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2012/12
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ちょっと休憩6♪
のんびりマイペースに続けてきた「百人一首」も、ようやく35句目まで到達しました~!
ヤッタァ━━━v(*´>ω<`*)v━━━ッ!!

ちょうど区切りが良いので(?)
「クマコ日記」はお正月休み明け迄、お休みさせて頂きたいと思います。



ここで
少しばかり気が早いのですが、年末のご挨拶をさせて下さ~い。(^^)

つい先日に平成24年がスタートしたばかりかと思いきや、今年も残り僅かですね~。@@
今年1年を振り返りますと盛り沢山な1年でしたので、例年よりも中身の濃い年となりました。

私の中で今年1番の大きな出来事は、やはり「写真展」への参加です。
写真を趣味としてから10年目となる節目の年に、念願の「写真展」に参加出来たことは夢のような出来事でした。
「出展作品の選出・額装・展示・会場でのご案内」等々、初めて体験することばかりでしたので、全てのことが勉強になりました。

写真展を通じて色々な写真団体の方々やキャンプズの皆さん等々多くの方々とお知り合いになり、師匠・友人・知人・親戚や家族とも団欒のひと時を楽しく過ごすことが出来ました。
記念に「写真集」を作って頂いたことや、写真雑誌・地方紙やブログで「Photo-ZERO」をご紹介して頂いたことも、忘れられない思い出です♪

そして、写真展を通じて、メンバーと濃厚親密になれたことも印象深く思っております。
濃厚コッテリって・・・家系ラーメンみたいですね~。( ´艸`)ムププ
来年も引き続き「コミュニケーション多め」・「口固め」でお願いしま~す♪
φ ヽ|・∀・|ノ▽  カケツケ3バイ ヨロコンデ イタダキマース♪

では、では、では、
皆様、今年もた~~~っくさんの素敵な時間をありがとうございました!!
来年もよろしくお願い申し上げます。

皆様にとって、幸せいっぱい夢いっぱいの素敵な1年になりますように。
(*⌒∇⌒*)


クマコこと 伊藤政子





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百人一首 35♪
ひと    こころ し
人はいさ 心も知らず ふるさとは
はな むかし か
花ぞ昔の 香ににほひける (紀貫之 きのつらゆき)



『 読み方 』
ヒトワイサ ココロモシラズ フルサトワ
ハナゾムカシノ カニニオイケル

『 現代語訳 』
「人の心は移ろいやすいものだから、あなたのことは、さあどうだかお気持ちも分かりませんが、昔なじみのこの土地では、梅の花だけが、昔ながらの香りで咲きにおっています。」

※人・・・直接には、歌をおくった相手のこと。露骨になるのを避け、「人間というものは」とぼかした。
※いさ・・・下に「知らず」をともなうのが通例の副詞。「さあどうであろうか」という意味。
※ふるさと・・・昔なじみの土地。
※花・・・詞書(ことばがき)によると、梅の花。
※香ににほひける・・・「にほふ」はもともと色の美しさをいう言葉だが、「香ににほふ」といえば、現代と同じ嗅覚になる。「よい香りで咲く」という意味。「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形。

親しい人との間でとりかわした、軽妙なあいさつの歌。
「古今和歌集」の詞書によると、この歌のできたいきさつは、次のようなものでした。

貫之が久しぶりに、奈良の長谷寺に参詣(さんけい)した時のこと。
いつも泊まってた家の主人が出てきて、貫之に言いました。

「私の家は昔のまんま、何も変わっておりません。なのに、あなた・・・」

ずいぶんお見かぎりでしたね、といいたげです。
貫之はすぐに、そばに咲いていた梅の木のひと枝を折りとって、あいさつがわりに歌をおくりました。
①人はいさ 心も知らず
②古里は 花ぞ昔の 香に匂ひける
※①と②とが対比の構造になっています。
 ①が「移ろいやすいもの」で、②が「不変のもの」。「人の心」と「梅の花」との対比です。

「人の心は変わりやすいが、梅の花は昔のまんまだよ」というのですね。
「あんたこそ、かわっちまったんじゃないのかい」と。



『 作者について 』

紀貫之(?~945)

紀望行(きのもちゆき)の子。
延喜5年/905年、『古今和歌集』の撰進にあたっては、紀友則の没後に中心的役割を果たし、これを完成。
官位は低かったが、和歌史上「歌聖」と仰がれる巨大な存在である。
『土佐日記』の著者。
家集に『貫之集』がある。

百人一首 34♪
たれ    し  ひと     たかさご
誰をかも 知る人にせむ 高砂の
まつ むかし とも
松も昔の 友ならなくに (藤原興風 ふじわらのおきかぜ)



『 読み方 』
タレオカモ シルヒトニセン タカサゴノ
マツモムカシノ トモナラナクニ

『 現代語訳 』
「年老いた私は、いったいだれを親しい友としようかなあ。あの長寿の高砂の松でさえ、昔からの友ではないのだから。」

※誰をかも・・・「だれを~しようかなあ」。「か」は疑問、「も」は詠嘆の係助詞。
※知る人・・・自分をよく知ってくれている人。友人。
※高砂・・・兵庫県高砂市。古来「松」の名所として知られた。
※ならなくに・・・「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形。「なくに」は逆説で「~ないことなのに。」順接「~ないことなので」と見る説もある。

老いの孤独を嘆いた歌。
二句切れで、倒置が起こっています。
文の切れ目でひっくり返してみましょう。

(年老いた私としては)高砂の松も昔の友ならなくに、誰をかも知る人にせむ。

高砂は、住吉(今の大阪市住吉区)とならんで松の名所。
そして古来、松は長寿の象徴とされてきました。
周囲にとり残された作者・・・。
親しい人はみんな死んでしまって、生きているのは、長寿で知られた高砂の松ぐらいしかありませんでした。
しかしそれも、しょせんは無生物。
ともに語るべき過去を共有しているわけではありません。
松は第一、人の言葉が分からない。

「ああ、私は、いったい誰を友達にしたらいいのかね?」
老松のからびた肌をなでながら、溜息をつく老人の姿が浮かんでくるような歌です。



『 作者について 』

藤原興風(生没年未詳)

9世紀後半から10世紀初めにかけての人。
最古の歌論として知られる『歌経標式(かきょうひょうしき)』の著者、藤原浜成の曾孫。
道成の子。
官位は低かったが、宇多朝の歌壇で活躍、管弦の道にもすぐれた。
三十六歌仙の1人。
家集に『興風集』がある。
祝 ぞろ目3♪
本日、めでたく「百人一首 33♪」となりました~!!
大好きな3が並んだ今日、お祝いしない手はあ~りません。

ということで、
「百人一首 33♪」達成、おめでとうございま~す!!
(○*´⌒`Pq) ォメデト★。+゚(○*´⌒`Pq) ォメデト★。+゚(○*´⌒`Pq) ォメデト★。+゚

一緒に百人一首を頑張ってくれているTさんに
もしかしたら、もしかして、一緒に頑張ってくれているかもしれないKさんに
そして、自分に

ちっちゃいけど、エールを贈らせて頂きます♪
(●o≧д≦)o頑張れェェェ みんな♪

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百人一首 33♪
ひさかた ひかり    はる ひ
久方の 光のどけき 春の日に
  ごころ  はな  ち
しづ心なく 花の散るらむ (紀友則 きのとものり)



『 読み方 』
ヒサカタノ ヒカリノドケキ ハルノヒニ
シズゴコロナク ハナノチルラン

『 現代語訳 』
「日の光ののどかさにさしている春の日に、どうして落ちついた心もなく、桜の花はあわただしく散っているのだろう。」

※久方の・・・天、空、光などにかかる枕詞。
※のどけき・・・のどかな。
※しづ心(ごころ)なく・・・落ちついた心もなく。
※散るらむ・・・「らむ」は原因推量の助動詞。「どうして~いるのだろう」などと、上に「どうして」を補って訳す。

「古今集」以後、「花」といえば桜をさすようになりました。
この歌の「花」も、もちろん桜です。
王朝の歌人が好んだのは、満開の桜より、散る桜でした。

また、リズム感が良い歌なので詠みやすい気がします。
さかたの かりのどけき るのひに」
と、「ハ行」が利いています。

そして、
「ひさかた ひかりどけき はるひに」
と、「の」の響きも良いですね。



『 作者について 』

紀友則(生没年未詳)

紀有朋の子。
紀貫之のいとこ。
官位は低かったが、早くから歌壇で活躍。
貫之・凡河内躬恒より先輩格であった。
『古今和歌集』の編集に加わったが、その完成を見ずに没する。
三十六歌仙の1人。
家集に『友則集』がある。



百人一首 32♪
やまがは かぜ
山川に 風のかけたる しがらみは
ながれ       もみぢ
流れもあへぬ 紅葉なりけり (春道列樹 はるみちのつらき)



『 読み方 』
ヤマガワニ カゼノカケタル シガラミワ
ナガレモアエヌ モミジナリケリ

『 現代語訳 』
「山中の谷川に、風が仕掛けたしがらみとは、流れようとして流れきれない紅葉だったのだなあ。」

※山川・・・山中の谷川。「やまがわ」と詠む。「やまかわ」と詠むと、「山と川」の意になる。
しがらみ・・・水流をせきとめるために、川の中に杭(くい)を打ち、柴(しば)や竹を横に結びつけたもの。本来は人が仕掛けるものだが、ここでは擬人化して「風」が仕掛けたとする。
※流れもあへぬ・・・「流れきれない」。「~あへず」は「~しきれない」。
※なりけり・・・「なり」は断定の助動詞。「けり」は詠嘆の助動詞で、はじめて気づいたことに対する感動をあらわし「~だったのだなあ」などと訳す。

この歌は「なりけり」という構造です。
」で問いを発し、「」はその謎解き。
Aとは何かと思ったら、それはBだったよ」というで、「古今集」の時代にはこの表現を使った歌がたくさん詠まれました。

例文①
行く水に 数書くよりも はかなきは 思はぬ人を 思ふなりけり
「行く川の流れに数を書くよりも、もっとはかないものは何かと思ったら、それは自分を思ってくれない人を自分が愛することであったよ。」

例文②
照る月を 弓張としも いふことは 山辺をさして いればなりけり
「空に照る月を『弓張り月』というのは何故かと思ったら、それは月がいつも山辺をめざして弓を射るように入るからだったよ。」

「A」と「B」にどんな表現をもってくるかが作者の腕の見せどころでした。



『 作者について 』

春道列樹(?~920)

主税頭(一説には雅楽頭)新名の長男。
延喜10年/910年に文章生(もんじょうのしょう)となり、同20年壱岐守(いきのかみ)に任じられたが、赴任前に没した。
詳しい伝記は不明で、和歌も『古今和歌集』に3首、『後撰和歌集』に2首とどめるのみである。
百人一首 31~40♪
「百人一首 31♪」
あさ     ありあけ つき み
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
よしの さと  ふ  しらゆき
吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則 さかのうえのこれのり)

「百人一首 32♪」
やまがは かぜ
山川に 風のかけたる しがらみは
ながれ       もみぢ
流れもあへぬ 紅葉なりけり (春道列樹 はるみちのつらき)

「百人一首 33♪」
ひさかた ひかり    はる ひ
久方の 光のどけき 春の日に
  ごころ  はな  ち
しづ心なく 花の散るらむ (紀友則 きのとものり)

「百人一首 34♪」
たれ    し  ひと     たかさご
誰をかも 知る人にせむ 高砂の
まつ むかし とも
松も昔の 友ならなくに (藤原興風 ふじわらのおきかぜ)

「百人一首 35♪」
ひと    こころ し
人はいさ 心も知らず ふるさとは
はな むかし か
花ぞ昔の 香ににほひける (紀貫之 きのつらゆき)

「百人一首 36♪」
なつ よ     よひ      あ
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
くも        つき
雲のいづこに 月やどるらむ (清原深養父 きよはらのふかやぶ)

「百人一首 37♪」

しらつゆ かぜ ふ    あき の
白露に 風の吹きしく 秋の野は
           たま  ち
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける (文屋朝康 ふんやのあさやす)

「百人一首 38♪」
わす    み   おも    ちか
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
ひと いのち を
人の命の 惜しくもあるかな (右近 うこん)

「百人一首 39♪」
あさぢふ   をの しのはら しの
浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど
           ひと こひ
あまりてなどか 人の恋しき (参議等 さんぎひとし / 源等 みなもとのひとし)

「百人一首 40♪」
         いろ い          こひ
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
    おも    ひと と
ものや思ふと 人の問ふまで (平兼盛 たいらのかねもり)

百人一首 31♪
あさ     ありあけ つき み
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
よしの さと  ふ  しらゆき
吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則 さかのうえのこれのり)



『 読み方 』
アサボラケ アリアケノツキト ミルマデニ
ヨシノノサトニ フレルシラユキ

『 現代語訳 』
「ほのぼのと夜が明ける頃、有明の月の光りがさしているのかと思うほどに、しらじらとこの吉野の里に白雪が降り積もっていることだよ。」

※朝ぼらけ・・・夜がほのぼのと明ける頃。
※有明の月と見るまでに・・・「有明の月がさしているのかと見まがうほどに」。「まで」は程度をあらわす助詞。
※吉野の里・・・奈良県吉野郡吉野町一帯の地名。春は桜、冬は雪の名所として知られた。
※降れる・・・「る」は存続の助動詞「り」の連体形。「降っている」

延喜(えんぎ)8年:908年。
作者、坂上是則は、役人として大和(やまと)に下りました。
この歌は、その時に作ったものかもしれません。

吉野は山深いところ。
朝起きてみると、うっすら光りがさしています。
あれは有明の月・・・?
そう思って見ると、外は一面の雪でした。
有明の月かと見たものは、実は雪明りだったというわけですね。

この歌の雪。
深雪(しんせつ)だったという説と、薄雪(うすゆき)だったという説があります。
どちらだったのでしょうね?



『 作者について 』

坂上是則(生没年未詳)

9世紀末から10世紀初めにかけての人。
坂上田村麻呂の子孫。
好蔭の子。
官位は低かったが、古今集選者時代の代表的歌人として知られた。
蹴鞠(けまり)の名手であったという。
三十六歌仙の1人。
家集に『是即集』がある。
ちょっと休憩5♪
ノンビリマッタリズムな「百人一首」も、前回に30句目まで到達しました~♪
塵も積もれば、なんとやらですね~~♪♪
あと70句、頑張るぞぉ~~~♪♪♪

今日は1句~30句までの復習を頑張りたいと思いますので、「百人一首」はお休みさせて下さい。

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百人一首 30♪
ありあけ       み   わか
有明の つれなく見えし 別れより
あかつき  う
暁ばかり 憂きものはなし (壬生忠岑 みぶのただみね)



『 読み方 』
アリアケノ ツレナクミエシ ワカレヨリ
アカツキバカリ ウキモノワナシ

『 現代語訳 』
「有明の月が無情に見えた、あの明け方の別れからというもの、暁ほどつらく悲しいものはなくなった。」

※有明・・・有明の月。
※つれなく見えし・・・「つれなし」は「そっけない・無情だ」。「し」は過去の助動詞「き」の連体形
※暁・・・夜明け前のまだ暗いうち。午前3時から5時ごろ。
※AばかりBはなし・・・最上級をあらわす言い方。「AはもっともBだ」。

夜が明けても残っている月。
有明の月―。

王朝の男性は、宵のうちに女性のもとを訪れ、暁に帰るのがエチケットでした。
男女がともにすごした翌朝の別れを「後朝(きぬぎぬ)の別れ」といいます。
後朝に、女性と別れなければならなかった男性には、空にぽっかり浮かんでいる有明の月が無情に見えました。

「なんてヤツだ!人の気も知らないで!」

この歌も、そんな後朝の別れの切なさをうたっています。



『 作者について 』

壬生忠岑(生没年未詳)

壬生安綱の子。
忠見の父。
官位は低かったが、はやくからすぐれた歌人として知られ、紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰進にあたった。
三十六歌仙の1人。
家集に『忠岑集』があり、歌論書『和歌体十種(忠岑十体)』の著者だといわれる。



Photo-ZERO 雑誌紹介(日本カメラ)
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日本カメラMOOK編集部(副編集長)の大沢さんが写真展会場に偶然訪れ、
クラブの紹介をして下さるとのことで、今回雑誌に掲載されることになりました~。
クマコの宝物が、またまた増えましたよん♪
やったああぁぁぁぁ(ノ*´_●`)人(*`・∀・´*)人(´●_`*)ノぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!

オツムとお顔に自信ゼロのクマコですので・・・
クマコの頭の中のようにボンヤリ&チラリズムで、ご紹介させて頂きます~。



♪ 写真展のお知らせ ♪

Photo-ZERO 写真展 「 四季の彩 」 

開催日時  2013/01/12(土)~26(土)
開催場所  モンベル渋谷店 
住   所  150-0042 渋谷区宇田川町11-5 モンベル渋谷ビル
営業時間  10:30~21:00 /スパイスマジック10:30~21:00
定 休 日   不定休、駐車場なし

土日は、極力メンバーが滞在させて頂く予定です。
お近くへお越しの機会がございましたら、是非是非お立ち寄り下さ~い♪(^^)
百人一首 29♪
       を     を    はつしも
心あてに 折らばや折らむ 初霜の
お          しらぎく はな
置きまどはせる 白菊の花 (凡河内躬恒 おおしこうちのみつね)



『 読み方 』
ココロアテニ オラバヤオラン ハツシモノ
オキマドワセル シラギクノハナ

『 現代語訳 』
「あて推量で、もし折るというのなら折とってみようか。
初霜が置いて、霜だか菊だかわからなくさせている白菊の花を。」

※心あてに・・・あて推量で。
※折らばや・・・「折らば」は仮定条件で、「折るならば」。「や」は疑問の係助詞。
※初霜・・・その年の晩秋にはじめておりる霜。
※置きまどはせる・・・「置きまどはす」は「置いてわからなくさせる」。「る」は存続の助動詞「り」の連体形。

白菊の花を詠んだ歌。
霜が白いのは当たり前なので、霜の白さを詠んだ歌ではありません
霜を脇役にまわして、それと区別がつかないということで、菊の白さを際立たせているわけですね。

朝です。
庭には真っ白に霜がおりています。
きりっと、身も引き締まるような寒気の中・・・。
白菊が咲いています。
その白菊の、清らかで気品ある姿。
目も覚めるような白―。

白菊の清楚な姿を言葉に繋ぎ止めるために、躬恒の思いついた趣向が、「白い霜が置いて、どれが白菊か分からない」という、非現実的な表現でした。



『 作者について 』

凡河内躬恒(生没年未詳)

9世紀末から10世紀初めにかけての人。
宇多・醍醐の両帝に仕えたが、官位は低かった。
和歌にすぐれ、紀貫之・壬生忠岑・紀友則とともに『古今和歌集』の撰者となった。
三十六歌仙の1人。
家集に『躬恒集』がある。
百人一首 28♪
やまざと ふゆ
山里は 冬ぞさびしさ まさりける
ひとめ くさ       おも
人目も草も かれぬと思へば (源宗于朝臣 みなもとのむねゆきあそん)



『 読み方 』
ヤマザトワ フウゾサビシサ マサリケル
ヒトメモクサモ カレヌトオモエバ

『 現代語訳 』
「山里は都とちがって、冬になると特にさびしさがまさって感じられることが。
人も訪れることがなくなり、草も枯れてしまうと思うと。」

※山里・・・山あいの人里。都からあまり離れていない山荘というイメージ。
※冬ぞ・・・「ぞ」は強調。「いつもさびしいが、冬は特に」という気持ち。
※人目・・・「人の見る目」が原義。ここでは単に「人」の意。
※かれぬ・・・「かれ」は「離(か)れ」と「枯(か)れ」との掛詞。「ぬ」は完了の助動詞。「~てしまう」などと訳す。

この歌のポイントは、「人目も草もかれぬ」という部分にあります。
掛詞に気をつけて

人目 ― かれ(離れ)
 草 ― かれ(枯れ)

という二重構造になっています。
全体は倒置ですね。
人目も離れ、草も枯れぬと思へば、山里は冬ぞさびしさまさりける
というつながりになります。

文末の「ける」は「けり」という助動詞が変化(活用)したものですが、これは「気づきの“けり”」といって、新しく気づいたことに対する感動をあらわします。
「今気づいてみると~だったんだなあ」という意味。
山荘で冬を迎えた都人(みやこびと)の、「山里の冬のさびしさ」を発見した感動が、この「ける」にはこもっています。



『 作者について 』

源宗于朝臣(?~939)

光孝天皇の皇子、是忠親王の子。
源氏の姓をたまわって臣籍にくだったが、官位に恵まれず、正四位下・右京大夫にとどまった。
『大和物語』には、宗于が不遇を嘆いた説話が見える。
三十六歌仙の1人。
家集に『宗于集』がある。

百人一首 27♪
    はら     なが   いづみがは
みかの原 わきて流るる 泉川
   み       こひ
いつ見きとてか 恋しかるらむ (中納言兼輔 ちゅうなごんかねすけ / 藤原兼輔 ふじわらのかねすけ)



『 読み方 』
ミカノハラ ワキテナガルル イズミガワ
イツミキトテカ コイシカルラン

『 現代語訳 』
「みかの原を2つにわけ、わき流れていくあの泉川(いずみがわ)ではないが、いったいいつ見たというので、こんなにあの人のことが恋しいのだろうか。」

※みかの原・・・京都府相楽郡(そうらくぐん)にある地名。
※わきて・・・「分(わ)きて」と「湧(わ)きて」の掛詞。「泉」と「湧き」が縁語となる。
※泉川・・・現在の木津川のこと。ここまでが、「いづみ」と「いつ見」の同音による序詞になる。
※いつ見きとてか・・・「見る」はそのまま「見る」ととってもよく、「男女が契りを結ぶ」ととってもよい。

みかの原 わきて流るる 泉川」までが序詞です。
従って、この歌の実質的内容は、「いつ見きとてか 恋しかるらむ」だけ。
「いったいいつ見たというので、こんなにあの人が恋しいのだろうか」。

しかし、序詞の「みかの原 わきて流るる 泉川」には全く意味がないのかというと、そうとも言い切れません。

まず、「みかの原 きて流るる 泉川」。
人を好きになると、心の底から、いとしさが泉のように湧いて出ます。
この風景は、そういう気分を、うまく形にして繋ぎとめているようです。

また、「みかの原 きて流るる 泉川」。
そう読むと、また別なイメージが思い起こされます。
「泉川」が「みかの原」を2つに「分ける」。



『 作者について 』

中納言兼輔=藤原兼輔(877~933)

利基の六男。
定方のいとこ。
従三位、中納言まで昇進。
賀茂川堤に邸があったので、堤中納言と呼ばれた。
紀貫之・凡河内躬恒らと親交があり、文人のパトロン的存在であった。
三十六歌仙の1人。


百人一首 26♪
をぐらやま みね    ば こころ
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
いま             ま
今ひとたびの みゆき待たなむ (貞信公 ていしんこう / 藤原忠平 ふじわらのただひら)



『 読み方 』
オグラヤマ ミネノモミジバ ココロアラバ
イマヒトタビノ ミユキマタナン

『 現代語訳 』
「小倉山の峰の紅葉よ、もしお前に心があるならば、もう一度行幸(みゆき)があるはずだから、それまで散らないでまっていてほしい。」

※小倉山・・・京都市右京区嵯峨にある山。大堰川(おおいがわ)をへだてて、嵐山に対する。紅葉の名所。
※峰のもみぢ葉・・・「峰のもみぢ葉」に呼びかけている。擬人法。
※心あらば・・・「やさしい人間の心があるならば」。「心」は物の道理や情趣(じょうしゅ)をわきまえる力。
※みゆき・・・「行幸(みゆき)」と書けば「天皇のお出かけ」。「御幸(みゆき)」と書けば「上皇のお出かけ」。訓読みでは、どちらも「みゆき」と読む。ここでは醍醐天皇のお出かけなので、前者。
※待たなむ・・・「待つ」は「散らないで待つ」。「なむ」は願望の終助詞、「~てほしい」。

それは、秋。
宇多上皇が大堰川にお出かけになった時のことです。
紅葉のあまりの美しさに、
「これをわが子(醍醐天皇)に見せて差し上げたいものじゃ」
とおっしゃいました。
お供をしていたのが、この歌の作者、貞信公・藤原忠平。
「それでは私が、このことを帝に申し上げましょう」
そういって作ったのがこの歌だと伝えられています。
「紅葉よ。お前に心があるならば、次の帝のお出ましまで、散らないで待っておれよ!」

帝が出かけるかどうかは帝の勝手なわけですが、こんな歌をもらって紅葉狩りをすすめられると、帝もぜひ行きたい気持ちになっただろうと思います。



『 作者について 』

貞信公=藤原忠平(880~949)

基経の子。
時平の弟。
摂政・関白・従一位に至る。
通称は小一条太政大臣。
人柄は温厚で人望もあり、兄の時平の死後、氏の長者となって、藤原氏全盛の基礎を築いた。
「貞信公」は、忠平の死後、その徳をたたえられて贈られた称号である。


ちょっと休憩4♪
「コツコツ、コツコツ、コツコツ体操~♪」を口ずさみながらの百人一首も、早いもので昨日で25句目まで到達しました~♪

頑張れ~、あと75句。
(●o≧д≦)o頑張れェェェ Tさん♪
(●o≧д≦)o頑張れェェェ アタシ♪

・・・ということで、毎度のことながら
今日は1句~25句までの復習をしたいと思いますので、「百人一首」をお休みさせて頂きまーす。
よし、今日も休憩時間は会社のTさんと抜き打ちテスト合戦頑張るぞぉ~!

☆ ある日の抜き打ちテスト ☆
クマコ:(さりげな~くお茶を口に含み)「あっ、そういえば、19句目ってなんでしたっけ~?」(。-∀-)ニヒ♪
Tさん:「待っていましたー!☆・:゚*オォヾ(o´∀`o)ノォオ*゚:・☆」とばかりに、すかさず応戦!  
休憩時間といえども、気が抜けません。
┣¨キ(〃゚3゚〃)┣¨キ ┣¨キ(〃゚3゚〃)┣¨キ ┣¨キ(〃゚3゚〃)┣¨キ

「ひまあれど 一息つけぬ 忍びかな」
ニンニン♪(*⌒∇⌒*) 

ちなみに、「百人一首」の途中経過報告で~す♪
前回の「ちょっと休憩3♪」の日には、読み人を含め1句目~20句目までパーフェクトでした~。
私たちは、一体何を目指しているのでしょうねぇ~。
ァ ‘`♪ヾ('∀'o)ノ 100クメニハ、アタマカラ100ッパノハトガトビタッタリシテ???

えっ、えっと~(´ー`A;) アセアセ
毎度、毎度ながらの余談+αですが・・・
最近、山下達郎さんのベストアルバム「OPUS」にハマっていま~す♪
忙しない年の瀬ですので心も急いてしまいがちですが、ゆったりとした気持ちになれますよん♪♪(^^)

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百人一首 25♪
な   お     あふさかやま
名にし負はば 逢坂山の さねかづら
ひと
人にしられで くるよしもがな (三条右大臣 さんじょうのうだいじん / 藤原定方 ふじわらのさだかた)



『 読み方 』
ナニシオワバ オーサカヤマノ サネカズラ
ヒトニシラレデ クルヨシモガナ

『 現代語訳 』
「逢坂山のさねかずらが、「逢って寝る」という名をもっているのならば、たぐれば来るように、人に知られずあなたのところに来る(行く)方法でもあればよいがなあ。」

※名にしおはば・・・「名をもっているのならば」。「し」は強意の副助詞。
※逢坂山・・・滋賀県と京都府の境にある山。「逢ふ」が掛けられている。
※さねかづら・・・モクレン科の多年生蔓草(つるくさ)で、ビナンカズラのこと。「ね」に「寝」が掛かっている。
※しられで・・・知られないで。
※くる・・・「来る」と「操(く)る」との掛詞。「来る」は「行く」の意。「さねかづら」が蔓草であるところから、「操(く)る=手繰り寄せる」と「さねがづら」が縁語になる。
※よしもがな・・・「よし」は「方法」の意。「もがな」は願望の終助詞、「~があればなあ」などと訳す。

三条右大臣藤原定方が、愛する女性のもとにおくった恋の歌。
さねかずらに添えておくられたものだと考えられます。
当時は、季節の花や草木に添えて、歌をおくることがよくありました。

女の立場になってみて下さい。
まず「さねかづら」が目に入ります。
そして、歌。その歌に、

逢坂山の さねかづら

と書いてあります。
表面上の意味は、文字通り、「逢坂山のさねかづら」。
しかし教養のある女性なら、掛詞に気づいて、まず「逢ふ」に反応したでしょう。
それから「さね」の「寝」です。
君に逢いたい、寝たい・・・。それが男の真意。
女性は顔を赤らめたかもしれませんね。
そして、

くるよしもがな

表面上の意味は「さねかずらを手繰り寄せるすべがあればなあ」。
しかし「くる」に「来る」の意味が掛けられていることに気づくと、これは愛する男の熱烈なラブコールになります。
この「来る」には「行く」という意味。古語の「来」は「行く」と同義で使うことが多いので要注意です。
「君のところに行くすべがあればなあ」というのが、男の真意になるわけですね。



『 作者について 』
 
三条右大臣=藤原定方(873~932)

内大臣藤原高藤の子。
朝忠の父。
兼輔のいとこ。
従二位(じゅうにい)、右大臣にまで昇進。
邸が三条にあったので、三条右大臣といわれた。
風流を好み、和歌・管弦をよくした。
家集に『三条右大臣集』。


百人一首 24♪
                     たむけやま
このたびは ぬさもとりあへず 手向山
もみぢ にしき かみ
紅葉の錦 神のまにまに (菅家 かんけ / 菅原道真 すがわらのみちざね)



『 読み方 』
コノタビワ ヌサモトリアエズ タムケヤマ
モミジノニシキ カミノマニマニ

『 現代語訳 』
「今回の旅では、きちんとぬさを捧げることも出来ません。
そのかわり、手向山の紅葉の錦を神の御心(みこころ)のままにお受けとり下さい。」

※このたび・・・「たび」が「度(たび)」と「旅(たび)」との掛詞。
※ぬさ・・・「幣(ぬさ)」と書く。神への捧げもの。布や紙などを細かく切ったもの。神前にまき散らして、旅への安全を祈る。
※とりあへず・・・「とる」は「捧げる」。「あへず」は「~しきれない」。
※手向山・・・京都から奈良に抜ける途中にあった山。また固有名詞ではなく、神に「手向け」をする山の意であるとする説もある。ここでは後者とみておく。
※紅葉の錦・・・美しい紅葉を錦にたとえた表現。
※神のまにまに・・・「神の御心のままに」。あとに「お受け下さい」と補って解する。

菅原道真が、宇多上皇のお供をして奈良に行った時の歌です。
宇多上皇は道真を大抜擢して、右大臣にまで昇進させた人。
このとき道真は右大臣になる直前で、その生涯でも得意絶頂の時代でした。

幣のかわりに、紅葉をさしあげましょうという、絢爛豪華(けんらんごうか)な詠みぶり。

問題は、「ぬさもとりあへず」という表現です。
なぜ、幣を差し上げることが出来なかったのでしょうか?
これには、いろいろな説がありますが、主なものは次の3つです。
①急な旅行で用意が出来なかった。
②公務としての旅なので、私的な幣は持っていなかった。
③布の切れ端は、紅葉の錦と比べるとあまりにも見劣りがする。



『 作者について 』

菅家=菅原道真(845~903)

是善(これよし)の子。
文章博士(もんじょうはかせ)。
従二位右大臣まで昇進。
藤原氏全盛の宮廷で孤立し、太宰権帥(だざいごんのそち)として九州に流され、その地で死没。
死後、太政大臣を追贈された。
当代随一の漢学者・詩人。
漢詩集に『菅家文草(かんけぶんそう)』『菅家後集(かんけこうしゅう)』がある。
百人一首 23♪
つきみ               かな
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わ み ひと   あき
我が身一つの 秋にはあらねど (大江千里 おおえのちさと)



『 読み方 』
ツキミレバ チジニモノコソ カナシケレ
ワガミヒトツノ アキニワアラネド

『 現代語訳 』
「月を見ると、あれこれと限りなく物事が悲しく感じられる。
私ひとりのために来た秋ではないけれど・・・。」

※ちぢに・・・「千々に」と書く。「さまざまに」という意味である。
※我が身一つの・・・前の「千々に」との対照で、「ひとり」といわず「ひとつ」と表現している。
※秋にはあらねど・・・「ど」は逆説の接続助詞なので、上の句と倒置(とうち)になっていることがわかる。

これも歌合(うたあわせ)の歌。
全体は、上の句と下の句で倒置になっています。

我が身一つの秋にはあらねど 月見ればちぢにものこそ悲しけれ

「私ひとりのあきではないけれど、月を見ると全てが悲しくなってくる。」
倒置にすることで、余韻が出ます。
現在でも、「悪いけど、忘れて下さい。」というと言い放った感じがしますが
「忘れて下さい。悪いけど・・・。」というと、「悪いけど」という言いさした形が余韻を響かせます。
それと同じですね。

「千々に」と、我が身一つの「一」
→さりげなく「千」と「一」を照応させた対句(ついく)が用いられています。



『 作者について 』

大江千里(生没年未詳)

9世紀後半から10世紀初めにかけての人。
漢学者であった大江音人の子。
在原業平・行平の甥にあたる。
文章博士。
寛平6年(894年)、『白氏文集(はくしもんじゅう)』などの漢詩をもとに和歌を詠んだ『句題和歌』を宇多天皇に献上。

百人一首 21~30♪
「百人一首 21♪」
いま こ   い          ながつき
今来むと 言いしばかりに 長月の
ありあけ つき ま  い
有明の月を 待ち出でつるかな (素性法師 そせいほうし)

「百人一首 22♪」
ふ       あき くさき
吹くからに 秋の草木の しをるれば
  やまかぜ
むべ山風を あらしといふらむ (文屋康秀 ふんやのやすひで)

「百人一首 23♪」
つきみ               かな
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わ み ひと   あき
我が身一つの 秋にはあらねど (大江千里 おおえのちさと)

「百人一首 24♪」
                    たむけやま
このたびは ぬさもとりあへず 手向山
もみぢ にしき かみ
紅葉の錦 神のまにまに (菅家 かんけ / 菅原道真 すがわらのみちざね)

「百人一首 25♪」
な         あふさかやま
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
ひと
人にしられで くるよしもがな (三条右大臣 さんじょうのうだいじん / 藤原定方 ふじわらのさだかた)

「百人一首 26♪」
をぐらやま みね    ば こころ
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
いま             ま
今ひとたびの みゆき待たなむ (貞信公 ていしんこう / 藤原忠平 ふじわらのただひら)

「百人一首 27♪」
    はら     なが   いづみがは
みかの原 わきて流るる 泉川
   み       こひ
いつ見きとてか 恋しかるらむ (中納言兼輔 ちゅうなごんかねすけ / 藤原兼輔 ふじわらのかねすけ)

「百人一首 28♪」
やまざと ふゆ
山里は 冬ぞさびしさ まさりける
ひとめ くさ       おも
人目も草も かれぬと思へば (源宗于朝臣 みなもとのむねゆきあそん)

「百人一首 29♪」
       を     を    はつしも
心あてに 折らばや折らむ 初霜の
お          しらぎく はな
置きまどはせる 白菊の花 (凡河内躬恒 おおしこうちのみつね)

「百人一首 30♪」
ありあけ       み   わか
有明の つれなく見えし 別れより
あかつき  う
暁ばかり 憂きものはなし (壬生忠岑 みぶのただみね)

百人一首 22♪
ふ       あき くさき
吹くからに 秋の草木の しをるれば
  やまかぜ
むべ山風を あらしといふらむ (文屋康秀 ふんやのやすひで)



『 読み方 』
フクカラニ アキノクサキノ シオルレバ
ムベヤマカゼオ アラシトユーラン

『 現代語訳 』
「吹くとすぐに秋の草木がしおれるので、なるほど、山風を嵐といっているのであろう。」

※からに・・・~するとすぐに。
※むべ・・・なるほど。
※山風・・・山から吹きおろしてくる風。
※あらし・・・「荒らし」と「嵐」を掛けている。
※らむ・・・現在推量の助動詞、「~いるだろう」。

作者は文屋康秀。
言葉は巧みだが、内容は通俗的だと評された歌人です。
歌合(うたあわせ)に出した歌なので、実際の嵐を詠んだものではないと思われます。

1つ目の言葉遊び。
山から吹きおろす風を「嵐」というのはなぜか?
それは、秋の草木を「荒らし」てしまうから。

2つ目の言葉遊び。
山から吹きおろす風を「嵐」というのはなぜか?
それは、「山」と「風」を合わせると「嵐」になるから。
このような漢詩技巧を離合詩(りごうし)と言います。
→「嵐」の上と下を離すと「山」「風」になる。

ちなみに、この文屋康秀も六歌仙の1人です。
今迄に登場した六歌仙の歌人は、喜撰法師小野小町僧正遍昭在原業平でしたね。



『 作者について 』

文屋康秀(生没年未詳)

9世紀半ばから後半にかけての人。
文屋朝康の父。
三河・山城などの下級地方官を経たあと、縫殿助(ぬいどのすけ)になったというが、詳細は不明。
『古今和歌集真名序(こきんわかしゅうまなじょ)』には、文琳(ぶんりん)とあり、六歌仙の1人。
歌の残るものは少なく、家集も現存していない。




プロフィール

クマコ

Author:クマコ
自然風景が大好きです♪

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