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2012/11
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百人一首 11~20♪
「百人一首 11♪」    
    はら やそしま      こ  い
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
ひと  つ     あま つりぶね
人には告げよ 海人の釣舟  (参議篁 さんぎたかむら / 小野篁 おののたかむら)

「百人一首 12♪」

あま かぜ くも かよ ぢ ふ  と
天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
    すがた
をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭 そうじょうへんじょう)

「百人一首 13♪」
つくばね  みね  お        がは

筑波嶺の 峰より落つる みなの川
こひ       ふち
恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院 ようぜいいん)

「百人一首 14♪」
みちのく            たれ

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだ
乱れそめにし われならなくに (河原左大臣 かわらのさだいじん)

「百人一首 15♪」
きみ     はる の   い   わかな

君がため 春の野に 出でて若菜つむ
   ころもで ゆき ふ
わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇 こうこうてんのう)

「百人一首 16♪」
   わか       やま  みね お

たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
      き       かへ こ
まつとし聞かば いま帰り来む (中納言行平 ちゅうなごんゆきひら / 在原行平 ありわらのゆきひら)

「百人一首 17♪」
        かみよ  き    たつたがは
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
           みず
からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣 ありわらのなりひらあそん)

「百人一首 18♪」
すみ え  きし    なみ
住の江の 岸による波 よるさへや
ゆめ かよ ぢ ひと
夢の通ひ路 人めよくらむ (藤原敏行朝臣 ふじわらのとしゆきあそん)

「百人一首 19♪」
なにはがた     あし       ま
難波潟 みじかき芦の ふしの間も
あ      よ   す
逢はでこの世を 過ぐしてよとや (伊勢 いせ)

「百人一首 20♪」
         いま  おな  なには
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
           あ      おも
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ (元良親王 もとよししんのう)



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百人一首 14♪
みちのく            たれ
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだ
乱れそめにし われならなくに (河原左大臣 かわらのさだいじん)



『 読み方 』
ミチノクノ シノブモジズリ タレユエニ
ミダレソメニシ ワレナラナクニ

『 現代語訳 』
「陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れているが、だれのせいで乱れてしまったのか。私のせいではないのに。みんなあなたのせいなのに。」

※陸奥・・・「みちのおく(=道の果て)」がつまってできた語。東北地方の東半分にあたる。
しのぶもぢずり・・・草の汁をすりつけて染めた、乱れ模様の布。「しのぶ」というのは、染料になる草が忍草(しのぶぐさ)だからという説、また、産地が福島県信夫郡(ふくしまけん しのぶぐん)だからという説もある。
※陸奥のしのぶもぢずり・・・「乱れ」にかかる序詞(じょことば)。「誰ゆゑに」をとびこえて、比喩的に「乱れ」を導き出している。
※ならなくに(なら-な-く-に)・・・~ではないのに。
断定の助動詞「なり」の未然形+打消の助動詞「ず」の古い未然形「な」+体言化する接尾語「く」+助詞「に」

この歌は、複雑な歌です。
文脈としては、「陸奥のしのぶもぢずり」というのを暫く除外して

われならなくに 誰ゆゑに 乱れそめにし

と読んでみましょう。
「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、こんなに私の心が乱れ
始めてしまったのか(それはあなたのせいなのだ!)」。

次に、「乱れ」の部分に、「陸奥のもぢずり」というアクセサリーを
のっけてみましょう。

われならなくに 誰ゆゑに (か)(陸奥のしのぶもぢずり)乱れそめにし

「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、(「陸奥のしのぶもぢずり」
の乱れ模様のように)私の心は乱れ始めてしまったのか(それはあなたの
せいなのだ!)」。

こうして順序をバラバラにしてみると、言っていることは案外単純のようです。

あとは状況です。
この歌の「しのぶ」には、「忍ぶ恋」を感じさせるものがあります。
好きになってはいけない人を好きになる。
それが「忍ぶ恋」。

作者はそれがつらくて、どうしていいか分からなくなり、忍ぶ恋の相手にやつ
あたりしているようにも見受けられます。




『 作者について 』

河原左大臣(822~895)

嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)のこと。
源の姓をたまわって臣籍にくだり、左大臣にのぼった。
鴨川のほとり東六条に豪奢(ごうしゃ)な邸宅「河原院(かわらのいん)」を営んだところから、「河原左大臣」と呼ばれる。
また宇治にも別荘を持ち、これはのちに平等院となった。



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