしまおう」というひと言だけを、の意。
※人づてならで・・・人を介しての伝言ではなく、直接に。
※いふよしもがな・・・いうすべがあればなあ。「よし」は、方法・すべ。

藤原道雅が恋人との仲を裂かれた時に詠んだ歌。
相手の女性は、天皇の娘で、当子内親王(とうしないしんのう)という人。二人の仲を裂いたのは内親王の父、三条天皇でした。

皇女というものは、不自由なご身分です。ことに恋愛に関しては・・・。
ふつうは、一生結婚をしません。
ときどきものわかりのいい天皇がいて、地位が高く、人柄もたしかな臣下(しんか)に降嫁(こうか)させることもありましたが、それは珍しい例でした。

三条天皇に反対され、全ての望みが絶たれてしまった今。
もうあきらめないといけないということは、道雅もわかっているのです。
でも、最後にひと言、「あきらめます」と言いたい。
終わるなら終わるでいいから、自分の心にも、相手の心にも、きちんと終止符を打って、身を引きたい。
それも、手紙ではだめなんですね。
直接会って・・・。



『 作者について 』

左京大夫道雅 (992~1054)=藤原道雅

生年を993年とする説も。
内大臣藤原伊周の子。関白道隆の孫。
父伊周の失脚、当子内親王との恋愛事件など不運続きで、自暴自棄の生活をおくった。
中年以後は俗世栄達をあきらめ、平穏に過ごしたとも言われる。
百人一首 62♪
よ       とり  そらね
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
  あふさか  せき
よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 せいしょうなごん)



『 読み方 』
ヨオコメテ トリノソラネワ ハカルトモ 
ヨニオーサカノ セキワユルサジ

『 現代語訳 』
「夜の明けないうちに、鶏(にわとり)の鳴きまねで人をだましたとしても、函谷関(かんこくかん)ならいざ知らず、この逢坂の関は決して許しますまいよ。」

※夜をこめて・・・夜の明けないうちに。
※鳥の空音・・・鶏の鳴きまね。戦国時代の中国で、斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関を越えようとしたとき、鶏の鳴きまねをして関所を開かせ、無事に通過したという故事をふまえる。この故事は『史記(しき)』に見える。
※はかる・・・だます。
※よに・・・決して。下の「じ」と呼応している。「じ」は打消推量の助動詞、「~まい」などと訳す。
※逢坂の関・・・近江国(滋賀県)と山城国(京都府)の境にある関所。「逢坂」は、男女の契りを意味する「逢う」との掛詞。逢坂の関を通過することは許すまい、の意に、あなたと契りを結ぶことは許すまい、の意が重ねられていることになる。

清少納言が藤原行成(ふじわらのゆきなり)におくった歌。
恋歌ではなく、社交の歌です。
「鳥の空音」がむずかしですね。

中国の戦国時代、斉(せい)の国には田文(でんぶん)という政治家がいました。
孟嘗君と号したこの人は、食客数千人をかかえ、その名声は天下に鳴り響いていたといわれます。
孟嘗君が秦(しん)に行き、その国の王様に殺されかけたときのこと。斉に逃げ帰る途中に、函谷関という関所がありました。
しかし、その扉は一番鶏が鳴くまで開かないきまりになっています。
孟嘗君が困っていると、食客の中に、鶏の鳴きまねのうまい人がいました。
「私がひとつ鳴いてごらんにいれましょう!」
すると、不思議・・・。
まわりの鶏が、まだ夜明けでもないのに、つられて鳴き出したではありませんか。
孟嘗君は、おかげで関所を突破し、秦の国を無事に抜け出すことが出来ました。
以上は『史記(しき)』巻第七十五「孟嘗君列伝」に見える「鶏鳴(けいめい)」の故事です。
清少納言はこの故事をふまえ、「鳥の空音ははかるとも」といっているのですね。

清少納言と藤原行成は男女の関係ではありませんでしたが、夫婦漫才のように仲が良かったようです。
ある晩も二人で話をしていたところ、夜ふけに「明日は帝の物忌でこもらねばならぬから」と言って、行成が清少納言の部屋から帰りました。
その翌朝、行成は「昨夜は鶏の声にせかされて、せっかくの夜が台無しになった。」と、後朝(きぬぎぬ)のような文(ふみ)を清少納言に送りました。
それで清少納言は「何が鶏の声よ。あんな夜中に鶏が鳴くもんですか。函谷関じゃあるまいし。あなた、うそ鳴きをして私から逃げたんだね」と、漢文の故事をふまえて返事をしました。
打てば響くような清少納言の返事が面白くて、行成はまた「私が越えたいのは、函谷関じゃなくて、逢坂の関だよ」と、君との一線を越えたいという歌を送りました。
そこで清少納言は、きっぱりと「決してこの関は越えさせません」と返事をしたのが、この歌になります。




『 作者について 』

清少納言 (生没年未詳)
康保年間(964~968)に生まれ、万寿年間(1024~1028)に没したと推定。
清原元輔の娘。
橘則光と結婚。
中宮定子に仕え、その体験をもとに『枕草子』を執筆。
晩年は不幸だったというが、詳細は未詳。
家集に『清少納言集』。






雲竜渓谷♪
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栃木県 日光市 雲竜渓谷(うんりゅうけいこく)

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全体像は、こんな感じの所です。



地図上では、日光東照宮の上方に位置する雲竜渓谷。
車両通行止めのゲートから氷柱地帯までは、緩やかな林道を往路2時間程+帰路1時間半程の徒歩を要します。
(氷柱地帯では、「アイゼン」が必要。)

昨年に氷柱地帯入り口で、撮影開始直後にカメラを水没させた苦~い思い出の地。
帰り道の足の重いことといったら、言葉に出来ないものでしたよん。(TT)
今年は用心に用心を重ね、ピッケルをお供に行って参りました~。

美しい氷の造形のオンパレードに、夢中で撮り続けること9時間半。
気づくと時計の針は夕方の5時半を指していて(3枚目の写真の通り)、中間地点でタイムオーバーとなりました。
(TT)(TT)
いつになったら、ゴールまで辿り着けるのだろう。 (TT)(TT)(TT)
来年はヘルメットも持って、もっと先まで探検してきたいと思います♪(^^)

※今月末まで所用があり雲竜渓谷の掲載は来月以降の予定でしたが、思ったよりも早く用事が片付いてくれましたので掲載させて頂きした~。

百人一首 61~70♪
「百人一首 61♪」
         なら みやこ  やへざくら
いにしへの 奈良の都の 八重桜
  ここのへ
けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔 いせのたいふ)

「百人一首 62♪」
よ       とり  そらね
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
  あふさか  せき
よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 せいしょうなごん)


「百人一首 63♪」
いま     おも た
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
ひと
人づてならで いふよしもがな (左京大夫道雅 さきょうのだいふみちまさ / 藤原道雅 ふじわらのみちまさ)

「百人一首 64♪」
あさ     うぢ  かはぎり
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
           せぜ    あじろぎ
あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼 ごんちゅうなごんさだより / 藤原定頼 ふじわらのさだより)

「百人一首 65♪」
うら          そで
恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
こひ く      な    を
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ (相模 さがみ)

「百人一首 66♪」
              おも  やまざくら
もろともに あはれと思へ 山桜
はな        し  ひと
花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊 さきのだいそうじょうぎょうそん)

「百人一首 67♪」
はる よ  ゆめ        たまくら
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
      た     な   を
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ (周防内侍 すおうのないし)

「百人一首 68♪」
こころ          よ
心にも あらでうき世に ながらへば
こひ       よは  つき
恋しかるべき 夜半の月かな (三条院 さんじょういん)

「百人一首 69♪」
あらし ふ みむろ やま      ば
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は
たつた かは にしき
竜田の川の 錦なりけり (能因法師 のういんほうし)

「百人一首 70♪」
        やど た  い
さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
    おな   あき ゆふぐれ
いづくも同じ 秋の夕暮 (良暹法師 りょうぜんほうし)
百人一首 61♪
         なら みやこ  やへざくら
いにしへの 奈良の都の 八重桜
  ここのへ
けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔 いせのたいふ)



『 読み方 』
イニシエノ ナラノミヤコノ ヤエザクラ 
キョーココノエニ ニオイヌルカナ

『 現代語訳 』
「いにしえの奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、つねよりも色美しく咲きほこっていることです。」

※いにしへの奈良の都・・・かつて繁栄した奈良の都。奈良は、元明天皇から光仁天皇まで、7代70余年の都であった。
※八重桜・・・山桜の変種で、花が大きく、花弁が重なっている。他の桜より咲くのが少し遅い。11世紀初頭の京都では珍しい品種だった。
※けふ・・・今日。「いにしへ」に対していう。「京」の意を響かせると見る説もある。
※九重・・・宮中。中国の王城(おうじょう)には九重(きゅうちょう)の門をめぐらせたという故事から出た語。「八重」に対していう。
※にほひぬるかな・・・「にほふ」は、色美しく咲く。

吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草(つれづれぐさ)』に、「八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべるなり」とあります。
『徒然草』は鎌倉末期に書かれた随筆です。
伊勢大輔の時代は平安中期ですから、八重桜は珍しいものだったのですね。

その珍しい八重桜が、毎年宮中に献上されていました。
それを受けとる時に詠んだのが、この歌です。

いにしへ―けふ
八重―九重


という対の技法(「奈良―京」を入れてもいいかもしれません。)
奈(七) ― 八 ― 九
という数字の連鎖。

いにしへ 奈良
と、3度繰り返される「の」が醸し出す悠揚たる調べ。

☆この歌が詠まれた背景
奈良から僧が八重桜を持ってきた贈呈式に、一条天皇・中宮彰子(藤原道長の娘)・藤原道長・紫式部。
他にも中宮彰子の女房達も沢山いました。
最初は紫式部が八重桜の受け取り役になっていましたが、晴れがましいことを好まぬ紫式部が「今年は新参の者に・・・」と言い、新入りの伊勢大輔にこの大役を譲りました。
道長に「黙って受け取っちゃダメだよ。歌を詠みなさい。」と言われ、とっさに詠んだ歌です。

当意即妙の技巧を駆使しながら、古都の桜と王城の繁栄を同時にたたえるこの歌を伊勢大輔が詠んだとき、その場にいた貴族たちは、
「万人感歎(ばんにんかんたん)、宮中鼓動す」
と『袋草子』(平安末期の歌学書)には書かれています。



『 作者について 』

伊勢大輔 (生没年未詳)=11世紀前半の人

大中臣能宣の孫。輔親の娘。
中宮彰子に使え、紫式部、和泉式部らと親交があった。
のち、高階成順と結婚し、康資王母らを生む。
夫の死後出家し、山里に隠棲した。
家集に『伊勢大輔集』がある。
星野道夫さんの素敵な言葉たち 1♪
以前、偶然に星野道夫さんの写真展を知り、会場を訪れたこと
があります。
深い愛情・自然の厳しさが伝わる写真、写真にそっと添えられた
言葉から鳥肌が立ち、感動のあまり気づくと涙が溢れていました。
(会場で泣いていたのは私くらいですが。^^;)

クマコの夢の1つ
いつか、この目でオーロラを見たい。
そして、氷に寝そべってゴマちゃんを見つめてみたい。

そのような気持ちにさせて下さった、星野さんの素敵な言葉
たちをご紹介したいと思います。(^^)



「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。
いつか大人になり、
さまざまな人生の岐路に立った時、
人の言葉ではなく、
いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることが
きっとあるような気がする。」

「人はいつも無意識のうちに、
自分の心を通して風景を見る。
オーロラの不思議な光が語りかけてくるものは、
それを見つめる者の、
内なる心の風景の中にあるのだろう。」

「長く、きびしい冬があるというのはいいことだ。
もし冬がなければ、
春の訪れや、太陽の沈まぬ夏、
そして美しい極北の秋に
これほど感動することはできないだろう。」

「時々、遠くを見ること。
それは現実の中で、
悠久なるものとの出会いを与えてくれる。」

「風景とは言いかえれば、
人の思い出の歴史のような気もする。
風景を眺めているようで、多くの場合、
私たちは自分自身をも含めた誰かを思い出しているのではないか。
誰だって、
他人の人生を分かち合うことなんてできはしないように、
それぞれの人間にとって、
同じ風景がどれほど違って映るものなのだろうか。」

「人間の気持ちとは可笑しいものですね。
どうしようも些細な日常に左右されている一方で、
風の感触や初夏の気配で、
こんなにも豊かになれるのですから。
人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。
きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。」
ちょっと休憩 11♪
昨日、百人一首が60句目まで達成致しました~♪
残り40句、されど40句。
気を引き締めて、これまで同様にコツコツと勉強してゆきたいと思います。(^^)



さてさて、またまた毎度の余談です~。
少し前に、栃木県・雲竜渓谷へ撮影に行って参りました。
スタート地点から林道(往路2時間程+帰路1時間半チョット)を坦々と歩くコースにな
ります。

いやぁ~、キツかったです~~~。
傾斜の緩い林道なので、コース自体はそこまでハードではないのですが、歩行中に全然
撮影スポットがなくて超ヒマなんです~。
ひたすら黙々と歩いていると、次第に心までも閉ざされていくのですね~。
(TT)

そこで、百人一首を口ずさみながら歩いてみたら・・・
あら、ビックリ!?
まず、心の時間短縮になりました~。@@
そして、あまり美しくないと思っていた目の前の風景が、日本の古き良き時代・「ワビ・サビ」
の世界へとガラリと色を変えてゆくのです。@@ @@
閉ざされたクマコの心も徐々に溶け始め、気づくと氷柱地帯に到着。
ありがたや〜、百人一首♩(^^)

ちなみに、雲竜渓谷の写真はと言いますと・・・
今月末までバタバタしておりまして、雲竜渓谷の写真は落ち着きましたら掲載したいと思います。
(あまり自信がないので、お蔵入りするかもしれませんが。^^;)

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百人一首 60♪
おほえやま  の  みち  とほ
大江山 いく野の道の 遠ければ
            あま はしだて
まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 こしきぶのないし)



『 読み方 』
オーエヤマ イクノノミチノ トーケレバ 
マダフミモミズ アマノハシダテ

『 現代語訳 』
「大江山をこえ生野を通って行く道が遠いので、まだ天の橋立を踏んでみたこともありませんし、母からの文も見ていません。」

※大江山・・・山城(京都市域)と丹波(亀岡市域)の境にある老の坂峠と見る説が有力。この峠道は丹波に下るときの交通の要所で、古典では「大江山」または「大枝山」と記された。丹後(京都府加佐郡大江町)にある大江山ではないとする人が多い。
※いく野・・・地名「生野」に「行く」を掛ける。生野は丹波国天田郡(現福知山市)の地名。都を出ると「大江山」から「生野」を通って「天の橋立」に至る。
※ふみ・・・「踏み」と「文」とを掛ける。「踏み」は「橋」の縁語。「文」は手紙の意。
※天の橋立・・・丹後国与謝郡(京都府宮津市)にある。日本三景の1つ。

この歌には有名なエピソードがあります。

この歌の作者は小式部内侍。
和泉式部の娘で、美貌も歌才もお母さんゆずりの少女歌人でした。

丹後守となった夫(藤原保昌)に従って、和泉式部が丹後に下っているときのこと。
都で歌合が催されました。
小式部内侍も出場することになったのですが、以前から、世間には変な噂が流れていました。
小式部内侍の歌は、どうも母親が代作しているらしいぞ!

もしそれが本当なら、今度の歌合は大変なことになります。
何しろ、和泉式部は都を遠く離れた丹後国におり、そう簡単に連絡をとることなど出来ないのですから。
そのことに興味をもった中納言藤原定頼が宮中で小式部内侍のそばに来て言いました。
小式部内侍をからかうつもりです。
「歌はどうするつもり?丹後へはもう手紙を送ったの?返事はまだ?ふふふ・・・心配だろうね!」

小式部内侍はとっさに定頼を引き止めて歌を詠みかけました。
それがこの歌だとされています。

小式部内侍は20代半ばに若くして亡くなるまでの間に、何人もの貴公子と深い関係になり、父の違う子を何人か産んだが、生涯決まった人に妻にはならなかった。
小式部が亡くなった時に母親である和泉式部がこのような歌を詠んでいます。

とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり
肉親をこの世に残して娘は旅立ったが、あの世で一体誰のことを愛しく思っているのだろう。
やはり子供であろう。
私だって小式部が愛しいもの。

人の親のありようを詠んでいて、悲しい歌ですね。



『 作者について 』

小式部内侍 (1000?~25)

橘道貞と和泉式部の娘。
母と共に中宮彰子に出仕、母に対して小式部と呼ばれた。
多くの貴公子に愛されたが、25、6歳で病没。
母の和泉式部がその死をいたみ、多くの哀傷歌(あいしょうか)を家集に残している。
キャンプズ・ロケハン♪
一緒にいて楽しくてしょうがないキャンプズの皆さんとの撮影会に向け、今週末はロケハンに
行って参りました~♪(^^)
状況説明的な写真ばかりですので恥ずかしいのですが、この時期の富士山撮影の少しでもご
参考にして頂ければと思いまして掲載させて頂きます。

花火の写真は、「キャンプズのスラリとした美人さん兼花火職人さん」にお見せすることは出来
ないものばかりでして(^^;)
・・・山中湖のみでスミマセン。

あっ、ついでに、苦手なマクロも挑戦してきました~。
相変わらずスッゴイことになっています。私のマクロ。@@
ちなみに、この日のお楽しみは中トロでした♪
あ、話が飛び過ぎですね。
夕飯のマグロのお話ですよん♪v(^^)v

今年は、マクロも勉強したいと思っておりまして・・・

キャンプズ・マクロ名人の女性陣、お三方へ
機会がございましたら、是非是非ご教授の程をお願いしま~す。

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山中湖 山中湖交流プラザ「きらら」付近
2013.2.16 06:28
使用レンズ24-70mm 焦点距離28mm ISO200の-1段減感 f16 13秒 PL ND16 / ノートリミング

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山中湖 山中湖交流プラザ「きらら」付近
2013.2.16 06:36
使用レンズ70-300mm 焦点距離300mm ISO400 f8 1/100 / ノートリミング

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山中湖 山中湖交流プラザ「きらら」付近
2013.2.16 07:13
使用レンズ24-70mm 焦点距離58mm ISO200 f11 1/5 PL / ノートリミング

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山中湖 山中湖交流プラザ「きらら」付近
2013.2.16 08:06
使用レンズ24-70mm 焦点距離34mm ISO200 f11 1/50 PL ハーフND4H / ノートリミング

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山中湖 山中湖交流プラザ「きらら」付近
2013.2.16 16:34
使用レンズ24-70mm 焦点距離31mm ISO200 f22 1/50 ハーフND4H / ノートリミング

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山中湖 山中湖交流プラザ「きらら」付近
2013.2.16 16:46
使用レンズ70-300mm 焦点距離125mm ISO200 f11 1/1000 / ノートリミング

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イモムシコロコロ・グルリンパ♪
鉄棒前回り、もうひと頑張り。
ガンバレ~、イモムシ君!

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百人一首 59♪
         ね           よ
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
           つき み
かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門 あかぞめえもん)



『 読み方 』
ヤスラワデ ネナマシモノオ サヨフケテ 
カタブクマデノ ツキオミシカナ

『 現代語訳 』
「ためらわないで、寝てしまえばよかったのになあ。あなたを待つうちに夜が更けて、西山に傾くまでの月を見てしまいましたよ。」

※やすらはで・・・ためらわないで。「やすらふ」はためらう。
※寝なましものを・・・寝てしまえばよかったのになあ。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「まし」は反実仮想(はんじつかそう)の助動詞。「ものを」は逆説的な詠嘆をあらわす助詞。
※さ夜・・・「さ」は接頭語。「夜」というのと同じ。
※かたぶくまでの・・・「かたぶく」は、月が西山に傾く。

約束を破った男への恨みごとを、本人にかわって詠んだ歌。

男が破ったのは、「今夜行くよ」という約束でした。
そういって期待させておきながら、男は来なかった。
その翌朝、朝まで待ち明かした女にかわって、赤染衛門がこの歌を詠み、男におくったというわけです。

約束を破った男は、のちに関白になる藤原道隆。
ただし、このときはまだ少将でした。24、5歳の若者です。
朝まで待ち明かした女は赤染衛門の姉妹。
この姉妹が、姉なのか妹なのか、また年がいくつで、どんな人だったのか・・・。
詳しいことは分かりませんが、赤染衛門は20歳前後であったと推定されています。



『 作者について 』

赤染衛門 (生没年未詳)

天徳2年(958年)頃の生まれかと思われます。
長久2年(1041念)までは生存。
赤染時用の娘。
藤原道長の妻、倫子に仕え、その娘の彰子のもとにも出入りした。
著名な文人、大江匡衡と結婚。
『栄花物語(えいがものがたり)』の作者かと言われる。
家集に『赤染衛門集』。

冬の日光 2♪
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栃木県日光市 光徳沼 (こうとくぬま)
百人一首 58♪
ありまやま ゐな ささはら かぜ ふ
有馬山 猪名の笹原 風吹けば
     ひと  わす
いでそよ人を 忘れやはする (大弐三位 だいにのさんみ)



『 読み方 』
アリマヤマ イナノササハラ カゼフケバ 
イデソヨヒトオ ワスレヤワスル

『 現代語訳 』
「有馬山に近い猪名の笹原に風が吹くと、そよそよと音をたてます。
さあ、それですよ、あなたのことを私が忘れたりするはずがありません。」

※有馬山・・・神戸市兵庫区有馬町にある山。温泉地としても有名。
※猪名の笹原・・・「猪名」は尼崎市猪名川町付近の平地。京から有馬に行く途中にあり、昔は一面の笹原だったという。
※風吹けば・・・風が吹くこと。ここまでが、「いでそよ」の「そよ」を導く序詞となっている。
※いで・・・勧誘・決意・反発などの場合に用いる感動詞。「さあ」などと訳す。
※そよ・・・笹の葉音の「そよそよ」に、「それですよ」の意を掛ける。前者は擬音語の「そよ」。後者は代名詞「そ」に助詞の「よ」が添ったもの。
※人・・・相手の男をさす。
※忘れやはする・・・忘れるか、いや忘れるはずがない。「やは」は反語。

紫式部のひとり娘、大弐三位が詠んだ歌
『後撰和歌集』の詞書には、「離(か)れ離(が)れなる男の、おぼつかなくなど言ひたるに詠める」とあります。

離れ離れなる男の(あまり通って来なくなった男が)
「離れ離れなり」という言葉は、男女が疎遠になることをいいます。

「おぼつかなく」など言ひたるに詠める。
(「気がかりです」などといったので詠んだ歌)
「おぼつかなし」は「気がかり」だという意味。
「君が浮気をしているのではないかと思うと気がかりだ」というのですね。
自分が来ないくせに勝手なものです。
大弐三位もむっとしたことでしょう。

以上のようないきさつで詠まれたのが、この歌です。
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば」までが序詞ですから、とりあえずこの部分をはずし、作者の言いたいことを明確にしてみましょう。
いでそよ人を忘れやはする
(さあそれですよ!あなたを忘れたりするものですか!)
「そよ」は「それよ」というのと同じです。
「それ」が受けているのは、男の言ってきた「おぼつかなし(気がかりだ)」という言葉。
冗談じゃない、浮気が気がかりなのは私のほうですよ、と。
「人を忘れやはする」というのは反語なので、かなり強い語気になります。
私があなたを忘れるはずがないではないか、という感じです。
身勝手なことを言ってくる男に、巧妙な技巧を使ってきっぱりと言い返しているわけですね。

また、この歌は序詞も優れております。
まやま いささはら ぜふけ
あ段の音が多く、その美しい韻律(いんりつ)が「いでそよひとを 忘れやはする」という主想部の強気な内容をやさしく包みこんでいます。

そして、序詞に描かれる風景。
猪名の笹原に風がわたり、そよそよと葉ずれの音がするというのは、まことにさびしい。
作者の心象風景も印象づけております。

強がりを言っても、私はあなたから離れるとさびしいわ
という矛盾した女心を序詞でかたちにしていて、見事な歌ですね。



『 作者について 』

大弐三位 (999~?)

紫式部の娘、藤原賢子(かたこ)。
父は宣孝。
はじめ中宮彰子に仕え、越後の弁と呼ばれたが、のちに後冷泉天皇の乳母(めのと)となり、三位典侍に栄進。
藤三位と呼ばれる。
のち太宰大弐高階成章と結婚し、大弐三位という称ができた。
家集に『藤三位集』。

冬の日光 1♪
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栃木県日光市 中禅寺湖

先週末に久しぶりに日光へ行って参りました~。
寒い朝でしたので湖面には朝靄が立ち込め、オレンジ色の朝陽を拝むことが出来て感無量です。
溶けゆく氷の結晶は儚くも美しい輝きに満ち溢れ、時に木の葉や羽毛のように姿を変えては私の心
を掴んで放しませんでした。

繊細な美しさを表現できるようになること。
クマコの永遠の課題です~。
いつになることやら。(^^;)
百人一首 57♪
          み               ま
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
くも        よは  つき
雲がくれにし 夜半の月かげ (紫式部 むらさきしきぶ)



『 読み方 』
メグリアイテ ミシヤソレトモ ワカヌマニ 
クモガクレニシ ヨワノツキカゲ

『 現代語訳 』
「久しぶりにめぐりあって、見たのはその人かどうかも見分けがつかないうちに、雲間にかくれてしまった夜半(やはん)の月のように、あの人は慌しく帰ってしまったよ。」

※めぐりあひて・・・表面は「月」とのめぐりあいをいい、裏には「友だち」とのめぐりあいをいう。
※見しやそれとも・・・見たのがそれ(月・友だち)かどうかとも。
※わかぬ間に・・・見分けがつかないうちに。「わか」は動詞「分く」の未然形。
※雲がくれにし・・・「雲がくる」は雲に隠れて見えなくなる。裏に、友だちが作者と別れて姿を消したことをいいこめる。
※夜半の月かげ・・・「夜半」は夜ふけ。「月かげ」は月光。「月」は友だちの比喩。

幼友だちとの束の間の再会と、その名残惜しさを詠んだ歌
紫式部の少女時代の作品だと考えられています。
『紫式部集』の詞書(歌の成立事情が書かれた部分)を読んでみましょう。

早うより童(わらは)友だちなりし人に(ずっと前から幼友だちであった人に)
年ごろ経て行き会ひたるが(何年もたって出会ったのだが)
「年ごろ」は「お年ごろ」ではありません。「長年」という意味。
ほのかにて(ほんのちょっとで)
対面の時間が短すぎました。それで、顔がちゃんと分からなかった。
何年も会っていないと、子供は顔が変わってしまいます。
そのことを、歌の中では「それともわかぬ(あの人かどうか見分けがつかない)」といっています。
七月十日のほど(7月10日ごろ)
もちろん陰暦です。10日の月は、夜の10時ごろ沈んでしまいます。
月に競ひて帰りにければ(月が沈むのと競争するように帰ってしまったので)

それで詠んだのが、この歌というわけですね。



『 作者について 』

紫式部 (970?~1014ごろ)

越前守藤原為時の娘。
藤原宣孝と結婚し、賢子(大弐三位)を生んだが、3年足らずで夫と死別。
その後、『源氏物語』を書き始めたといわれる。
のち、中宮彰子に出仕し、晩年まで仕えた。
家集に『紫式部集』がある。

百人一首 56♪
            よ        おも で
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いま        あ
今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部 いずみしきぶ)



『 読み方 』
アラザラン コノヨノホカノ オモイデニ 
イマヒトタビノ オーコトモガナ

『 現代語訳 』
「私は間もなく死んでしまうでしょう。せめてあの世への思い出に、もう一度だけあなたにお会いしたいと思います。」

※あらざらむ・・・自分が生きていないであろう。「ざら」は打消しの助動詞、「む」は推量の助動詞。通説は、下の「この世」にかかるとする。
※この世のほか・・・あの世。
※今ひとたびの・・・もう一度。せめてもう一度だけ、という切実な気分でよく使われる表現。
※逢ふこと・・・男女が契りをかわすこと。

この歌から7人、あでやかな女流歌人の歌が並びます。
そのトップバッターが和泉式部。
恋多き人生と、言葉の間から情念の吹きこぼれるような絢爛たる歌で知られた女性です。

この歌は、病床から恋しい男性のもとにおくったもの
死にのぞんで、それでもなお思い切れない恋の執着を詠んでいます。

あらざらむ この世のほか
この表現が問題です。
あらざらむ この世のほかの思ひ出に・・・
と初句で切って解釈したほうが、すっきりするんですね。
「もう私は生きてはいないだろう。だからせめてあの世の思い出として・・・。」
それでも、初句で切る人は殆どいません。

多くの人は
あらざらむこの世のほかの思ひ出に(私が死んでいなくなるであろうこの世、その、この世のほかであるであるあの世への思い出に)
という重複してまわりくどい解釈を選びます。

そのほうが、髪の毛がからみつくような男への執着と、死にのぞんだ緊迫感がよく出るのではないか、というわけです。



『 作者について 』

和泉式部 (生没年未詳)

貞元・天元ごろ(976~979)生まれたかといわれる。
大江雅致の娘。
和泉守橘道貞と結婚し、小式部内侍を生む。
為尊・敦道両親王との恋愛の後、中宮彰子に仕え、藤原保昌と結婚。
以後の伝記は不明。
家集に『和泉式部集』がある。





ちょっと休憩 10♪
昨日、百人一首が55句目まで到達致しました~♪
ヽ(*´∀`)ノオメデト─ッTさん♪ヽ(*´∀`)ノオメデト─ッきりんさん♪ヽ(*´∀`)ノオメデト─ックマコ♪

あと45句。
ゴールは、あと少しですね~。

会社のTさん、きりんさん、私。
ゴール目指して、頑張りましょう!!
がんばろ~○(*ゝω・´)oみんな♪


毎度の余談ですが・・・

昨年、秋田へ行った時に「いぶりがっこ」のファンになりました。
近頃では「いぶり人参」なるものも販売されているとか。
あの芳しい香りと「ポリポリッ」とした歯応えが恋しくなり、「いぶりがっこ」と「いぶり人参」
をお取り寄せ中でして、今日到着予定です~。
今宵は「ようこそ、いぶりがっこ~♪」を、存分に楽しみたいと思います♪(^^)

ここで一句
「 高清水 いぶりがっこに 夢の原 起き惑はせる 朝ぼらけかな 」
食いしん坊カメラマンの一句ですねぇ。(*^◯^*)
芭蕉風を目指すものの、ラズウェル細木風な気も。( ̄◇ ̄;)

※「いぶりがっこ」。
大根などを囲炉裏の上につるして燻製にしてから、主に米糠と塩で漬けこんだもので、
燻製にする点を除けばタクアン漬けと似ています。
囲炉裏火の煙で燻されるため、表面に茶色あるいは黒い色が付き、味も燻製の香りが
ついた独特のものになります。
スモーキーなタクアンといったところでしょうか。
ちなみに、「がっこ」とは秋田の方言でして、お漬け物のことになります。
※ラズウェル細木さん・・・クマコが尊敬する作家。


というわけで、いつものセリフになりましたが
今日は1句から55句までの復習を致しますので、百人一首はお休みさせて下さい。

幻光に包まれて
百人一首 55♪
たき おと  た   ひさ
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
な   なが       き
名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任 だいなごんきんとう / 藤原公任 ふじわらのきんとう)



『 読み方 』
タキノオトワ タエテヒサシク ナリヌレド 
ナコソナガレテ ナオキコエケレ

『 現代語訳 』
「滝の音は、聞こえなくなってから長い年月がたってしまったけれど、その名声だけは流れ伝わって、今もなお世間に知られていることだ。」

※滝・・・大覚寺の滝。嵯峨上皇が9世紀に作った。この歌が詠まれている頃には、水がかれていたとも、かれかけていたともいわれる。
※絶えて・・・滝の水音が聞こえなくなって。
※なりぬれど・・・なってしまったけれど。
※名・・・名声。
※流れて・・・流れ伝わって。「滝」の縁語。
※聞こえけれ・・・「聞こゆ」は「有名だ・世に知られている」という意で、「音」の縁語。

大覚寺に行って、嵯峨上皇の遺愛の滝を詠んだ歌。

嵯峨野の大覚寺。
そこは、もともと嵯峨上皇の離宮でした。
上皇はその中に滝を落とし、見て楽しむ為に滝殿を作ったと伝えられています。

それから百数十年がたちました。
公任のころになると昔日の面影はなく、滝の水もかれて、あるかなきか・・・。
それでも、滝の名声だけは依然として変わることがないと公任はいいます。
きのおとは えて」
こそがれて ほ」
というように、頭の音をそろえた流麗な調べ。
その中に、「滝―流れ」「音―聞こえ」といった縁語をそっと忍ばせています。
技巧的な歌ですね。



『 作者について 』

大納言公任=藤原公任(966~1041)

関白太政大臣藤原頼忠の子。
正二位権大納言まで昇進。
四条大納言と呼ばれた。
漢詩・和歌・管弦の道にすぐれ、博識で有職故実(ゆうそくこじつ)にも詳しかった。
当代歌壇の指導的地位にあり、編著も多数。
家集に『公任集』がある。



百人一首 54♪
わす     ゆ すゑ
忘れじの 行く末までは かたければ
けふ  かぎ   いのち
今日を限りの 命ともがな (儀同三司母 ぎどうさんしのはは)



『 読み方 』
ワスレジノ ユクスエマデワ カタケレバ 
キョーオカギリノ イノチトモガナ

『 現代語訳 』
「いつまでも忘れまいというあなたの言葉が、遠い将来まで頼みにしがたいものだから、そういってくださる今日を最後とする命とあってほしいと思います。」

※忘れじの・・・あなたを忘れまいという。「忘れじ」は夫の言葉。「じ」は打消意志の助動詞。
※かたければ・・・むずかしいので。「かたけれ」は形容詞「かたし(難し)」の已然形。
※今日を限りの命・・・今日を最後として死んでゆく命。
※命ともがな・・・命であってほしい。「と」は格助詞。「もがな」は願望の終助詞。

作者のもとに夫が通い始めた頃に読んだ歌。
今風にいうと結婚当初の歌ですね。
作者の夫は関白藤原道隆。
道隆は53句目に出てきた藤原兼家の息子で、たいした苦労もなく父の政権を受け継ぎました。
作者は、その正妻にあたります。

「忘れじの」が少し分かりにくいですね。
これは、
「(いつまでも)忘れじ」(というあなたの言葉)
と考えて下さい。
「いつまでも忘れないよ、というあなたの言葉が」という意味です。

それが、
行く末までは(たのみ)難ければ
「遠い将来まで頼みがたいから・・・」。
今日を限りの命ともがな
「今日を最後の命であってほしい」。

「結婚のはじめに、あなたは永遠の愛を誓って下さる。
私は嬉しいけれど、本当に永遠なんてものがあるのでしょうか?
そう思うと、私はその言葉を聞いた今、幸福の絶頂で死んでしまえたらと思います。」
というわけです。



『 作者について 』

儀同三司母 (?~996)

高階成忠の娘。
藤原伊周(ふじわらのこれちか)の母。
本名、貴子。
円融天皇に仕え、高内侍(こうのないし)と呼ばれた。
のち、藤原道隆と結婚。
伊周・隆家(たかいえ)・定子(ていし)を生む。
道隆の死後、「中の関白家(なかのかんぱくけ)」の没落により、不幸な晩年を過ごした。
漢詩文をよくした才女として知られる。
百人一首 53♪
なげ         ぬ  よ   あ   ま
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
    ひさ           し
いかに久しき ものとかは知る (右大将道綱母 うだいしょうみちつなのはは)



『 読み方 』
ナゲキツツ ヒトリヌルヨノ アクルマワ 
イカニヒサシキ モノトカワシル

『 現代語訳 』
「くり返し嘆きながら、ひとり寝をする夜の明けるまでの間が、どんなに長いものか、あなたはご存じないでしょう。」

※嘆きつつ・・・(夫の来ないことを)くり返し嘆きながら。
※明くる間は・・・夜が明けるまでの間は。
※いかに久しき・・・どんなに長い。「久しき」は形容詞「久し(=長い)」の連体形。
※ものとかは知る・・・「かは」は反語。「~か、いや~ない」などと訳す。「知る」の主語は夫。

『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の作者、藤原道綱母が詠んだ歌です。
道綱母は「本朝(ほんちょう)三美人」の1人。
とびきりの美貌とすぐれた歌才で知られる女性ですが、本名は伝わっていません。

彼女は藤原兼家の第二夫人でした。
当時は一夫多妻の時代です。兼家には、正妻だった時姫という女性のほかにも愛人もたくさんおり、道綱母は、そのことが腹立たしくてしようがありませんでした

道綱が生まれて間もなくのころ。
彼女は、夫が他の女にあてた恋文を発見してしまいます。
夫が帰ってから人にあとをつけさせてみると、思ったとおり、また新しい愛人をつくっていました。
それも、名も無いような(自分もそうなのですが)、下町に住む女です。
嫉妬に怒りふるえた彼女は、兼家が来ても、家の者に門を開けさせませんでした。

すると、兼家はさっさとその女のところへ・・・。
その翌朝、「うつろひたる菊(色のあせた菊)」に添えて、夫におくったのがこの歌でした。

色のあせた菊は、愛情がおとろえたことを暗示しています



『 作者について 』

右大将道綱母 (937頃~995)

陸奥守藤原倫寧の娘。
天暦8年/954年、藤原兼家と結婚、翌年に道綱を生んだ。
本朝三美人の1人に数えられるほどの美貌と、すぐれた歌才で知られた。
夫との不如意な結婚生活を記した『蜻蛉日記』の作者としても著名。
百人一首 52♪
あ        く           し
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
   うら     あさ
なほ恨めしき 朝ぼらけかな (藤原道信朝臣 ふじわらのみちのぶあそん)



『 読み方 』
アケヌレバ クルルモノトワ シリナガラ
ナオウラメシキ アサボラケカナ

『 現代語訳 』
「夜が明けてしまうと、やがて日が暮れる、そうするとまたあなたに逢えるとはわかっているけれど、それでもやはり恨めしく思われる明け方であるよ。」

※明けぬれば・・・夜が明けてしまうと。「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形。
※知りながら・・・理屈ではわかっているけれども。「ながら」は逆接の接続助詞。
※なほ・・・それでもやはり。
※朝ぼらけ・・・夜がほのぼのと明けるころ。男が女のもとを立ち去る時刻。

これも後朝(きぬぎぬ)の歌。
43句目、50句目につづいて3首目になります。

平安時代は通い婚でした。
日暮れどきに男が女のもとを訪ねます。
そして朝。
夜が明けると、男は自分の邸に帰り、なるべくはやく、女に歌をおくります。
どれだけはやいか・・・。
それが、女に対する愛情のあかしでした。

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな

ながら」と「なほ」にご注目下さい。
「理屈ではわかっていながら、やっぱり~」ということが、日常生活ではよくあります。
怒ってはいけないと、理屈ではわかっていながら、やっぱり腹が立つ。
失礼なことだと、理屈ではわかっていながら、やっぱり笑ってしまう。
理性と感情の食い違いですね。

この歌の場合
夜になればまた逢えると、理屈ではわかっていながら、やっぱり朝別れるのはつらい、といっています。
理性では割り切れない恋愛感情が素直に詠みこまれた歌ですね。



『 作者について 』

藤原道信朝臣(972~994)

右大臣帥輔の孫。
太政大臣為光の子。
母は謙徳公伊尹の娘。
兼家の養子となり、従四位上右近中将まで進んだが、23歳で夭逝。
藤原公任・実方らと親交があり、和歌の名手として知られた。
家集に『道信集』がある。





キャンプズ撮影会・装備 クマコ編♪
今月に控えております、富士山周辺での「キャンプズ」の撮影会。
かなりハードスケジュールを企てておりますが、先程に夕食で家族と話したところ・・・
家族全員から、「皆さんに、きちんと装備のご案内をしなさい!」と叱られました。

確かに、そうでした。
私もPhoto-ZEROにお世話になる前は、完全防寒には程遠いものだったのですよね。
メンバーに手取り足取り教えて頂いて、今のフル装備にして頂いたことをスッカリ忘れていました。
大いに反省中のクマコです。(^^;)

滅多に行く機会のない撮影になられるかと思いますので、下記装備と全く同じ装備は勿体
ないかもしれません。
下記装備をご参考にして頂き、「備えあれば憂いなし」で充分な装備で臨んで頂ければ
と思います。
もし、寒さに耐えられない状況になりましたら、撮影は一旦中止して暖かい場所へ避難し
ましょう。



ではでは、今度の富士山周辺でのクマコの装備はといいますと
「しっかり素材+高性能」なのに「お財布に優しい」モンベル製品で、いつも全身を守って
おりますので、今度の撮影会も全身モンベルクマコで参りたいと思います♪


「 上半身 」
①アンダーウェアー (1番下に着る物)
『スーパーメリノウールEXP.ハイネックシャツ』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1107243
ウール100%で「保温力」「かいた汗の蒸散」はダントツです。

②ミドルウェアー (中間着)
『メリノウール トレールシャツ』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1104864

③ミドルウェアー その2(薄手のダウン)
『EXライトダウンジャケット』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1101345


④アウターウェアー (防水・防風及び、ウェアー内の温かい空気を外に逃がさない)
http://webshop.montbell.jp/goods/list.php?category=142000

⑤ネックウォーマー or マフラー

⑥帽子 (耳あて付き)
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1108788

⑦手袋
薄手+スキー用の手袋


「 下半身 」
①アンダーウェアー (1番下に着る物)
『スーパーメリノウールEXP.タイツ』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1107245
ウール100%で「保温力」「かいた汗の蒸散」はダントツです。

②ミドルウェアー (中綿入りパンツ)
『U.L.ダウンパンツ 』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1101382


③アウターウェアー (防水・防風及び、ウェアー内の温かい空気を外に逃がさない)
『アルパインサーマシェルパンツ』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1102390

④靴下
『メリノウール トレッキング ソックス』
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1108644

⑤スノーブーツや防寒用の長靴
http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E3%82%BD%E3%83%AC%E3%83%AB+%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%96%E3%83%BC/-/f.1-p.1-s.1-sf.0-st.A-v.3



以上が大まかな装備になります。
上記装備は1番寒い時間帯を想定しておりまして、1番寒い時間帯の撮影時は上記装備 + 「貼るカイロ」を10点貼りするつもりです。
日中に暑くなりましたら 上半身 「③の薄手のダウン」、 下半身 「②の中綿入りパンツ」は脱いで体温調整をするつもりです。

(※1)カイロ6点貼り
バイクの記事で知りました。
太い血管が流れているところに貼ると効果テキメンとのこと。
「両わきの下」(2)+「両太ももの内側。股の付け根あたり」(2)+「お腹」(1)+「背中。肩甲骨と肩甲骨の間」(1)=6

(※2)最強クマコバージョン、カイロ10点貼り
カイロ6点貼り(6)+「薄手の手袋の上から、両手の平に」(2)+「スノーブーツ内に、カイロの中敷」(2)=10

(※3)このカイロ10点貼りのご案内は、今回の富士山周辺撮影用です。
登山や長距離を歩く時は、汗冷えの原因になりますのでカイロはつけません。
百人一首 51~60♪
「百人一首 51♪」
                        ぐさ
かくとだに えやはいぶきの さしも草
    し      も   おも
さしも知らじな 燃ゆる思ひを (藤原実方朝臣 ふじわらのさねかたあそん)

「百人一首 52♪」
あ        く           し
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
   うら     あさ
なほ恨めしき 朝ぼらけかな (藤原道信朝臣 ふじわらのみちのぶあそん)

「百人一首 53♪」
なげ         ぬ  よ   あ   ま
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
    ひさ           し
いかに久しき ものとかは知る (右大将道綱母 うだいしょうみちつなのはは)

「百人一首 54♪」
わす     ゆ すゑ
忘れじの 行く末までは かたければ
けふ  かぎ   いのち
今日を限りの 命ともがな (儀同三司母 ぎどうさんしのはは)

「百人一首 55♪」
たき おと  た   ひさ
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
な   なが       き
名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任 だいなごんきんとう / 藤原公任 ふじわらのきんとう)

「百人一首 56♪」
            よ        おも で
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いま        あ
今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部 いずみしきぶ)

「百人一首 57♪」
          み               ま
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
くも        よは  つき
雲がくれにし 夜半の月かげ (紫式部 むらさきしきぶ)

「百人一首 58♪」
ありまやま ゐな ささはら かぜ ふ
有馬山 猪名の笹原 風吹けば
     ひと  わす
いでそよ人を 忘れやはする (大弐三位 だいにのさんみ)

「百人一首 59♪」
         ね           よ
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
           つき み
かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門 あかぞめえもん)

「百人一首 60♪」
おほえやま  の  みち  とほ
大江山 いく野の道の 遠ければ
            あま はしだて
まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 こしきぶのないし)
百人一首 51♪
                        ぐさ
かくとだに えやはいぶきの さしも草
    し      も   おも
さしも知らじな 燃ゆる思ひを (藤原実方朝臣 ふじわらのさねかたあそん)



『 読み方 』
カクトダニ エヤワイブキノ サシモグサ
サシモシラジナ モユルオモイオ

『 現代語訳 』
「こんな気持ちでいるとさえ、あなたに言う事が出来ません。
ですから、伊吹山(いぶきやま)のさしも草ではないが、それほどまでのものとはご存知ないのでしょうね。
私の火のように燃える思いを。」

※かくとだに・・・「かく」は副詞で「このように」。「かく」の具体的内容は、「こんなに恋慕っている」ということ。「だに」は類推の副助詞で、「~でさえ」。
※えやは・・・副詞「え」+係助詞「や」「は」。疑問・反語を表す。~できようか、いや~できない。
※いぶき・・・「言ふ」と「伊吹(いぶき)」との掛詞。伊吹は伊吹山のこと。滋賀県と岐阜県の境にある山。栃木県にあるという説もある。
※さしも草・・・よもぎの異名。灸(きゅう)に用いる「もぐさ」の」原料。「いぶきのさしも草」は、同音反復で「さしも」にかかる序詞。
※さしも・・・そうとも。
※知らじな・・・知らないだろうな。「じ」は打消推量の助動詞。
※思ひ・・・「思ひ」の「ひ」が、「火」との掛詞。

好きな女性に、はじめて恋心を打ち明けた歌。
手の込んだ技巧を駆使しているので、かなり分かりにくくなっています。
野暮ですが、技巧をはずして、裸にしてみましょう。

まず、「いぶき」に「言ふ」と「伊吹」が掛かっているというところがくせ者です。
思い切って、「伊吹」を無視してみます。
① 「かく」とだに えやはいふ

次に、「いぶきのさしも草」という序詞を抜き、さらには、「さしも知らじな燃ゆる思ひを」で起こっている倒置を元に戻します。
② 燃ゆる思ひを さしも知らじな

これで意味が明確になります。
① 「こんなに好きです」とさえ、私はあなたに言う事が出来ません。
② 私の燃える思いを、あなたは知らないのでしょうね。

技巧については、以下のとおりです。
  「いぶき(言ふ・伊吹)」「思ひ(思ひ・火)」: 掛詞 (文脈を二重にする)
  <伊吹のさしも草>さしも: 序詞 (同音反復の言葉遊び)
  「さしも草(もぐさ)」はお灸に使う⇒お灸に使うと「」に「燃ゆる」: 縁語 (連想による言葉遊び)



『 作者について 』

藤原実方朝臣(?~998)

藤原忠平の曾孫。
侍従定時の子。
円融(えんゆう)・花山(かざん)両院の寵遇を受け、宮廷で華々しい生活をおくった。
左近衛中将に進んだが、のち陸奥守に左遷。
失意のうちに任地で没した。
家集に『実方朝臣集』がある。
プロフィール

クマコ

Author:クマコ
Photo-ZEROに所属。
自然風景が大好きです♪

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