fc2ブログ
2013/01
≪12  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31   02≫
ちょっと休憩 9♪
昨日、百人一首が50句目まで到達致しました~~~♪
昨年10月28日から、土日・祝日・撮影日を除いて「1日1句」マイペースに学習してきた百人一首も
いよいよ折り返し地点です~!
☆彡(ノ´U`)ノ☆彡ヘ(´U_`ヘ)☆彡(ノ´U`)ノ☆彡 Congratulations!!

今日は1句目から50句目までの復習を致しますので、百人一首はお休みさせて下さい。



またまた、いつもの余談ですが・・・

~ 先日の友人との会話より ~

友 人 : 「な~に急に、百人一首の勉強を始めたの?」
クマコ : 「古語の勉強と・・・。」
       「全部覚えたら、百人一首大会も出来るんだよ~♪」( *'σv')ぅみゅ♪
友 人 : ・・・・・・

大人数で開催する「百人一首大会」。
賑やかで、楽しそうですね~♪
(*´-ω・)ん?(*´-ω・)ん?(*´-ω・)ん?
賑やかで、楽しい???
その瞬間、クマコの手から7本の白羽の矢が放たれました。
ビュ~ン♪ビュ~ン♪ビュ~ン♪ビュ~ン♪ビュ~ン♪ビュ~ン♪ビュ~ン♪

琴の音色をBGMに、芝生に敷かれた赤い布の上で百人一首大会♪♪
さぞかし、風流なキャンプとなることでしょう♪♪♪
.+゚*。:゚+( ノ∀`)ポッ.+゚*。:゚+

百人一首を全句マスター出来ますように。(祈)
来月予定しております『キャンプズ』の撮影会で、無事に富士山が見えますように。(祈)(祈)
今年こそ、ダイエット成功しますように。(祈)(祈)(祈)

星の数ほど浮かぶ思いを、夜空に託します。

星に願いを 25.1.28再レタッチ-2
『 星に願いを 』 Hasselblad  500CM
スポンサーサイト



百人一首 50♪
きみ     を         いのち
君がため 惜しからざりし 命さへ
なが       おも
長くもがなと 思ひけるかな (藤原義孝 ふじわらのよしたか)



『 読み方 』
キミガタメ オシカラザリシ イノチサエ
ナガクモガナト オモイケルカナ

『 現代語訳 』
「あなたに逢うためなら死んでも惜しくないと思っていた命までが、逢瀬を遂げた今は、末長くあればよいと思うようになりましたよ。」

※君がため・・・あなたとの恋が成就するためには。
※惜しからざりし・・・惜しくなかった。「ざり」は打消しの助動詞「ず」の連用形。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。
※命さへ・・・命までもが。「さへ」は添加をあらわす副助詞。「~までも」などと訳す。
※長くもがな・・・長くありたい。「もがな」は願望をあわらす終助詞。「~であればなあ」などと訳す。

これは、はじめて女性と契りをかわしたあとで詠んだ歌でしょう。
義孝の歌を集めた「義孝集」。
その詞書(ことばがき)に、「人のもとより帰りて、つとめて(早朝)」とあるので、後朝(きぬぎぬ)の歌であることがわかります。
後朝の歌というのは、共寝(ともね)の翌朝、女性と別れたあとで、男性が女性のもとに届ける歌のことでしたね。

技巧を使わず、自分の気持ちをストレートに詠んだ歌ですね。
死んでもいいから結ばれたい ⇒ 逢瀬 ⇒ やっぱり死にたくない。
逢瀬をはさんで変化した自分の気持ちを、素直に詠みあげています。

ただし・・・。
以上は通説です。
通説は、「君がため」を「惜しからざりし」にかけ、「あなたと結ばれるなら死んでも惜しくはなかった」と考えています。
しかし、それはおかしいのではないか、という意見も出されているのです。

義孝はあつく仏教に帰依(きえ)していました。仏教では「来世(らいせ)」の極楽成仏ということを願います。
現世などどうでもいい・・・。
それが「惜しからざりし命」だというのですね。
つまり、「来世を思うと別に惜しくもなかった命までが、惜しいと思うようになったのは、あなたと結ばれたからだ」と考えるわけです。



『 作者について 』

藤原義孝(954~974)

謙徳公、藤原伊尹の三男。
三跡の1人、行成の父。
子供の頃から仏教への信心があつく、「生き返って法華経をよみたいから、火葬にしないでほしい」と遺言したという。
痘瘡(とうそう)にかかり、21歳で夭逝。
家集に『義孝集』がある。
イチロー名言集
☆イチローさんの名言
いつも「さすが、イチロー。」と感心しております。
今日は、少しご紹介させて頂きますね。(^^)



『小さいことを積み重ねるのが、
 とんでもないところへ行く
 ただひとつの道だと思っています』

『今自分にできること。
 頑張ればできそうなこと。
 そういうことを積み重ねていかないと、
 遠くの大きな目標は近づいてこない』

『自分が全く予想しない球が来たときに、どう対応するか。
 それが大事です。
 試合では打ちたい球は来ない。
 好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。』

『最初は真似みたいなところから始まりますよね。
 いろんな人のフォームを真似たりして。
 何となく今の自分がいるという感じはありますよね。』

『結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
 決してあきらめない姿勢が、
 何かを生み出すきっかけをつくる。』

『苦悩というものは前進したいって思いがあって
それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。
だから苦悩とは飛躍なんです。』

初心忘るべからず
今日、素晴らしい言葉を目にしました。
見透かされているようで、身に沁みます~。
いつも現状に満足することなく、いつまでも貪欲でありたいと強く思いました。(^^)



「初心忘るべからず」 (一般的解釈)

「初心忘るべからず」という言葉は、室町時代に世阿弥が「花鏡(かきょう)」と
いう作品の中で、能楽を習う時の心構えとして述べた言葉です。
この言葉を「最初に思い立ったことを最後まで貫こう」の意味で捉えている方も多い
ようですが、実はそうではないようです。

「初心」とは、「芸を始めたばかりの未熟な状態」を指しており、『初めて何かを
やろうと思った時の真面目な心を忘れてはいけない』という意味になります。

何かを長くやっていると慣れてきて、初めの真面目さが薄れ、怠け心が起きたり、
自分が優れていると思い込み、自分に満足するようになりやすいですが、そういう
気持ちを戒める意味があるようです。

初心の真面目さを長く続けるのは難しいですが、物事の完成度を高めるためには、
大切な心構えなのでしょうね。
百人一首 49♪
        ゑじ     ひ   よる  も
みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え
ひる き            おも
昼は消えつつ ものをこそ思へ (大中臣能宣 おおなかとみ の よしのぶ)



『 読み方 』
ミカキモリ エジノタクヒノ ヨルワモエ
ヒルワキエツツ モノオコソオモエ

『 現代語訳 』
「みかきもりである衛士のたく火が、夜は燃え昼は消えるように、私も夜は恋しさに胸をこがし昼は身も心も消え入るほどで、毎日もの思いに沈むばかりです。」

※みかきもり・・・「御垣守」と書く。宮中の諸門を警護する人。
※衛士のたく火・・・「衛士」は諸国の軍団から毎年交代で上京し、宮中を警護した兵士。夜はかがり火をたいて、宮門を守るのが職務の1つだった。「衛士のたく火の」までが序詞。
※夜は燃え昼は消えつつ・・・前からは「(衛士のたく火が)夜は燃え昼は消えつつ」、後ろへは「(自分の心身が)夜は燃え昼は消えつつ」と、2つの意味をかねる。「つつ」は反復を示す接続助詞。毎日毎日「夜は燃え昼は消え」という状態であることがわかる。
※ものをこそ思へ・・・もの思いをする。「思へ」は「こそ」の結びで已然形になっている。

恋心のあやしさを詠んだ歌。

この歌は大中臣能宣の作ではないと、はやくから疑われてきました。
能宣の家集にこの歌が見えないこと。
また、これとそっくりな歌が作者不詳として他の本に伝えられていること。
そうした様々な理由から、これは、作者不詳の歌が能宣の歌だということにされてしまったのではないか。
そう推理されているわけです。

歌の構造は、48句目の源重之の歌とよく似ています。
この歌の実質的内容は、

(恋をする私の身も心も)夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ
(夜は燃え上がり、昼は消え入るように、毎日もの思いに沈んでいます)

というもの。
そして、その実質的内容の比ゆ的な映像が、

みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ

の部分です。
私の心は、まるで宮中のガードマンがたくかがり火のよう・・・。
昼は消え、夜は燃えあがる。
人を思う心のあやしさが、暗闇に燃えあがるかがり火の中に、鮮明なかたちを与えられています。



『 作者について 』

大中臣能宣(921~991)

頼基の子。
輔親の父。
頼基・能宣言・輔親と、親子三代にわたって、祭主で歌人。
天暦5年/951年、梨壺の五人の1人として和歌所の寄人となり、『万葉集』の訓読と『後撰和歌集』の編集にあたった。
三十六歌仙の1人。
家集『能宣集』。
百人一首 48♪
かぜ      いは  なみ
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
          おも
くだけてものを 思ふころかな (源重之 みなもとのしげゆき)



『 読み方 』
カゼオイタミ イワウツナミノ オノレノミ
クダケテモノオ オモーコロカナ

『 現代語訳 』
「風が激しいので、岩を打つ波が自分だけ砕け散るように、私だけが心も砕けるほどもの思いをするこの頃であるよ。」

※風をいたみ・・・風が激しいので。「AをBみ」の形は、「AがBなので」と訳す。「いたみ」の「いた」は、形容詞「いたし(=はげしい)」の語幹。 
※風をいたみ岩うつ波の・・・ここまでが「くだけて」を導き出す序詞。
※おのれのみ・・・自分だけ。「のみ」は限定を示す副助詞。
※くだけて・・・「波が砕ける」意と、「心が砕ける」意を重ねもつ。

片思いのつらさを嘆いた歌。

この歌は序詞の部分が少し分かりにくくなっています。
難しい理屈はさておき、まず、何をいっているのかを明確にしておきましょう。
思い切って、この歌を2つのブロックに分けてみます。

おのれのみ くだけてものを 思ふころかな

片思いですから、「自分だけが心も砕けるばかりにもの思いをしている」といっています。
これが実質的内容です。
歌の作者が本当にいいたいことですね。

この実質的内容を、鮮明に映像化しているのが、歌の前半にある次の部分です。

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて

風が強いので、岩に波がびちあたります。
岩はびくともしないのに、波だけが砕け散ってゆく。
「岩」に片思いの相手の女性、「波」に作者をあてはめてみて下さい。
今の自分の恋は、岩にぶちあたる波のようなものだよ、と。
作者の絶望的な恋の状況が、私たちにもよく伝わってきますね。



『 作者について 』

源重之(?~1000)

清和天皇の曾孫。
従五位下兼信の子。
のち、伯父の参議源兼忠の養子となった。
地方の下級官吏を歴任したあと、最後は陸奥の地で没したといわれる。
平兼盛・藤原実方らと交流があり、三十六歌仙の1人。
家集に『重之集』がある。


ありがとうございました!!
Photo-ZERO 
第1回写真展 『 四季の彩 』(全国巡回展)



昨年6月2日のモンベル・グランベリーモール店での開催に始まり、全国11店舗を巡回させて頂いた写真展。
昨日モンベル・渋谷店で最終日を迎え、お陰様で無事に幕を閉じることが出来ました。

モンベルスタッフの皆様へ
お忙しい中、いつも笑顔でご親切に接して下さいましてありがとうございました。
皆様の細やかなお気遣いに、メンバー一同心から感謝しております。
ありがとうございました!!

ご来場下さいました皆様へ
お忙しい中、ご来場下さいましてありがとうございました。
温かいお言葉・励みになるお言葉・在り難いアドバイス等々をお聞かせ頂き、とても勉強になりました。

皆様が芳名帳に残して下さった、厚さ3cmにも及ぶ多くのメッセージ。
昨日、1ページ目から最終ページまで全て読ませて頂きました。
「写真を頑張ってきて良かったぁ。」と改めて感じる多くのお言葉に、感謝以外の言葉が見つかりません。
私たちの宝物にさせて頂きたいと思います。
本当に、ありがとうございました!!

8ヶ月という長期間の写真展。
終わってしまった今感じる気持ちは、学生時代に経験した文化祭が終わった後に残る、どこにも置き場がない気持ちに似ています。
メンバーと一生懸命協力し合った日々、ご来場下さった方々との楽しい時間。
そのような熱くも楽しい時間が過ぎ去った今、達成感・満足感・幸福感と共に、心にポッカリと穴が開いたような寂寥感を感じております。

・・・と柄にもなく感傷に浸っているクマコですが、昨日早速メンバーからハッパをかけて頂きました。
1月の終わりに「第1回写真展」を無事終了したけれど、6月には「第2回写真展」が控えていると。
6月にモンベル・グランベリーモール店で、再び皆様とお会い出来ることを心の糧に。
そして、いくつも浮かぶ夢の1つ1つに手が届くよう、今出来ることを精一杯、1つ1つ丁寧に向き合ってゆきたいと思います。

いつもながら文章をまとめることが下手でして、長文となり申し訳ございません。
皆様、本当に、本当に、ありがとうございました!!!


Photo-ZERO クマコこと伊藤政子

蛍来い 012_6229 2012.9.30 トリミング-5
百人一首 47♪
やへむぐら     やど
八重葎 しげれる宿の さびしきに
ひと  み    あき  き
人こそ見えね 秋は来にけり (恵慶法師 えぎょうほうし)



『 読み方 』
ヤエムグラ シゲレルヤドノ サビシキニ
ヒトコソミエネ アキワキニケリ

『 現代語訳 』
「むぐらがいく重(え)にも生い茂っているさびしい邸(やしき)に、人は誰も訪ねて来ないが、秋だけはやって来たことだなあ。」

※八重葎・・・いく重にも生い茂ったむぐら。「むぐら」は蔓性(つるせい)の雑草。荒れた邸を形容するときによく使われた言葉である。
※しげれる宿・・・「る」は存続の助動詞「り」の連体形。「~している」などと訳す。「宿」は家のこと。
※さびしきに・・・さびしいところに。「さびしいのに」「さびしいので」と解する説もある。
※人こそ見えね・・・「こそ~已然形」で文が終わらないときは、逆説で後ろにつづくことがある。ここも、「人は見えないけれども」。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。
※来にけり・・・「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は詠嘆の助動詞。

作者の恵慶法師が河原院にいたとき。
「荒れたる宿に秋来(きた)る」という題で詠まれた歌です。

「宿」は家のことであり、宿屋とか旅館の意味ではありません。
ふつうの文章では「家」というのに、和歌では「宿」という。
他にも、鶴(つる)を「たづ」、蛙(かえる)を「かわず」と表現します。
この種の言葉を歌語(かご)と呼んでいます。

荒れ果てた家には人が来ません。
人が来ないのに秋が来た。
それがさびしさをそそるという、わかりやすい素直な歌ですね。



『 作者について 』

恵慶法師(生没年未詳)

10世紀後半の人。
詳しい経歴は不明。
播磨(はりま)の国の講師(諸国の国分寺に置かれた僧官)だったという。
「梨壺の五人」など、当時の一流歌人と交流。
とりわけ安法法師と懇意。
家集に『恵慶法師集』。
百人一首 46♪
ゆら      わた ふなびと   た
由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへ し    こひ みち
行方も知らぬ 恋の道かな (曽禰好忠 そねのよしただ)



『 読み方 』
ユラノトオ ワタルフナビト カジオタエ
ユクエモシラヌ コイノミチカナ

『 現代語訳 』
「由良の海峡をこぎ渡ってゆく舟人が、櫂(かい)がなくなって行方もしらず漂うように、どうなってゆくのか見当もつかない恋のなりゆきであるよ。」

※由良のと・・・「由良」は地名。京都府宮津市由良とも、和歌山県日高郡由良町ともいわれ、それぞれに根拠がある。「と」は「門」と書き、水の出入り口。瀬戸・海峡のことである。
※かぢを絶え・・・かじがなくなり。「かぢ」は櫓(ろ)や櫂(かい)など舟をこぐ道具の総称。「たえ」は自動詞「絶ゆ」の連用形で、「なくなる」という意。「を」は格助詞と見る説、名詞「緒(お)」で「紐(縄)」と訳すなど諸説あるが、ここでは訳す必要のない間投助詞(かんとうじょし)と見ておく。
※恋の道・・・恋のなりゆき。

先行きの読めない恋の不安を詠んだ歌です。
「由良のとを渡る舟人かぢを絶え」が序詞
「行方も知らぬ」をはさんで、文脈が2つに分かれています。

                            
由良のとを渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ 恋の道かな
         

由良の海峡を渡る舟人の櫂(かい)がなくなると、「行方も知らぬ」という状況になります。
そのように、「行方も知らぬ」のが恋のなりゆき。

もちろん「  」の文脈が大切な部分です。
でもこれだけなら、別になんということもありませんよね。
「これからどうなっていくんだろう」なんて、恋をしている人なら誰もが持つ感想です。
その感想にかたちを与え、上手な比喩になっているのが「  」の文脈。

荒波の海峡で途方にくれている舟人。
潮の流れのただ中で、流れに身をまかすしかない舟の情景が、思い通りにならず、これからどうなっていくのか分からない恋の不安を、鮮明に映像化しています。



『 作者について 』

曽禰好忠(生没年未詳)

10世紀後半の人。
長く丹後掾(たんごじょう)をつとめたので、「曽丹後(そたんご)」「曽丹(そたん)」と呼ばれた。
官位が低い上に、自尊心が強く偏狭な性格だったので、当時の社交界にはいれられなかった。
死後、革新的な歌人から再評価を受ける。
家集に『曽丹集』。

※丹後掾(たんごじょう)
浄瑠璃語りのこと。
浄瑠璃を語ることを職業にする人。浄瑠璃太夫。
ちょっと休憩 8♪
『日々是勉強』をモットーに、「1日1句」ずつ学習している「百人一首」。
先日に45句目まで到達致しました~♪
わぁいヽ(∀`ヽ●)(ノ●´∀)ノ わぁい♪わぁいヽ(∀`ヽ●)(ノ●´∀)ノ わぁい♪

毎度のことながら、話はガラリと変わりますが・・・
今年6月に開催予定のPhoto-ZERO写真展「水のある風景(仮題)」に向けてお休み中の登山。
メンバーに山のことを教わりながら、おととしの秋に大雪山縦走や長野県燕岳の山小屋連泊等々、
少しずつチャレンジして参りました。

『 焦らずマイペースに。1歩1歩進むことが大切。 』
と教えてくれた登山。
登山中は辛くても、頂上を踏みしめた時の達成感は登山ならではのものだと思います。
そのような登頂時の達成感を思い浮かべながら、ここ「百人一首山」で日々勉強しております。
゚.+:。(*´v`*)゚.+:。

「百人一首山」の頂上からは、どのような景色が広がっているのでしょう?
お天気が良ければ、「万葉集山」・「古今和歌集山」・「新古今和歌集山」・「芭蕉山」が見えるとか
見えないとか。
「百人一首山」を無事下山したら、「芭蕉山」へも寄ってみようかな♪
山男さんの気持ちが、よ~く分かる今日この頃であります。

またまた、いつもの脱線をしておりますネ。(^^;)
ということで、今日は1句~45句を復習したいと思いますので、「百人一首」はお休みさせて頂きます。
(*⌒∇⌒*)

DSC_1430 25.1.13レタッチ-2
百人一首 45♪
              ひと  おも
あはれとも いふべき人は 思ほえで

身のいたづらに なりぬべきかな (謙徳公 けんとくこう / 藤原伊尹 ふじわらのこれただ)



『 読み方 』
アワレトモ ユーベキヒトワ オモオエデ
ミノイタズラニ ナリヌベキカナ

『 現代語訳 』
「私のことをあわれだと言ってくれるはずの人は思い浮かばないで、私は恋こがれながらむなしく死んでしまいそうですよ。」

※あはれ・・・本来は「ああ」という意味の感動詞。ここでは「かわいそうでいとおしい」という気持ち。
※いふべき人・・・いってくれるはずの人。
※思ほえで・・・思われないで。「思ほえで」は、「思ほゆ」に、打消の接続助詞「で」がついたもの。「思ほゆ」は思われるの意。
※身の・・・わが身が。「の」は主格の格助詞
※いたづらになり・・・「いたづらに」は、本来「むだに」という意味。生命をむだにするというところから、「いたづらになる」で「死ぬ」の意となる。
※なりぬべきかな・・・なってしまいそうだよ。「ぬ」は完了(強意)の助動詞。「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形。「ぬべし」で「~てしまいそうだ」などと訳す。「かな」は詠嘆の終助詞。

伊尹は上流階級に生まれ、容貌にも才能にも恵まれたプレイボーイでした。
その伊尹が、好きだった女性に捨てられた傷心を詠んだ歌

(私のことを)「あはれ」ともいふべき人

この「人」が誰をさすか、昔からいろいろな意見が出されています。
しかしここでは、「自分のことをわかってくれて、同情も愛情も寄せてくれる女性」と考えておきましょう。

そういう人は誰も思い浮かばないのですね。
そうして言外(げんがい)に、あなたしかいない、という気持ちがこもっています。
あなたに捨てられると、私にはもう誰もいないのだ、と。

さらに、

身のいたづらに なりぬべきかな

と続きます。
私はあなたに思い焦がれたまま、むなしく死んでいくにちがいない。
もちろん、「それがかわいそうと思うなら、もう一度戻ってきてほしい」
という気持ちがこもっています。



『 作者について 』

謙徳公=藤原伊尹(924~972)

伊尹は「これまさ」あるいは「これただ」と読む。
九条右大臣帥輔の長男。
貞信公忠平の孫。
正二位摂政太政大臣。
和歌所の別当として、「梨壺の五人」を監督し、『後撰和歌集』完成のために尽力。
家集に『一条摂政御集』がある。




キャンプズwithまろしんさん♪
キャンプズwithまろしんさん
2013.1.20  ~ Photo-ZERO写真展「四季の彩」 モンベル渋谷店にて ~ 


昨日、写真展会場にキャンプズの皆さんがお越し下さいました♪
皆さんと4ヶ月ぶりの再会を喜んでいると・・・

なななななんと!
スペシャル(艸゚`*(艸゚`*(艸゚`*(艸゚`*)ェエェエェエェエ!!!
某GANREFサイトで『今をときめくスナイパー姫こと“まろぬっしーさん”』が!
暫くして、『温和なスゴ腕カメラマンこと“しんのすけさん”』がご来場下さいました!!

憧れのお二人、そして大好きなキャンプズの皆さんとお会い出来る機会は滅多にあ~りません。
そこで、皆さんにお願いして集合写真を撮らせて頂きました♪
(厳密には、キャンプズのBさんのカメラで撮って頂きました。)
名付けて、「キャンプズwithまろしんさん♪か~ごめ、か~ごめ~♪♪」です。

この写真のポイントは、壁に写る繋がれた手と手の影。
そして、照明のキラリ。
そして、そして、仲睦まじい皆の姿です♪
ここで、まろちゃんにお詫びを。
まろちゃん、ごめんね。
モンベル渋谷店さんでは、まろちゃん大好物の太陽や月は調達出来ませんでした。
次回、機会がありましたら太陽・月&星で撮り直しましょう♪
やったああぁぁぁぁ(ノ*´_●`)人(*`・∀・´*)人(´●_`*)ノぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!

BGMは
「ち~きゅうは~ひ~と~つ~♪ち~きゅうは~ひ~と~つ~♪お~、がっちゃま~ん、がっちゃま~~~ん♪♪」
懐かしの「ガッチャマン」の主題歌です。
年齢がバレバレですね~。@@

スペースシャトル内のような
スカイダイビング中のような
イッツ・ア・スモールワールドのような
万華鏡のような
不思議な集合写真に大満足です~。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

あっ。Σ(゚Д゚ノ)ノ
1つだけ心残りなことがありました。(´;ω;`)ウゥゥ
生まろぬっしーさんにお会いできたらお願いしたかった
「なままろぬっしーさん、なままろぬっしーさん、なままろぬっしーさん」3回連続早口言葉対決。
まさかのご来場に舞い上がってしまい・・・忘れておりました。
まろぬっしーさん、いつかお手合わせ願いま~す♪

ではでは
皆様、賑やかで愉快な夜をありがとうございました♪(*⌒∇⌒*)

(注1)私を含め、皆さん照れ屋さんですので顔はボカしてありますが、本当は目も鼻も口もあります。
(注2)クマコ以外は美人・美男さんですよん♪(^^)
百人一首 44♪
あ       た
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
ひと  み    うら
人をも身をも 恨みざらまし (中納言朝忠 ちゅうなごんあさただ / 藤原朝忠 ふじわらのあさただ)



『 読み方 』
オーコトノ タエテシナクワ ナカナカニ
ヒトオモミオモ ウラミザラマシ

『 現代語訳 』
「もし逢うということがまったくなかったなら、かえってあの人の無情さをも、わが身のはかなさをも、恨みに思うことはなかっただろうに。」

※逢ふ・・・男女が契りを結ぶ。
※絶えてし・・・「たえて」は、「まったく」。「し」は強調の副助詞で、現代語訳しない。
※なくは・・・「なく」は形容詞「なし」の連用形。「形容詞連用形+は」で仮定条件をあらわす。「なくは」で、「もしないならば」。
※なかなかに・・・かえって。
※人をも身をも・・・「人」は相手、「身」はわが身。つれない相手をも、はかないわが身をも。
※恨みざらまし・・・「ざら」は打消の助動詞「ず」の未然形。「まし」は反実仮想(はんじつかそう)の助動詞。上の仮定条件(この歌の場合は「なくは」)と呼応して、「もし~ならば、~だろう」などと訳す。

これも、40句目や41句目と同じく、「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」に出された歌です。

反実仮想の構文に注意して下さい。
反実仮想というのは、事実に反する仮想をめぐらすというもの。
いろいろなバリエーションがありますが、おおまかにいえば、

「~仮定条件・・・・・まし」

という形をとります。
これで、「もし・・・・・だったならば、・・・・・だっただろうに」という意味。

例えば
鳥ならましかば、飛びて行かまし
「もし鳥だったならば、飛んで行っただろうに」
事実をいえば、人間は鳥ではありません。だから、飛んでも行けない。
でも、その事実に反して、「もし鳥だったならば・・・・・」という想像をめぐらすわけです。
これが反実仮想です。

この歌も、贅肉を落として、反実仮想のところだけを明確にしてみましょう。

逢ふことなくは、恨みざらまし

もしあの人に逢うことがなかったならば、恨みに思うこともなかっただろうに・・・・・。
事実をいえば、あの人には逢っているわけです。
同時に、恨みにも思っている。
その事実を逆にして、「もし逢わなかったなら・・・・・」と想像することで、作者はどうしようもない現実に、一瞬の救いを求めているのかもしれませんね。



『 作者について 』

中納言朝忠=藤原朝忠(910~966)

三条右大臣藤原定方の五男。
左中将・参議などを経て、従三位中納言まで昇進。
土御門中納言ともいう。
和歌のほかに、笙(しょう)の名手でもあった。
三十六歌仙の1人。
家集に『朝忠集』。


百人一首 43♪
あ  み    のち こころ
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
むかし    おも
昔はものを 思はざりけり (権中納言敦忠 ごんちゅうなごんあつただ / 藤原敦忠 ふじわらのあつただ)



『 読み方 』
アイミテノ ノチノココロニ クラブレバ
ムカシワモノオ オモワザリケリ

『 現代語訳 』
「あなたと契りを結んだあとのこの切なさに比べると、あなたと契りを結ぶ前は、もの思いなどしなかったのと同じですよ。」

※逢ひ見ての・・・「逢ひ見る」は男女が契りを結ぶという意味。
※後の心・・・契りを結んだあとの心。恋が成就(じょうじゅ)した現在の心境である。
※昔・・・相手と契りを結ぶ前。
※思はざりけり・・・「ざり」は打消の助動詞「ず」の連用形。「けり」は詠嘆の助動詞。

「逢ひ見る」という言葉は、男女が関係を結ぶ、という言葉です。
それ以前と、以後とでは、人の心が変わってくる・・・。
そういう心境の変化を詠んだのがこの歌です。

まず、恋。
相手にあこがれ、いいなと思い、イライラしながら、手紙のやりとりをします。
この段階では、ただ逢いたい一心です。
そのうちにチャンスが訪れて、恋の成就。
これが逢瀬(おうせ)ですね。

ところが、やって来たものは、待っていたものとは違いました。

待っていたときは、逢瀬を迎えると消えると思っていた、あのイライラ。それが、逢ったあとも消えなかった。
垣根を越えても、まだイライラしています。

「逢い見ての後」と「(逢ひ見ぬ)昔」。
どうやら、イライラの質が変わってしまったようですね。



『 作者について 』

権中納言敦忠=藤原敦忠(906~943)

左大臣藤原時平の三男。
母は在原棟梁(ありわらのむねなや)の娘かという。
従三位権中納言まで昇進。
三十六歌仙の1人。
和歌のほかに、琵琶の名手でもあった。
家集に『敦忠集』がある。

百人一首 42♪
ちぎ           そで
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
すゑ まつやま なみこ
末の松山 波越さじとは (清原元輔 きよはらのもとすけ)



『 読み方 』
チギリキナ カタミニソデオ シボリツツ
スエノマツヤマ ナミコサジトワ

『 現代語訳 』
「かたく約束しましたね、お互いに涙に濡れた袖を幾度もしぼっては、あの末の松山を浪(なみ)が越えることはないように(末永く心変わりしないように)しようと。」

※契りきな・・・「契る」は約束する。「き」は過去の助動詞。「な」は感動をあらわす終助詞。
※互(かたみ)に・・・互いに。かわるがわる。
※袖をしぼりつつ・・・「袖をしぼる」は、涙に濡れた袖をしぼること。「つつ」は反復をあらわす接続助詞。「何度も~しては」などと訳す。
※末の松山・・・宮城県多賀城市(たがじょうし)にある歌枕(うたまくら)
※浪越さじ・・・波が越すようなことはしないでおこう。「じ」は打消意志の助動詞。

元輔が人に頼まれて代作して歌。
心変わりをした女におくる歌を作ってくれ、というのが依頼の内容でした。
まず、倒置があります。
本来の文脈は、

かたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとはちぎりきな

これを、
「契りきな!」
倒置することで、読者にインパクトを与えます
「何を約束したんだ!」と興味を引くわけですね。

むずかしいのは、「末の松山」です。
これは「古今集」にある、別の歌をふまえた表現。

君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪も越えなむ
「あなたをさしおいて、浮気心を私がもったなら、あの末の松山を浪が越えてしまうでしょう。」

「末の松山」というのは、宮城県多賀城市に遺跡がありますが、実際はどこのことだかはっきりとは分かっていません。
海辺にありながら、絶対に波をかぶらないということで有名でした。
そこから、「末の松山」を「浪が越す」といえば、「絶対にありえない」ということの比喩表現になりました。



『 作者について 』

清原元輔(908~990)

清原深養父の孫。
清少納言の父。
官位は低かったが、歌人として活躍。
天暦5/951年和歌所の寄人(よりうど)となり、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)らとともに、『万葉集』の訓読と『後撰和歌集』の編集にあたった。
三十六歌仙の1人。
家集に『元輔集』がある。

目から鱗 「夜明け前」編♪
幾つかある、夜明け前を表す言葉。
「それぞれ微妙に違うのだろうなぁ~。」と、あまり気に留めずにスルーしてきましたが
分かり易い解説がありました♪(^^)

Scan1_20130116130440.jpg
古語辞典より


「百人一首 30♪」
ありあけ       み   わか
有明の つれなく見えし 別れより
あかつき  う
ばかり 憂きものはなし (壬生忠岑 みぶのただみね)

「百人一首 31♪」
あさ     ありあけ つき み
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
よしの さと  ふ  しらゆき
吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則 さかのうえのこれのり)

 ありあけ
※有明・・・陰暦の毎月16日以後、空に月が残ったまま夜が明けること。その頃の夜明け。また、その頃の月。

直接体験過去の「き」♪
前々回に勉強した『「けり」にケリをつけましょう1♪』の続きになります。

前回勉強した
けりの意味」は
①間接伝聞の過去「~たそうだ」
②会話文(心中)・和歌は詠嘆「~だったなあ」
でしたね。



今日勉強する
の意味」は
直接体験過去「~た」
※実際に体験したことになります。

の活用」
未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形
(せ)     ○      き     し     しか    ○



係助詞「こそ」に係る文末は、已然形で結ぶので

「百人一首 41♪」
こひ         な       た
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
ひとし       おも
人知れずこそ 思ひそめしか (壬生忠見 みぶのただみ)


これで2つある過去の助動詞、「けり」と「き」を完全マスターですね♪
(v´∀`)ハ(´∀`v)ヤッタネ☆




百人一首 41~50♪
「百人一首 41♪」
こひ         な       た
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
ひとし       おも
人知れずこそ 思ひそめしか (壬生忠見 みぶのただみ)

「百人一首 42♪」
ちぎ           そで
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
すゑ まつやま なみこ
末の松山 波越さじとは (清原元輔 きよはらのもとすけ)

「百人一首 43♪」
あ  み    のち こころ
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
むかし    おも
昔はものを 思はざりけり (権中納言敦忠 ごんちゅうなごんあつただ / 藤原敦忠 ふじわらのあつただ)

「百人一首 44♪」
あ       た
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
ひと  み    うら
人をも身をも 恨みざらまし (中納言朝忠 ちゅうなごんあさただ / 藤原朝忠 ふじわらのあさただ)

「百人一首 45♪」
              ひと  おも
あはれとも いふべき人は 思ほえで

身のいたづらに なりぬべきかな (謙徳公 けんとくこう / 藤原伊尹 ふじわらのこれただ)

「百人一首 46♪」
ゆら      わた ふなびと   た
由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへ し    こひ みち
行方も知らぬ 恋の道かな (曽禰好忠 そねのよしただ)

「百人一首 47♪」
やへむぐら     やど
八重葎 しげれる宿の さびしきに
ひと  み    あき  き
人こそ見えね 秋は来にけり (恵慶法師 えぎょうほうし)

「百人一首 48♪」
かぜ      いは  なみ
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
          おも
くだけてものを 思ふころかな (源重之 みなもとのしげゆき)

「百人一首 49♪」
        ゑじ     ひ   よる  も
みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え
ひる き            おも
昼は消えつつ ものをこそ思へ (大中臣能宣 おおなかとみ の よしのぶ)

「百人一首 50♪」
きみ     を         いのち
君がため 惜しからざりし 命さへ
なが       おも
長くもがなと 思ひけるかな (藤原義孝 ふじわらのよしたか)
百人一首 41♪
こひ         な       た
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
ひとし       おも
人知れずこそ 思ひそめしか (壬生忠見 みぶのただみ)



『 読み方 』
コイスチョー ワガナワマダキ タチニケリ
ヒトシレズコソ オモイソメシカ

『 現代語訳 』
「恋をしているという私の噂は、早くも立ってしまったよ。人に知られないように、ひそかにあの人を思いそめたのに。」

※恋すてふ・・・恋をしているという。「てふ」は「といふ」の転じた形。
※名・・・評判、噂。
※まだき・・・早くも。
※にけり・・・「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は詠嘆の助動詞、終止形。
※人知れず・・・人に知られないで。
※こそ~しか・・・「しか」は過去の助動詞「き」の已然形(いぜんけい)。「こそ~しか」で逆説の条件句をつくる。

これも忍ぶ恋を詠んだ歌。
「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」で、この歌が40句目の兼盛の歌に負けたことは、前の項で確認済みですね。

三句切れで、倒置が起こっています。
本来は、
人知れずこそ思ひそめしか、恋すてふわが名はまだき立ちにけり。
という形。

係り結びという文法事項で構成されています。
「こそ」という助詞を使うと、それが係って、結びが已然形になります。

この係り結び関連の文法事項の中に、「こそ~已然形」で下に文が続く時は逆説になる、というものがあります。 
現代語で例をあげますと
「私はあなたを尊敬こそすれ、見下げたりなど決してしてはおりませんよ。」

この「こそ~すれ(サ変動詞「す」の已然形)」にご注目下さい。
逆説になっていますね。

同じことが、この歌の「こそ~しか」でも起こっています。
この「しか」のあとは、逆説です。
「人に知られないようにあの人を愛し始めたのに、恋をしているという私の噂は早くも立ってしまった」という意味ですね。



『 作者について 』

壬生忠見(生没年未詳)

壬生忠岑の子。
10世紀中ごろ、天暦・天徳期に活躍した歌人。
『古今和歌集』の選者の1人。
官位は低かったが、歌人として卓越。
歌合の歌のほかに、多くの屏風歌がある。
三十六歌仙の1人。
家集に『忠見集』がある。

ちょっと休憩7♪
なななな、なんと
先週の金曜日に「百人一首」が40句目まで到達致しました~♪
゚+.( *≧∇)ノノノ*.オオォォ☆゚・:*☆

昨年10月28日からスタートし、土日祝日・撮影日を除いての40句達成。
「進んでは休んで」・「休んでは戻って」を繰り返してきましたので、非常に感慨深いものがあります。
(ノД`。)ホロリ ヒャクニンイッシュのベンキョウトイウヨリモ・・・スゴロクミタイ  100デオワレナカッタリシテ???

ということで、今日は1句~40句を復習しますので「百人一首」はお休みさせて頂きます。
今日も「抜き打ちテスト大会」頑張るぞぉ~♪
(*⌒∇⌒*)

DSC_1552.jpg
Photo-ZERO写真展 『四季の彩』
Photo-ZERO 写真展 「 四季の彩 」 

開催日時  2013/01/12(土)~26(土)
開催場所  モンベル渋谷店 
住   所  150-0042 渋谷区宇田川町11-5 モンベル渋谷ビル
営業時間  10:30~21:00 /スパイスマジック10:30~21:00
定 休 日   不定休、駐車場なし

土日は、極力メンバーが滞在させて頂く予定です。
お近くへお越しの機会がございましたら、是非是非お立ち寄り下さ~い♪(^^)

※セミナー等で写真展会場を使用中は、写真展をご覧頂けない時間帯がございます。
セミナー開催予定日は、下記の通りになります。
1月16日(水)18:00〜20:00
1月17日(木)19:00~20:30
1月19日(土)14:00〜16:00
1月20日(日)13:00~14:00
1月23日(水)19:00〜20:30




image4-3.jpg
念願のクマ男君(?)&ポスター&雪景色をパチリ♪
本当はD3S・ストロボ・三脚を持参して違うイメージを撮りたかったのですが、またまた携帯です。
今年も、根性無しクマコです~。(^^;)

image2 - コピー

image3.jpeg

image - コピー
渋谷店の様子です。
携帯で撮影したので、画像が悪くて申し訳ございません。

昨年の6月から開催のPhoto-ZERO写真展『四季の彩』(全国巡回展)。
早いもので残すところ2週間となり、名残惜しい気持ちで一杯です。


モンベルサロン・モンベルスタッフの皆様へ
お忙しい中、いつも笑顔で接して下さり、細かいお気遣いに感謝しております。
本当に、ありがとうございました!!

会場へご来場下さった皆様へ
沢山のご来場、沢山の心温まるお言葉にメンバー一同感謝しております。
皆様から頂いたお言葉を励みに、次の目標に向けて頑張りたいと思います。
百人一首 40♪
         いろ い          こひ
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
    おも    ひと と
ものや思ふと 人の問ふまで (平兼盛 たいらのかねもり)



『 読み方 』
シノブレド イロニイデニケリ ワガコイワ
モノヤオモート ヒトノトーマデ

『 現代語訳 』
「私の恋は、心の中につつみ隠していたけれども、顔色に出てしまったよ。『何かもの思いをしているのですか』と人が尋ねるほどに。」

※しのぶれど・・・思いを心の中につつみこんでいるけれど。
※色・・・顔色。
※出でにけり・・・「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は詠嘆の助動詞。主語は第三句の「わが恋」。
※ものや思ふ・・・「もの思ふ」は恋の思案をということが多い。「や」は疑問の係助詞。
※人・・・周囲の人。

これは歌合(うたあわせ)に出した歌。
忍ぶ恋をうたっています。

しのぶれど、色に出でにけり。

二句切れですね。
「色」の意味が「顔色・そぶり」だとわかれば、説明の必要はないと思います。
私の恋は、隠していても、顔色やそぶりにあらわれてしまった!
そして、それは、

「ものや思ふ」と 人の問ふまで
「何かもの思いがあるの?」と人が尋ねるほどに。

この「ものや思ふ」は、巧みな趣向です。
他人の言葉を直接話法で書くことによって、表現が客観化されています
忍ぶ恋に苦しむ人が、
「そのときはつらくて、自分は顔色まで変わっていました」というよりも
「『どうしたの?あなた、顔色おかしいよ』と他人にきかれました」
というほうが、本当らしく感じられるでしょう?
これが表現の客観化です。

調べのよさと、洗練された表現。
歌合にふさわしいあざやかな詠みぶりの1首です。



『 作者について 』

平兼盛(?~990)

光孝天皇の曾孫、篤行王の子。
初めは兼盛王と称していたが、天暦(てんりゃく)4年/950年、越前権守(えちぜんごんのかみ)となり、臣籍にくだる。
『後撰和歌集』の時代の代表的歌人。
歌論や説話集に多くの逸話が残っている。
三十六歌仙の1人。
家集に『兼盛集』がある。

百人一首 39♪
あさぢふ   をの しのはら しの
浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど
           ひと こひ
あまりてなどか 人の恋しき (参議等 さんぎひとし / 源等 みなもとのひとし)



『 読み方 』
アサジウノ オノノシノハラ シノブレド
アマリテナドカ ヒトノコイシキ

『 現代語訳 』
「浅茅の生える小野の篠原ではないが、ずっと忍んできたけれども、思いがあふれて、どうしてこんなにもあなたが恋しいのだろうか。」

※浅茅生・・・浅茅が生えているところ。「浅茅」は丈の低い茅(ちがや)。「~生(ふ)」は草木が生えている、という意味。
※小野・・・「小」は接頭語。単に「野」というのと同じ。
※篠原・・・細い竹の生えている原。「篠」は細かい竹のこと。
※浅茅生の小野の篠原・・・同音によって下の「しの」を導く出すための序詞(じょことば)。
※あまりて・・・つつみきれずあふれ出て。
※などか・・・どうして~か。

忍ぶ恋の切なさを、相手に訴えかけた歌。

「浅茅生の 小野の篠原」までが序詞です。
篠原の「しの」と、「忍ぶ」の「しの」。それが同音であることを利用して、下の「五・七・五」にうまくつないでいます。

例によって、この歌の実質的内容は、

忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき

ということになります。
「あなたへの思いを我慢しているけれど、我慢できなくて、どうしてこんなにあなたのことが恋しくなったのだろう」といっているわけですね。



『 作者について 』

参議等=源等(880~951)

中納言民部卿源希の子。
嵯峨天皇の曾孫にあたる。
地方官を歴任した後、左中弁・右中弁などを経て、50歳をすぎてから参議となる。
歌人としての詳しい経歴は分からない。
和歌は、『後撰和歌集』入集の4首が知られるのみ。




「けり」にケリをつけましょう2♪
「古語から分かる現代語」

「けりがつく」の「けり」とは?

物事の結末がつくことを「けりがつく」と言いますね。
この「けり」とは一体なんでしょうか?
実は、助動詞の「けり」。
過去(回想)や詠嘆(気づき)を表す助動詞「けり」なのです。

和歌や俳句などには、この助動詞の「けり」で終わるものが非常に多いのです。
そこで、和歌や俳句が出来上がるように、結末がつくことを「けりがつく」、
結末をつけることを「けりをつける」と言うようになりました。

和歌や俳句をたしなむ人々が、何とか句をまとめようと「~けり、・・・けり」
と思案する様子が目に浮かびますね。
「けり」にケリをつけましょう1♪
百人一首を勉強していて悩みのタネだったことがあります。
「どうして、文末がけりだったりけるだったりするの?」です。
(遠~い昔に、勉強した気がするのですが。^^;)
そこで、少し調べてみました♪



過去の助動詞には「き」と「けり」があります。
今回は「き」は置いておいて、「けり」の勉強をしたいと思います。

けりの意味」
①間接伝聞の過去「~たそうだ」
②会話文(心中)・和歌は詠嘆「~だったなあ」

けりの活用」
未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形
(けら)    ○     けり    ける    けれ    ○



ではでは、文末は終止形の「けり」で終わるかと思いきや・・・
なんで連体形の「ける」で終わるの~???
という本題について。
これには、文法上のルールがありました。



係助詞「」「なむ」「」「」に係る文末は、連体形「ける」で結ぶ

「百人一首 6♪」
かささぎ わた はし   しも
鵲の 渡せる橋に おく霜の
しろ  み     よ
白きを見れば 夜 ふけにける (中納言家持 ちゅうなごんやかもち)

「百人一首 28♪」
やまざと ふゆ
山里は 冬さびしさ まさりける
ひとめ くさ       おも
人目も草も かれぬと思へば (源宗于朝臣 みなもとのむねゆきあそん)

「百人一首 35♪」
ひと    こころ し
人はいさ 心も知らず ふるさとは
はな むかし か
昔の 香ににほひける (紀貫之 きのつらゆき)

「百人一首 37♪」
しらつゆ かぜ ふ    あき の
白露に 風の吹きしく 秋の野は
           たま  ち
つらぬきとめぬ 玉散りける (文屋朝康 ふんやのあさやす)



♪ 番外編 ♪

係助詞「こそ」に係る文末は、已然形「けれ」で結ぶ

「百人一首 23♪」
つきみ               かな
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わ み ひと   あき
我が身一つの 秋にはあらねど (大江千里 おおえのちさと)
百人一首 38♪
わす    み   おも    ちか
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
ひと いのち を
人の命の 惜しくもあるかな (右近 うこん)



『 読み方 』
ワスラルル ミオバオモワズ チカイテシ
ヒトノイノチノ オシクモアルカナ

『 現代語訳 』
「あなたに忘れられた我が身のことはなんとも思いません。ただ、心変わりしないと神かけてお誓いになったあなたのお命が、私は惜しくてならないのです。」

※忘らるる・・・「るる」は受身の助動詞「る」の連体形。
※身・・・我が身。
※誓ひてし・・・「て」は完了の助動詞「つ」の連用形。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。「永久に心変わりはしまいと神かけて誓った」。
※人・・・相手の男をさす。
※惜しくもあるかな・・・「も」は強調の係助詞。「かな」は詠嘆の終助詞。

「大和物語(やまとものがたり)」によると、この歌は、男に裏切られたときに詠んだ歌

右近は恋多き女性でした。
捨てた男は、権中納言藤原敦忠(ごんちゅうなごんふじわらのあつただ)という貴公子だったろうと考えられています。

平安時代。
永遠の愛を神に誓うと、裏切ったときには、罰があたって命を落とすと考えられていました。

決して心変わりはしない、と、男が神に誓います。
けれども裏切りました。
神かけた誓いを破るとどうなるか・・・・・。

はっきりいっていませんが、
「あなたは死ぬ」
と、右近は思っていたようです。



『 作者について 』

右近 (生没年未詳)

右近衛少将藤原季縄(うこんへのしょうしょうふじわらのすえなわ)の娘。
父の官名にちなんで、「右近」と呼ばれた。
醍醐天皇の后、隠子の女房。
藤原敦忠・帥輔・朝忠、源順らとの交渉から、艶聞の多い女性であったことが知られる。
村上朝歌壇で、歌人として活躍。


百人一首 37♪
しらつゆ かぜ ふ    あき の
白露に 風の吹きしく 秋の野は
           たま  ち
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける (文屋朝康 ふんやのあさやす)



『 読み方 』
シラツユニ カゼノフキシク アキノノワ
ツラヌキトメヌ タマゾチリケル

『 現代語訳 』
「白露に風の吹きしきる秋の野は、まるで、緒(お)につなぎとめていない玉が散りこぼれるようだよ。」

※白露・・・露のこと。草葉に置いた露が白く光って見えるのを強調した表現。
※吹きしく・・・「~しく(~頻く)」は、「しきりに~する」という意味。「風がしきりに吹く」。
※つらぬきとめぬ・・・「つらぬく」は「ぬく」ともいい、「穴に通す」。「とめぬ」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。「ひもを通して、しっかりつなぎとめておかない。」
※玉・・・「白玉」ともいう。真珠のこと。
※ける・・・詠嘆の助動詞「けり」の連体形。

白露の美しさを詠んだ歌。

「つらぬきとめぬ玉」というのが、この和歌の見どころです。
「玉」は真珠のこと。古代の人は、真珠に穴をあけて糸を通し、装身具(そうしんぐ)にしました。
穴をあけて糸を通し、真珠を動かないようにすることが、「つらぬきとむ」。
「つらぬきとめぬ」と打消をそえると、真珠がばらばらに飛び散ることになります。

秋の草葉の白露が、風にあおられて、吹き飛ばされています。
その姿を、まるで真珠が乱れ飛ぶようだというのですね。

「露」を写実的に描かないで、「玉」にたとえるのが古今調(こきんちょう)です。



『 作者について 』

文屋朝康(生没年未詳)

9世紀末から10世紀初めにかけての人。
文屋康秀の子。
官位は低かったが、『古今和歌集』成立直前の歌壇で活躍。
『古今和歌集』に1首、『後撰和歌集』に2首入集するものが、現存する歌のすべてで、伝記の詳細もわかっていない。
百人一首 36♪
なつ よ     よひ      あ
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
くも        つき
雲のいづこに 月やどるらむ (清原深養父 きよはらのふかやぶ)



『 読み方 』
ナツノヨワ マダヨイナガラ アケヌルオ
クモノイズコニ ツキヤドルラン

『 現代語訳 』
「短い夏の夜は、まだ宵のくちと思っているうちに明けてしまったが、月は今ごろ雲のどのあたりに宿っているのだろう。」

※夏の夜は・・・「は」は、他との区別をあらわす係助詞。「ほかの季節と違って、短い夏の夜は」。
※宵ながら・・・「宵」は夜に入って間もないころ。「ながら」は状態の継続を示す接続助詞、「~のままで」などと訳す。
※明けぬるを・・・「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。「を」は逆説の接続助詞。
※いづこ・・・「いづく」とする本文もある。
※やどるらむ・・・「らむ」は現在推量の助動詞で、「~いるのだろう」などと訳す。

夏の月への思い入れを詠んだ歌です。

夏の短夜(みじかよ)。
作者の深養父は、ひと晩中月を眺めて夜を明かしました。
よほど美しい月だったのでしょう。

あっという間に夜が明けてしまいます。
「まだ宵ながら」というのは、「宵のままで明けた」ということ。子どもっぽいと思えるほどの誇張ですね。

「雲のいづこに 月やどるらむ」というのは、月を擬人化した表現です。
夜が明けると、月は西山に沈みます。
しかしこの速さ、こんなに高速で夜が明けたのでは、とても月は追いつけないだろう。
最終ゴールの西山にたどりつく前に・・・。

「お月さん、いまごろ雲間のどこで中宿りしているのやら?」
何やら月のことを、急に姿を見失った相棒か何かのようにいいます。
これが擬人法
実際は雲間に隠れているだけなのですが・・・。



『 作者について 』

清原深養父(生没年未詳)

9世紀末から10世紀初めにかけての人。
清原元輔の祖父で、清少納言の曽祖父。
官位は低かったが、歌人として活躍、琴の名手でもあった。
晩年は洛北市原野(らくほくいちはらの)に補陀落寺(ふだらくじ)を建立し、隠棲したといわれる。
家集に『深養父集』がある。
あいあい岬
012_1826-2.jpg

012_2326.jpg

静岡県南伊豆町 あいあい岬

百人一首でなく、久々に写真をアップしたかと思いきやですね。(^^;)
メンバー二人のように「きっちりと主役をみつけた大胆な撮影」「長秒での波の表現」等々を目標に
行って参りましたが、初心者クマコにはハードルが高かったようでして、いつもの撮り方から脱出出
来ず・・・
当初4日間撮影する予定が、2日間で尻尾を巻いて逃げ帰ってきました。

少し頭を冷やして、メンバー達のように洗練された作品はイメージせずにリベンジしたいと思います。



♪ 写真展のお知らせ ♪

Photo-ZERO 写真展 「 四季の彩 」 

開催日時  2013/01/12(土)~26(土)
開催場所  モンベル渋谷店 
住   所  150-0042 渋谷区宇田川町11-5 モンベル渋谷ビル
営業時間  10:30~21:00 /スパイスマジック10:30~21:00
定 休 日   不定休、駐車場なし

土日は、極力メンバーが滞在させて頂く予定です。
お近くへお越しの機会がございましたら、是非是非お立ち寄り下さ~い♪(^^)
蓑掛岩
012_1236.jpg

012_1336-2.jpg

012_1606.jpg
静岡県南伊豆町 蓑掛岩

こちらも三ツ石海岸同様、昨年末のロケハン時の撮影分です。
こんな調子で、写真展に参加出切るのだろうか?@@

あっ、ちなみに、「1枚目の左奥」と「3枚目の奥」にチョコンと写っている岩郡(5人家族?)が有名な蓑掛岩です。



♪ 写真展のお知らせ ♪

Photo-ZERO 写真展 「 四季の彩 」 

開催日時  2013/01/12(土)~26(土)
開催場所  モンベル渋谷店 
住   所  150-0042 渋谷区宇田川町11-5 モンベル渋谷ビル
営業時間  10:30~21:00 /スパイスマジック10:30~21:00
定 休 日   不定休、駐車場なし

土日は、極力メンバーが滞在させて頂く予定です。
お近くへお越しの機会がございましたら、是非是非お立ち寄り下さ~い♪(^^)
プロフィール

クマコ

Author:クマコ
自然風景が大好きです♪

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
リンク