2012/11
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百人一首 21♪
いま こ   い          ながつき
今来むと 言いしばかりに 長月の
ありあけ つき ま  い
有明の月を 待ち出でつるかな (素性法師 そせいほうし)



『 読み方 』
イマコント イイシバカリニ ナガツキノ
アリアケノツキオ マチイデツルカナ

『 現代語訳 』
「あなたが『すぐに行こう』といってきたばかりに、私はこの9月の秋の夜長を待ち続け、有明の月が出てしまったことです。」

※今来む・・・「今」は「もうすぐ」。「む」は意志の助動詞。
※長月・・・陰暦9月。晩秋で、夜が長い。
※有明の月・・・夜ふけに出て、夜が明けてもまだ残っている月。陰暦20日すぎに出る。
※待ち出でつるかな・・・「待つ」は「私があなたを待つ」。「出で」は「月が出る」。「つる」は完了の助動詞。「かな」は詠嘆の終助詞。

男を待つ女の立場になって詠んだ歌。
前半は、
「今来む」と(あなたが私に手紙で)言ひしばかりに
と考えます。
男が手紙で来訪を予告するのなら、「今行かむ」というはずですが、女の立場から「今来む」という言い方になっています。
女から見れば、男は「来る」わけですからね。

後半は、
(私があなたを)待ち(そのうちに有明の月が)出でつるかな
と読むのがポイントです。

男の予告を信じて、女は秋の夜長を待ち続け、夜を明かしてしまったというわけですね。



『 作者について 』

素性法師(生没年未詳)

9世紀後半から10世紀初頭にかけての人。
僧正遍昭が出家する前の子。
俗名は良岑玄利(よしみねのはるとし)だといわれるが、確証はない。
父の命により出家し、権少僧都雲林院別当となった。
三十六歌仙の1人。
家集に『素性法師集』がある。

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ちょっと休憩3♪
のようにノ~ンビリと、進んでは休んでを繰り返す「百人一首」。
なんと、昨日で20句目まで到達しました~♪
10月28日からスタートして1ヶ月。
撮影日等を除いて20句マスターですので、良いペースだと思います。
(v´∀`)ハ(´∀`v)ヤッタネ☆

3MB程しかないクマコの頭のメモリーで、果たして100句まで辿り着けるのだろうか?@@
不安な気持ちは見て見ぬフリして、今日は1句~20句までの復習日とさせて頂きますので「百人一首」はお休みしま~す。

またまた、いつもの余談ですが・・・
数日前に瞬間的に体調を崩した(と言うと大袈裟?^^;)クマコですが、神(かめ?)の手に助けて頂きました♪
感謝の気持ちを込めて、今日はクマコからカ~メハ~メハッハッハッ♪♪

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百人一首 20♪
         いま  おな  なには
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
           あ      おも
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ (元良親王 もとよししんのう)



『 読み方 』
ワビヌレバ イマハタオナジ ナニワナル
ミオツクシテモ アワントゾオモー

『 現代語訳 』
「こんなに悩み苦しんでいるのだから、今となってはもう同じこと。難波にある澪標(みおつくし)ではないが身を滅ぼしあなたに逢おうと思います。」

※わびぬれば・・・「わぶ」は「悩み苦しむ」。「ぬれ」は完了の助動詞。
※はた・・・「また」と同じだが語勢が強い。
※難波なる・・・難波にある。「なる」は存在の助動詞。
※みをつくし・・・「身を尽くし」と「澪標」との掛詞。「身を尽くす」は「身を破滅させる」。
「澪標」は、「船の通り道を示すために立てられた杭(くい)」。難波の海は浅いので、船が浅瀬に乗り上げないように、水の深いところに立てられた。

元良親王の不倫の恋が発覚してしまった時の歌で、恋のお相手は宇多天皇の女御(にょうご)だった京極の御息所(きょうごくのみやすんどころ)。
※天皇のお后が大勢いるうち、1番上が「中宮(ちゅうぐう)」、2番目が「女御(にょうご)」、3番目が「更衣(こうい)」といいます。

この歌の骨組みは

わびぬれば 今はた同じ 身を尽くしても 逢はむとぞ思ふ

というところにあります。
「不倫の恋が発覚して、こんなに悩み苦しんだからには、今はもうどうなっても同じこと。身を破滅させてでも、あなたに逢いたいと思います」。

この骨組みに、「難波なる澪標」をプラスします。
一般にこの部分は、あとで「身を尽くし」という言葉を引き出す為にだけ使われた表現だ、と考える人が多いようです。そう割り切って考えると、この部分は無視していいということになりますね。

また、「難波なる澪標」には、作者の心が投影されている。
そう考える人もいます。
難波の海に立ち並ぶ、船の航路を示す為の澪標。
この情景は、「澪標を目印にあなたのところに行くしかない」という作者の決意をあらわすものなのだ、とか。
いやいや、これは逆に「澪標を頼りに行っても、自分の恋は目的地に辿り付けるかどうか分からない」という不安のあらわれなのだ、とか。
いろいろな考え方があるようです。



『 作者について 』

元良親王(890~943)

陽成天皇の第一皇子。
母は藤原遠長の娘。
色好みとして知られ、和歌をよくした。
後人の編集といわれる『元良親王集』には、多くの女性との贈答歌が見られる。
朗々とした美声であったと、吉田兼好の『徒然草』が伝えている。



百人一首 19♪
なにはがた     あし       ま
難波潟 みじかき芦の ふしの間も
あ      よ   す
逢はでこの世を 過ぐしてよとや (伊勢 いせ)


『 読み方 』
ナニワガタ ミジカキアシノ フシノマモ
アワデコノヨオ スグシテヨトヤ

『 現代語訳 』
「難波潟の芦の、あの節(ふし)と節との間のようなわずかな間でさえ、逢わないでこの世をすごせとあなたはおっしゃるのですか。」

※難波潟・・・現在の大阪湾の入り江。芦が多く自生していた。
※難波潟みじかき芦の・・・「ふしの間」を導き出す序詞。
※ふしの間・・・節と節との間。短いことのたとえにいう。
※逢はで・・・逢わないで。「で」は打消の接続助詞。「~ないで」などと訳す。
※過ぐしてよ・・・「てよ」は完了の助動詞「つ」の命令形。
※とや・・・「とや」のあとに、「言ふ」を補ってよむ。

つれない恋人を恨んだ歌。
「難波潟 みじかき芦の」が序詞なので、やはり、

ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

が、実質的内容となります。
「ほんの少しの間も、あなたに逢わないで、この世をすごせとあなたはおっしゃるのですか」

昔、大阪湾には芦がたくさん自生していました。
芦そのものは2,3メートルもあって短くないのですが、節と節の間はほんの少しです。
あなたに逢わないほんの少しの間を「難波潟 みじかき芦の」という序詞が、うまく映像化
しています。



『 作者について 』

伊勢 (875?~938?)

藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ)の娘。
宇多天皇の中宮温子(ちゅうぐうおんし)に仕え、温子の兄・仲平(なかひら)と恋仲になるが、その恋は破局をむかえる。
のち、宇多天皇に愛されて皇子を出産。
また、宇多天皇の皇子・敦慶(あつよし)親王にも愛されて中務(なかつかさ)を生む。
古今集時代の代表的女流歌人である。

百人一首 18♪
すみ え  きし    なみ
住の江の 岸による波 よるさへや
ゆめ かよ ぢ ひと
夢の通ひ路 人めよくらむ (藤原敏行朝臣 ふじわらのとしゆきあそん)



『 読み方 』
スミノエノ キシニヨルナミ ヨルサエヤ
ユメノカヨイジ ヒトメヨクラン

『 現代語訳 』
「住の江の岸に寄る波ではないが、夜までも、夢の通い路で、あなたはどうして人目を避けようとしているのだろうか。」

※住の江・・・住吉の浦。現在、大阪市住吉区にある住吉神社付近の海岸。
※住の江の岸による波・・・「よる」を導き出す序詞
※さへ・・・添加の副助詞。「~までも」などと訳す。
※や・・・疑問の係助詞。「~か」などと訳す。
※夢の通ひ路・・・夢の中で、男が女に会うために通う道。
※人めよくらむ・・・「人め」は人の目。「よく」は「避ける」。「らむ」は現在の原因・理由を推量する助動詞。「どうして~いるのだろう」などと訳す。

「住の江の岸による波」は「よる」を導き出す序詞です。
序詞は飾りですから、実質的には、まず

(昼だけでなく)夜さへや 夢の通ひ路 人めよくらむ

だけを読むことになります。

「昼だけでなく夜まで、夢の中で、どうしてあなたは人目を避けようとなさるのでしょう」と、女が男に対して恨み言をいった歌。
古代の人は、愛があれば、夢の中に相手があらわれると信じていました。
「夢の中で人目を避ける」というのは、「夢の中にあらわれてくれない」ということになります。
「夢の中にあらわれてくれないのは、愛がない証拠!」
そう作者は言いたいようですね。



『 作者について 』

藤原敏行朝臣(?~907)

没年は昌泰(しょうたい)4年/901年という説もある。
陸奥出羽按察使(むつでわあぜち)・藤原富士麿の子。
母は紀名虎(きのなとら)の娘。
清和・陽成・光孝・宇多天皇の四代に仕え、従四位上(じゅしいじょう)・右兵衛督(うひょうえのかみ)まで昇進。
三十六歌仙の1人。
和歌のほかに能書家としても知られた。

ニンニン 赤目四十八滝 2♪
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三重県名張市 赤目四十八滝

前日の雨が嘘のように、この日は好天に恵まれました。
自然からの素敵な贈り物に感謝しながら、夢中でシャッターを切った秋の終わり。
この日も途中で寄り道ばかりで、最終地点にある滝までは辿り着けませんでした。
いつか機会がありましたら、最終地点までチャレンジしてきたいと思います♪
(テント持参なるか?(*⌒∇⌒*))

ここで一句
「 秋の渓 からくれなゐに 水くくる 流るるときよ 暫しとどめむ 」
参考百人一首は、 「百人一首 17♪」です。
「からくれなゐ」とまではいきませんが、使ってみたい言葉でしたので早速に。v(^^)


※※※ ご注意下さい。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

前日の雨の影響で地盤が緩み、落石で怪我をされた方がいらっしゃいました。
渓谷内に救助ヘリコプターが駆けつけましたので、ご無事であることをお祈りします。
私自身、「緊張感を忘れずに自然と向き合わなければ」と改めて感じた事故でした。
皆様も、自然の中へお出掛けの際はくれぐれもご注意下さい。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ちょっと休憩2♪
あるお方の影響で、最近ユーミンにハマっています。
特に「アカシア」という歌が私には心地良く、ゆったりとした気持ちにさせて頂いております。
いつも、ありがとうございます!(^^)

今の季節とは全然異なる写真ですが、日頃の感謝の気持ちと、偶然撮影地でお会いした時に夢中
に撮影をご一緒させて頂いた貴重な時間が懐かしく思いましたので掲載しました。
また次の春にも、ご一緒したいですね♪(^^)

012_6191 トリミング シャープ+15
百人一首 17♪
        かみよ  き    たつたがは
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
           みず
からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣 ありわらのなりひらあそん)



『 読み方 』
チハヤブル カミヨモキカズ タツタガワ
カラクレナイニ ミズククルトワ

『 現代語訳 』
「不思議なことのあったという神の時代にも聞いたことがない。
竜田川が唐紅色(からくれないいろ)に水をくくり染めにするとは。」

※ちはやぶる・・・「神」にかかる枕詞。
※竜田川・・・奈良県の竜田山周辺を流れる川。紅葉の名所だった。
※からくれなゐ・・・あざやかな紅色。
※くくる・・・くくり染めにする

この歌、枕詞をはずして骨組みだけを取り出すと、こんな形になります。

竜田川からくれなゐに水くくるとは、神代も聞かず。

「からくれなゐ」の「から」は接頭語
「から錦(にしき)」とか「から藍(あい)」とか、「から紙」というように使います。
「から」は「韓」でした。
韓国の「韓」ですから、本来は「韓国(からのくに)から来た紅」という意味。
日本の染料ではとても出せない、目の覚めるような鮮紅色(せんこうしょく)をいいます。

「水くくる」が分かりにくいですが、これは水をくくり染めにすることです。
「くくり染め」は「しぼり染め」ともいい、布を糸でくくったり、布自体をくるりと結んで染料につけると、染めムラが出来ます。
それが「くくり染め」です。
全体が同じ色になるよりも、色調に変化があったほうが、模様として面白いと思いませんか?

川も同じです。
決して「からくれなゐ」の赤一色ではありません。
紅葉のかたまりが流れてくると、紅葉の赤いところと、水の青いところの2つに分かれます。
その様子を「くくり染め」の染め色にムラのある布に見立てたというわけですね。
そしてそんなものは、不思議なことがいっぱいあった神様の時代でも聞いたことがない、と。

この歌は屏風歌です。
屏風歌とは、屏風に描かれた絵に合わせて、その脇に和歌を付けたものです。

作者の在原業平は六歌仙の一人。
以前に登場した喜撰法師小野小町僧正遍昭も六歌仙でしたね。

また業平は「伝説の美男で風流才子」とされ恋多き人でした。
この歌を捧げた清和天皇のお后様は結婚する前、業平と恋愛関係にあったと言われています。



『 作者について 』

在原業平朝臣(825~888)

平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の五男。
母は桓武天皇の皇女・伊登(いと)内親王。
行平の異母弟。
従四位上(じゅうしいじょう)、右近権中将(うこんのごんのちゅうじょう)まで昇進。
在中将(ざいちゅうじょう)、在五中将(ざいごちゅうじょう)などと呼ばれた。
六歌仙の1人。
『伊勢物語』の主人公「昔男(むかしおとこ)」のモデルとしても有名。
百人一首 16♪
   わか       やま  みね お
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
      き       かへ こ
まつとし聞かば いま帰り来む (中納言行平 ちゅうなごんゆきひら / 在原行平 ありわらのゆきひら)



『 読み方 』
タチワカレ イナバノヤマノ ミネニオール
マツトシキカバ イマカエリコン

『 現代語訳 』
「あなた方と別れて因幡(いなば)の国に去ったとしても、その因幡の
山の峰に生えている松ではありませんが、あなた方が私を待っていて
下さると聞いたならば、私はすぐにでも帰ってこようと思います。」

※たち別れ・・・「たち」は強意の接頭語。訳す必要はない。
※いなばの山・・・因幡の国(鳥取県)の山。「往なば(=去ったならば)
との掛詞。
※まつ・・・「松」と「待つ」との掛詞。
※し・・・強意の副助詞。訳さなくてもよい。
※いま・・・すぐに。
※来む・・・「む」は意志の助詞。「~よう」などと訳す。

作者が因幡の国の国司(こくし)に任命された時、4~5年の任期の間し
ばらく都に帰ってこれない行平との別れを惜しむ人たちが送別の宴を
催してくれました。
その時のあいさつが、この歌だったということです。
※国司・・・地方長官

掛詞が2ヶ所使ってあります。
技巧的な歌なので、言葉の組み立てを整理しておきましょう。
まず骨組みです。

(私が)たち別れ往なば (あなたたちが)待つとし (私が)聞かば
(私は)いま帰り来む

「私があなたたちと別れて去っても、あなたたちが私を待っていて
くれると聞いたなら、私はすぐにでも帰って来ようと思います。」

これだけが言いたいことですが、これでは「歌」とはいえません。
食品でいえば、そうめんのようなもの。
薬味とつゆがなければ、美味しくありません。

そこで
因幡の山の 峰に生ふる松

という薬味を加えます。
これで、「私は因幡に行くのです。そこは、松の生えたうらさびしい
ところですよ。」という映像が人々に伝わります。
掛詞を使えばこその、高度テクニックが用られております。



『 作者について 』

中納言行平=在原行平(818~893)

平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の子。
在原業平の異母兄。
伝説では悲劇的な人物として知られているが、実際には政治的手腕に秀でた有能な官吏であった。
在原氏一門のために「奨学院(しょうがくいん)」という学問所を創設。
ニンニン 赤目四十八滝 1♪
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「三重県名張市 赤目四十八滝」
所々に苔蒸した岩があり、屋久島のようでした~。
雨霧が漂い、幻想的な紅葉の渓谷にウットリ♪
水面には色とりどりの木の葉が、蛍のように舞っていました♪♪

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「三重県名張市 赤目四十八滝」
グルーブ感とでも言いましょうか。
V字の切り込み目指し、リズム感ある力強い水の流れがカッコ良かったです~♪


♪ 余談コーナー ♪

急に思い立ち、先週末に三重県「赤目四十八滝」へ行って参りました。
こちら忍者修行の里「赤目四十八滝」は、伊賀市の少し下に位置します。
伊賀といえば・・・
忍者ハットリくんで有名ですね~♪
ニンニン♪♪(^^)

この日は終日雨でしたが、紅葉狩りを楽しむ恋人同士、小さなお子さん連れのご家族、ご老人、
バスツアーと、幅広い年齢層の方々で賑わっておりました。
平坦な道が多い渓谷沿いを歩くコースになりまして、渓谷内には「おでん・トン汁・カップヌードル」等々が食べら
れる茶屋が2ヶ所、トイレが2ヶ所、緊急連絡用のインターホンが5ヶ所設置されています。

撮影中
鳥の鳴き声が聞こえてきたりすると
「今、大自然の中にいるんだなぁ~。」と、喜びを噛み締めるものですが・・・

こちら「赤目四十八滝」は、一味も二味も違います。
ほえぇぇ((ノ)゚ω(ヾ))

撮影中
「パトロールのOOさん、OOさん、至急案内所までお越し下さい。」とか
「パトロールのOOさん、△□さん、雨降滝で怪我人発生。至急向って下さい。」とか
「携帯電話を落とされたお客様。案内所でお預かりしております。」とか
盛んに場内(?)アナウンスが流れます。

よく見ると・・・
渓谷内にはアチコチに電線が張り巡らされ、スピーカーも多数設置されていました。
アナウンスが流れる渓谷、赤目四十八滝。

「渓谷版 テーマパークや~!@@」 (彦麻呂さん風)
これが言いたかったの。v(^^)v
ちょっと休憩1♪
撮影に出掛けている時以外は、毎日更新すると宣言した「百人一首」。
なんとか1句から10句まではマスター出来たのですが・・・
お馬鹿なクマコですので、10の位以降は混線してきました~。(。・´д`・。)エェ~
今日は「百人一首」をお休みさせて頂き、11句から15句までを復習したいと思います。
「百人一首」を楽しみにして下さっているTさん、ごめんなさい。
(人´∩`)スイマセン

ガラリと話は変わりますが・・・
先程に某サイトでOりんさんのお写真を拝見し、日光・小田代ヶ原を懐かしんでおりました。
昨年は相次ぐ台風の影響で、過去最大の「小田代湖」が出現した小田代ヶ原。
その美しさに心を奪われ、昨年10月~11月に足繁く通いました。
今年は秋に行きそびれてしまい、夏に1度行ったきりです。
クマコ日記を始める前の撮影でしたので埋もれておりましたが、掲載しちゃいま~す♪
きOんさん、ありがとうございます♪
ありがとぅございますっっヽ(●´∀`)人(´∀`●)ノ

ここで一句
「 小田代に 通ひし秋を 懐かしむ 」

明日から、引き続き「百人一首」頑張りまーす!
(●o≧д≦)o頑張れェェェ アタシ♪

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栃木県 奥日光 小田代ヶ原(おだしろがはら)
百人一首 15♪
きみ     はる の  い    わかな
君がため 春の野に出でて 若菜つむ
   ころもで ゆき ふ
わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇 こうこうてんのう)



『 読み方 』
キミガタメ ハルノノニイデテ ワカナツム
ワガコロモデニ ユキワフリツツ

『 現代語訳 』
「あなたのために、早春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に、雪がしきりに降りかかっているのですよ。」

※君がため・・・あなたのために。名詞の間にはさまれた「が」は、「の」と訳すことが多い。
※若菜つむ・・・早春に芽を出す食用の若草の総称。これを摘んで食べると邪気を払うものとされた。
※衣手・・・袖。
※つつ・・・反復や継続をあらわす接続助詞。

天皇がまだ親王(しんのう)であった頃の歌。
平明な内容に、やわらかな調べ。
そこに、おだやかだったといわれる天皇の人柄が伺えるようです。

「春の七草」
せり・なずな・ごきょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ

「七草がゆ」は今日でも食べますが、この風習の原型は古くからありました。
荒涼(こうりょう)たる冬の野原。そこに萌え出す若草は生命の象徴で、これを摘んで食べることによって、若草のエネルギーを体内に注ぎ込み、無病息災(むびょうそくさい)、いつまでも長生きできると考えられていたのでした。

新鮮な若菜の緑に、雪の白のコントラストが見事な歌です。




『 作者について 』

光孝天皇(830~887)

第58代天皇。
仁明(にんみょう)天皇の第三皇子で、名は時康(ときやす)。
温厚で聡明、学問にもすぐれが。
陽成天皇の廃位後、藤原基経に推されて即位。
そのため、以後一切の政治は基経を経て奏上されることになる。
これが実質的な関白のはじめとなった。



♪ 余談コーナー ♪

今年の秋撮影は、スロースタートでしたので気づくと秋は終盤を迎えておりまして・・・
「秋田県」と、今回行った「三重県」で今年の秋撮影は終わりそうな気配です。

今回の撮影地、三重県「赤目四十八滝」は予想していた以上に撮影が難しい場所でした。
自分の力不足をしみじみと感じた、切ない秋の終わりです~。(TT)

でもでも、2つも嬉しいことがありました♪
1つ目は、帰りに東名高速「日本平PA(上り)」で、静岡おでんを食べて来れたことです~♪
こちらのPAの「静岡おでん」は以前食べた時からファンになり、今回の写旅の楽しみの1つでした。(^^)

それから、もう1つ嬉しかったこと♪
(東名高速の上りを走行中、由比近辺で右手に駿河湾が見える場所があります。)
今朝、車を走らせていると・・・
漁港付近には20隻はあろうかと思われる漁船の群れが、まるで木の葉のように波に揺られ
駿河湾越しに浮かぶ伊豆の山々には、雲間から零れたオレンジ色の光芒が降り注ぎ・・・
☆:*・゚(●´∀`●)ホェ:*・゚
右側を何度もチラ見しながら、泣く泣くスルーしてきました。
。・゚・(*ノД`*)・゚・。

浮かれたり沈んだりと忙しい今日この頃ですが、引き続きPhoto-ZEROの来年6月開催の写真展に向けて、「水のある風景」を頑張りたいと思います。(^^)
百人一首 11~20♪
「百人一首 11♪」    
    はら やそしま      こ  い
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
ひと  つ     あま つりぶね
人には告げよ 海人の釣舟  (参議篁 さんぎたかむら / 小野篁 おののたかむら)

「百人一首 12♪」

あま かぜ くも かよ ぢ ふ  と
天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
    すがた
をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭 そうじょうへんじょう)

「百人一首 13♪」
つくばね  みね  お        がは

筑波嶺の 峰より落つる みなの川
こひ       ふち
恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院 ようぜいいん)

「百人一首 14♪」
みちのく            たれ

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだ
乱れそめにし われならなくに (河原左大臣 かわらのさだいじん)

「百人一首 15♪」
きみ     はる の   い   わかな

君がため 春の野に 出でて若菜つむ
   ころもで ゆき ふ
わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇 こうこうてんのう)

「百人一首 16♪」
   わか       やま  みね お

たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
      き       かへ こ
まつとし聞かば いま帰り来む (中納言行平 ちゅうなごんゆきひら / 在原行平 ありわらのゆきひら)

「百人一首 17♪」
        かみよ  き    たつたがは
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
           みず
からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣 ありわらのなりひらあそん)

「百人一首 18♪」
すみ え  きし    なみ
住の江の 岸による波 よるさへや
ゆめ かよ ぢ ひと
夢の通ひ路 人めよくらむ (藤原敏行朝臣 ふじわらのとしゆきあそん)

「百人一首 19♪」
なにはがた     あし       ま
難波潟 みじかき芦の ふしの間も
あ      よ   す
逢はでこの世を 過ぐしてよとや (伊勢 いせ)

「百人一首 20♪」
         いま  おな  なには
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
           あ      おも
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ (元良親王 もとよししんのう)



百人一首 14♪
みちのく            たれ
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
みだ
乱れそめにし われならなくに (河原左大臣 かわらのさだいじん)



『 読み方 』
ミチノクノ シノブモジズリ タレユエニ
ミダレソメニシ ワレナラナクニ

『 現代語訳 』
「陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れているが、だれのせいで乱れてしまったのか。私のせいではないのに。みんなあなたのせいなのに。」

※陸奥・・・「みちのおく(=道の果て)」がつまってできた語。東北地方の東半分にあたる。
しのぶもぢずり・・・草の汁をすりつけて染めた、乱れ模様の布。「しのぶ」というのは、染料になる草が忍草(しのぶぐさ)だからという説、また、産地が福島県信夫郡(ふくしまけん しのぶぐん)だからという説もある。
※陸奥のしのぶもぢずり・・・「乱れ」にかかる序詞(じょことば)。「誰ゆゑに」をとびこえて、比喩的に「乱れ」を導き出している。
※ならなくに(なら-な-く-に)・・・~ではないのに。
断定の助動詞「なり」の未然形+打消の助動詞「ず」の古い未然形「な」+体言化する接尾語「く」+助詞「に」

この歌は、複雑な歌です。
文脈としては、「陸奥のしのぶもぢずり」というのを暫く除外して

われならなくに 誰ゆゑに 乱れそめにし

と読んでみましょう。
「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、こんなに私の心が乱れ
始めてしまったのか(それはあなたのせいなのだ!)」。

次に、「乱れ」の部分に、「陸奥のもぢずり」というアクセサリーを
のっけてみましょう。

われならなくに 誰ゆゑに (か)(陸奥のしのぶもぢずり)乱れそめにし

「私のせいではないのに、いったい誰のせいで、(「陸奥のしのぶもぢずり」
の乱れ模様のように)私の心は乱れ始めてしまったのか(それはあなたの
せいなのだ!)」。

こうして順序をバラバラにしてみると、言っていることは案外単純のようです。

あとは状況です。
この歌の「しのぶ」には、「忍ぶ恋」を感じさせるものがあります。
好きになってはいけない人を好きになる。
それが「忍ぶ恋」。

作者はそれがつらくて、どうしていいか分からなくなり、忍ぶ恋の相手にやつ
あたりしているようにも見受けられます。




『 作者について 』

河原左大臣(822~895)

嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)のこと。
源の姓をたまわって臣籍にくだり、左大臣にのぼった。
鴨川のほとり東六条に豪奢(ごうしゃ)な邸宅「河原院(かわらのいん)」を営んだところから、「河原左大臣」と呼ばれる。
また宇治にも別荘を持ち、これはのちに平等院となった。



百人一首 13♪
つくばね  みね  お        がは
筑波嶺の 峰より落つる みなの川
こひ       ふち
恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院 ようぜいいん)



『 読み方 』
ツクバネノ ミネヨリオツル ミナノガワ
コイゾツモリテ フチトナリヌル

『 現代語訳 』
「筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が、つもりつもって深い淵となるように、私のあなたへの思いも、つもりつもって淵のように深いものになってしまったよ。」

※筑波嶺の峰・・・常陸(ひたち)の国・茨城県にある筑波山。「嶺」も「峰」も「頂上」という意味。一句目の「仮庵の庵」と同じで重ね詞(ことば)である。
※みなの川・・・筑波山を源として、その麓を流れ、霞ヶ浦にそそぐ川。
※恋ぞつもりて・・・恋しい思いがつもりつもって。
※淵となりぬる・・・「淵」は水が深くよどんでいるところ。「ぬる」は完了の助動詞で、「~てしまった」などと訳す。

この歌は、作者の陽成院が綏子内親王(すいしないしんのう)という恋人に捧げたもの。
綏子はのちに陽成院のお后さまになりました。

筑波山の頂上。そのてっぺんから流れ落ちるみなの川・・・。
ここまで読むと自然のスケッチのようですが、「恋ぞつもりて」ということばで、じつはそれが作者の恋心の比喩であるということが分かります。

さりげなく流れ出したみなの川が、やがて深い淵になるように、自分の恋心もこんなに深いものになってしまった、と。



『 作者について 』

陽成院(868~949年)

清和天皇の皇子で、母は藤原高子。
8歳で即位したが、乱行が絶えないことから、伯父の関白・藤原基経によって廃されてという。
その後の65年を上皇としてすごし、82歳で崩御。
勅撰集入集は、この1首のみ。


スノーモンキーフォトコンテスト Vol.3♪
春恋し

『 春 恋 し 』  優 秀 賞 受 賞

選者  今井 寿雄 、萩原 敏夫 、庄司 桂子
主催  山ノ内町立志賀高原ロマン美術館

写真展 山之内町立志賀高原ロマン美術館にて開催
      「スノーモンキー写真展 Vol.5」
      開催期間 2012.12.16~2013.4.14


11月14日、『スノーモンキーフォトコンテスト Vol.3』の入賞通知が届きました~♪

お陰様で幸いにも3回連続で入賞することができました。
と同時に、3回連続というプレッシャーからようやく解放され、今ホッと胸を撫で下ろしております。
いつも元気を分けて頂いたり、お世話になっている皆様に嬉しい報告をすることが出来て幸せな気持ちで一杯です。

お一人お一人に感謝の気持ちをお伝えしたいところなのですが・・・
お世話になっている方が沢山いらっしゃるのでブログが虎の巻になってしまいそうでして、まとめてのお礼となりまして申し訳ございません。
皆様、いつも、本当にありがとうございます(*^▽^*)

来年はもう1つ上の賞にチャレンジ出来るよう、これまで同様、風景撮影と平行してお猿さん撮影も頑張りたいと思います。
百人一首 12♪
あま かぜ くも かよ ぢ ふ  と
天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
    すがた
をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭 そうじょうへんじょう)



『 読み方 』
アマツカゼ クモノカヨイジ フキトジヨ
オトメノスガタ シバシトドメン

『 現代語訳 』
「空を吹く風よ、雲の中の通路を吹き閉ざしてくれ。
舞い終わって帰っていく天女(てんにょ)たちの姿を、もうしばらくここにとどめておきたいと思うのだ。」

※天つ風・・・空を吹く風。
※雲の通ひ路・・・雲の中の通路。天女が天と地を往来する時に、そこを通ると考えている。
※をとめの姿・・・五節(ごせち)の舞姫(まいひめ)を天女に見立てた表現。
※む・・・意志の助動詞。「~よう・~たい」などと訳す。

「五節(ごせち)の舞」というのが、毎年宮中で行われていました。
陰暦(いんれき)11月。その年の収穫を祝う「豊明節会(とよあかりのせちえ)」で、貴族の娘の中から未婚の美しい子が4人選ばれて(新天皇が即位した時は5人です)、天皇の前で舞を披露します。
その4人が、「五節の舞姫」。
その舞の起こりは、天武天皇(てんむてんのう)が吉野に行ったとき、天女がおりてきて舞をまったことにあるとされています。

この歌は僧正遍昭がまだ出家する前の、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といっていた若き頃、この舞を見て興奮して詠んだ歌と言われています。
西洋ならば、「ブラボー」と言って、カーテンコールをするところです。

宗貞は「天つ風」に命じます。
風よ!どうかこの天女を帰らせないでおくれ。

六歌仙および三十六歌仙の1人。
六歌仙と言えば・・・この間登場した喜撰法師小野小町もそうでしたね。



『 作者について 』

僧正遍昭(816~890)

桓武天皇の孫で、俗名を良岑宗貞といった。
仁明(にんみょう)天皇に寵愛され、蔵人頭に昇ったが、天皇の崩御にあい出家。
在俗中は宮廷でもてはやされた美男だったが、出家後は比叡山で修行をきわめ、のちに僧正となった。
六歌仙の1人。
百人一首 11♪
    はら やそしま      こ  い
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
ひと  つ     あま つりぶね
人には告げよ 海人の釣舟  (参議篁 さんぎたかむら / 小野篁 おののたかむら)



『 読み方 』
ワタノハラ ヤソシマカケテ コギイデヌト
ヒトニワツゲヨ アマノツリブネ

『 現代語訳 』
     おき            おおうなばら
「(遠い隠岐に流される私は)大海原に点在する多くの島々をめざして
こぎ出して行ったと、都にいる人に告げておくれ。漁師の釣舟よ。」

※わたの原・・・大海原。「わた」は海の古語。
※八十島・・・多くの島々。「八十」は「数多くの」という意味。
※かけて・・・めざして
※漕ぎ出でぬ・・・「ぬ」は完了の助動詞で、「~た・~てしまった」などと訳す。
※人・・・家族・友人など、作者を知る都の人をさす。
※海人・・・漁師。

小野篁は、遣唐副使として唐の国におもむくことになりました。
ところが出発にあたり、遣唐大使・藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)の船に故障が見つかります。
大使の常嗣は、篁の船と交換することを朝廷に願い出ました。
それが許可されたとき篁は朝廷に抗議しましたが、聞き入られませんでした。
怒った篁は仮病を使い乗船を拒否。
その勢いで遣唐使を風刺する漢詩まで作ってしまった彼は、嵯峨上皇の怒りを買い、隠岐に流されることになります。
死刑が廃止されていた当時、島流しは極刑でした。
その時に詠んだ歌になります。

隠岐に向かうルートは、大阪湾から瀬戸内海を経て、日本海に向かいます。
季節は冬でした。
流罪なので、見送ってくれる人もいません。
行く手の海原には、瀬戸内の島々が点々と映るばかりです。
そして、猟師の釣舟・・・。
失意の篁は、たったひとりで、その釣舟に語りかけます。
「のう、釣舟。篁はあれをめざして去ったと、そちから告げよ。都の者どもにな。」と。

ちなみに、篁は飛鳥時代の遣隋使である小野妹子(おののいもこ)の子孫にあたります。
中学生の頃、「妹子なのに、男の人なんだ~。」と驚いたことがありましたっけ。(^^)



『 作者について 』

参議篁=小野篁(802~852年)

平安初期の学者・漢詩人・歌人。
当代屈指の漢詩人、小野岑守(おののみねもり)の長男。
隠岐から召還されてのちは、蔵人頭(くろうどのとう)・参議(さんぎ)・従三位(じゅさんみ)にのぼった。
直情径行の人物で、逸話が多い。
小野道風は篁の甥、小野小町もその一族だったと考えられる。

百人一首 1~10♪
「百人一首 1♪」
あき た  かりほ いほ  とま あら
秋の田の 仮庵の庵の 苫を荒み 
  ころもで  つゆ
わが衣手は 露にぬれつつ   (天智天皇 てんじてんのう)

「百人一首 2♪」
はるす   なつき      しろたへ
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 
ころも     あま かぐやま
衣ほすてふ 天の香具山 (持統天皇 じとうてんのう)

「百人一首 3♪」        
        やまどり を       を
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 
       よ          ね
ながながし夜を ひとりかも寝む (柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ)

「百人一首 4♪」
たご  うら     い   み     しろたへ
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 
ふじ  たかね  ゆき ふ
富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人 やまべのあかひと)

「百人一首 5♪」
おくやま もみぢ ふ     な しか
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
こゑ とき  あき かな
声きく時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫 さるまるだゆう)

「百人一首 6♪」
かささぎ わた はし   しも
鵲の 渡せる橋に おく霜の
しろ  み     よ
白きを見れば 夜ぞふけにける (中納言家持 ちゅうなごんやかもち)

「百人一首 7♪」
あま はら     み     かすが
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
みかさ やま  い   つき
三笠の山に 出でし月かも (安部仲麿 あべのなかまろ)

「百人一首 8♪」   
   いほ みやこ
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
よ   やま  ひと
世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師 きせんほうし)

「百人一首 9♪」
はな いろ
花の色は うつりにけりな いたづらに
   み よ
わが身世にふる ながめせしまに (小野小町 おののこまち)

「百人一首 10♪」       
         い  かへ   わか
これやこの 行くも帰るも 別れては
し   し      あふさか せき
知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸 せみまる)
百人一首 10♪
         い  かへ   わか
これやこの 行くも帰るも 別れては
し   し      あふさか せき
知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸 せみまる)



『 読み方 』
コレヤコノ イクモカエルモ ワカレテワ
シルモシラヌモ オーサカノセキ

『 現代語訳 』
「これがまあ、都を出て行く人も、帰って来る人も、知っているひとも、知らない人も、ここで別れてはまた逢うという、あの有名な逢坂の関なのであるよ。」

※これやこの・・・「これがまあ、あの有名な~であるよ」。最後の「逢坂の関」にかかる。
※行くも帰るも・・・都から出て行く人も、都に帰る人も。
※知る人も知らぬ人も・・・知っている人も知らない人も。
※逢坂の関・・・近江国(おうみのくに / 滋賀県)と山城国(やましろのくに / 京都府)の境にある関所。京都から東国への出口にあたるので重要視されていた。「逢ふ」との掛詞として用いられることが多い。

バスガイドのお姉さんが、「これがかの有名なスカイツリーでございます!」などといいます。
「これやこの」はそういうニュアンスの言葉なんですね~。

蝉丸は逢坂の関のほとりに住んでいました。
その日常に、ふと、蝉丸は人の世のはかなさを感じてこの歌を詠んだのでしょう。
会者定離(えしゃじょうり)。
会うは別れのはじめで、出会った者は、いつか必ず別れなければならない。
近江と山城の国境にあった逢坂の関では、そういう出会いと別れが日常的にくり広げられていました。

※生者必滅(しょうじゃひつめつ) 会者定離(えしゃじょうり)
仏教の思想で
「生ある者はいつか必ず滅びなければならず、会った者は必ず別れねばならない。
この世には永遠に変わらないものなどなく、形あるものは壊れ、命あるものは必ず滅びる」という「無常観(むじょうかん)」の考え方。

蝉丸は、滋賀県にある蝉丸神社で主神としてまつられています。



『 作者について 』

蝉丸(生没年未詳)

9世紀後半から10世紀頃の人物と思われるが、経歴は不明。
『後撰和歌集』の詞書によると、逢坂の関のほとりに住んでいた隠者だという。
醍醐天皇の第四皇子であったとか、目が不自由な琵琶法師で源博雅に琴の秘曲を伝えたなど様々な伝説がある。



♪ クマコのちょっと一息コーナー ♪

ようやく、百人一首の10句目に到達しました~♪
1日1句ずつの勉強ですので、なんとか10句マスター出来ましたよん♪♪v(^^)
あと90句、頑張りま~す♪♪♪

それはそうと、今回・10句目もまたまたふか~~い歌ですね~。@@
「無常観」、勉強すればするほどアチコチに派生して、お馬鹿なクマコはギブアップです~。

この歌を勉強していて、先日にお通夜の席でお坊さんからお聞きしたお話と俳句を思い出しました。
「 散る桜 残る桜も 散る桜 」 (良寛 りょうかん

2つの歌と「無常観」を、プラス思考・クマコはこう解釈しました。(スルーして下さいネ。)
1つ1つの出会いを大切に。
別れゆく人への「感謝」の気持ちを忘れずに。
そして、自分自身の「今」を大切に。
虹色天の川 一ノ滝♪
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012_9876 シャープ+14-3-2 11.11再レタッチ


秋田県北秋田市森吉阿仁 立又渓谷 一ノ滝 (いちのたき)

今回は森吉地区の渓谷をメインに撮影する予定でしたので、森吉地区の宿に3連泊お世話になりました。
3日目はお天気にも恵まれそうでしたので、2日目の桃洞渓谷の紅葉状態を省みて苦渋の決断に迫られ、
宿から1時間半かけて阿仁地区にある立又渓谷へ。
行ったり来たりと忙しかったです~。@@

その甲斐あり、秋田撮影3日目にして、ようやくお日様と紅葉を拝めました~♪
立又渓谷には「一ノ滝」「二ノ滝」「幸兵衛滝」と3つの滝があります。
「幸兵衛滝」が1番有名ですが、色々な切り取り方が出来る「一ノ滝」がクマコは面白かったです~。

えっと~、虹の写真は・・・
Photo-ZEROのメンバー、ひなちゃんの真似っ子です。
ひなちゃんがクマコ日記をご覧になっていないことを祈りながら、コッソリと掲載。
ひなちゃんみたいにギラリンアートな感じにならず、苦戦しました~。
彡(-ω-;)彡ヒューヒュー

虹色の天の川を挟み、彦星(黄色い紅葉)と織姫(赤い?葉っぱ)織姫の年に1度の逢瀬。
ロマンチックな水景にウットリ♪
゚+.゚(´▽`人)゚+.゚ィィ!! 


♪ 嬉しいご報告 ♪

11月 8日、『 よみうり風景写真コンテスト 2012 』 の入選暫定通知が届きました~♪
憧れのコンテストでしたので、喜びを隠せません。
ヤッタ━━━ヾ(*≧∀≦*)ノ━━━!!!

初めての入選が、Photo-ZEROのひなちゃんと同時入選で嬉しさ2倍です♪♪
ひなちゃん、おめでとうございま~す♪♪
ヽ(*´∀`)ノオメデト─ッ♪

作品につきましては、後日に入選が確定してから発表させて頂きたいと思います。
まさに五里霧中 太平湖♪
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秋田県北秋田市森吉 太平湖(たいへいこ)近辺

太平湖の真上には霧が立ち込めやすく、山々に朝日が差し込む射光撮影にチャレンジしてきました♪
結果はご覧の通りです。
秋田の霧はサービス精神旺盛のようでして、車での移動が困難な程にタ~ップリの霧に恵まれたのですが・・・
お日様が出ませんでした~。。・゚・(*ノД`*)・゚・。
それなので急遽被写体を変更して、霧のブナ林へ行ってきました♪


♪ 余談コーナー ♪

太平湖の向岸にある小又峡へは2通りの行き方があります。
1つ目は、この太平湖から小又峡まで遊覧船を利用するコース。
2つ目は、森吉山野生鳥獣センターから三階滝までの片道4時間半コース。
2つ目の難関コースは上級登山コースで、ガイドなしでは遭難する恐れもあるのでおススメ出来ません。

クマコは、桃洞渓谷でお会いしたカメラマンさんに教えて頂き1つ目のコース(遊覧船利用)を知りました。
カメラマンさん : 「小又峡へは遊覧船を利用した方がいいよ。」
クマコ      : 「そうなんですか~。明日、行ってみようっと♪」
カメラマンさん : 「確か、今日までだったかな。」
クマコ      : 「・・・・・・」

射光撮影と一緒に、小又峡もリベンジするぞぉ~!
鮎もダブルで食べるよ~ん♪
(●o≧д≦)o頑張れェェェ クマコ♪
鱗模様の流れ楽しき 桃洞渓谷♪
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秋田県北秋田市森吉 桃洞渓谷 (とうどうけいこく)

標高の関係だと思いますが、初日に訪れた「安の滝」以上に超晩秋感溢れる桃洞渓谷。
しっとりとした秋というよりも、渋み・わび・さびの世界が広がっていました。

あっ、でも、いいこともありました。
桃洞渓谷でお会いしたカメラマンさんにご親切にして頂きました。
「今日のお昼は?」と尋ねられ、「数日前に買ったパンがリュックに入っています。」と答えると
お昼のおにぎりを分けて下さいました~。

カメラマンさん、おにぎりご馳走様でしたー!
鮭と梅が入っていて、美味しかったです~。
やっぱり日本人はお米を食べると元気が出ますね~♪(*⌒∇⌒*)

森吉は携帯電話ドコモも圏外になる程に山深いところにあります。
国道105号からの曲がり角にあるコンビニ(サンクス)以降、お店は皆無でしたので飲み物・食べ物の
調達はお早めに。(^^)
※ちなみに、サンクスから桃洞渓谷までの距離は20kmちょっと。車で30分位です。
百人一首 9♪
はな いろ
花の色は うつりにけりな いたづらに
   み よ
わが身世にふる ながめせしまに (小野小町 おののこまち)


『 読み方 』
ハナノイロワ ウツリニケリナ イタズラニ
ワガミヨニフル ナガメセシマニ

『 現代語訳 』
「桜の花の色は、すっかり色あせてしまったなあ。
むなしく長雨が降っていた間に。
そして私がこの世のこと―男女のこと―など、むなしく物思いをしていた間に。」

※花・・・桜の花。
※うつりにけりな・・・「うつる」は色あせる。「けり」も「な」も詠嘆(えいたん)。
※いたづらに・・・むなしく。
※世・・・世間。男女の仲、という意味も含ませている。
※ふる・・・「経(ふ)る:年月をすごす」と「降(ふ)る」との掛詞。
※ながめ・・・「眺め:物思いにふけること」と「長雨(ながめ)」との掛詞。

幻の歌人・小野小町が花のうつろいに託して、自分の容色の衰えを嘆いた歌だと考えられています。
この歌のキーワードは「いたづらに(むなしく)」です。
一見したところ、この「いたづらに」は、下の「わが身世にふる」にだけ掛かっているように見えますが、実際にはそんな単純な構成ではありません。
簡単にいうと、3箇所(下線部)にかかっていきます。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

いたづらに うつりにけりな
花が色あせてしまった、むなしいわ・・・というのは、自分の容色の衰えに対する嘆きでもありました。
これが1つ目のむなしさです。

②わが身 いたづらに 世にふる
私はむなしく恋をして生きてきた。
これが2つ目のむなしさ。

いたづらに ながめせしまに
今までのもの思いは、みんなみんなむなしいものだった。
これが3つ目のむなしさです。

「むなしいわ・・・」という小町の嘆きが、歌の中で、何度も何度もリフレインされているわけですね。



『 作者について 』

小野小町 (生没年未詳)

六歌仙唯一の女流歌人。
9世紀中頃の人。
宮仕えをしていたらしいが、小野氏出身の女性というほかには何もわかっていない。
後世多くの小町伝説が作られた。
勅撰集に62首入集しているが、すべてが小町の歌とはいえないようである。

晩秋霧情 安の滝♪
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秋田県北秋田市阿仁 安の滝 (やすのたき)

時折霧が立ちこめ、幽玄な世界が広がっておりました。
過ぎ行く秋への余情、美しさと切なさを感じたひと時。

玉川温泉からのルートが通行止めでしたので1時間程のタイムロスがあり、お目当ての安の滝「第1展望台」
に到着したのは3時過ぎでした。
2枚目の写真を撮り終えた頃には4時を回り、少し上にある「第2展望台」まで行こうか迷いましたが・・・
小心者クマコですので、「クマさんに会ったらどうしよう。@@」と足早に駐車場へ帰ってきました。
次回は「第2展望台」へも行ってみたいと思います。

ここで一句
「 愛しくも 憂愁なる 蒼き時間(とき) 」
百人一首 8♪
   いほ みやこ
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
よ   やま ひと
世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師 きせんほうし)


『 読み方 』
ワガイオワ ミヤコノタツミ シカゾスム
ヨオウジヤマト ヒトハユーナリ

『 現代語訳 』
「私の庵(いおり)は都の東南にあって、このとおり心のどかに住んでいる。
それなのに、世間の人々はここを、世を憂(う)しとして住む宇治山(うじやま)だ、といっているそうだよ。」

※たつみ(辰巳・巽)・・・東南のこと。宇治は都の東南にあたる。
※しか・・・副詞。漢字で「然」と書く。ふつう「そのように」と訳すが、ここは「このように」と訳すほうがわかりやすい。「鹿」との掛詞(かけことば)だという説もある。
※うぢ山・・・「う」は「憂(し)」と「宇(治)」との掛詞。「宇治山」は宇治市の東部にあり、いま喜撰山(きせんやま)といっている。
※いふなり・・・「なり」は伝聞の助動詞。「~そうだ」と訳す。

明るい歌で、なんだか滑稽味もあります。
クマコが参考にしている本では、分かりやすい解釈が書いてありました。
上の『現代語訳』よりも、こちらの方がイメージし易い気がしますので抜粋します。
「おれはこの宇治山で明るく元気に暮らしているというのに、あんたたちは何かい?
宇治だから「憂鬱」だろうっていうのかい?
へん!なんとでもいいやがれってんだー!」
江戸っ子並みに、元気ですね。@@

歌舞伎に「喜撰」という踊りがあります。
お坊さん姿の喜撰法師が、年増のお梶(かじ)という女を相手にチャップリンのような様子で踊ります。
おそらくこの歌の明るさが、そういうとぼけた喜撰法師のイメージを作り上げたのでしょう。

親しみやすい喜撰法師ですが、六歌仙の1人というもう1つの顔も持ち合わせています。

この歌は、クマコが大好きなダジャレのオンパレード♪
「然(しか)」と「鹿(しか)」
「憂(う)し」と「宇治(うじ)」
「住む」と「澄む」
喜撰さん、サイコー!クマコをあせん。v(^^)

喜撰といえば「わが庵は」、「わが庵は」といえば宇治。
宇治は茶の産地。
だから、喜撰は茶の銘柄にもなりました。
上等の「喜撰」を「上喜撰」といったりします。

幕末にペリーによる浦賀への黒船来航のときの狂歌
「 泰平の 眠りを覚ます 蒸気船 たった四杯で 夜も寝られず 」
この「蒸気船」は「上喜撰」との掛詞になっています。

さすがの喜撰法師も、後世で自分の名前が掛詞として使われるとは
期せんことだったでしょう。v(^^)v



『 作者について 』

喜撰法師(生没年未詳)

六歌仙の1人。
9世紀ごろの人と思われるが、宇治山の僧であったということのほかに、くわしいことは何もわからない。
桓武天皇の後胤(こういん)、橘奈良麿(たちばなのならまろ)の子、あるいは紀名虎(きのなとら)の子などといわれるが、確証はない。
確実な歌も、この歌1首だけである。
百人一首 7♪
あま はら     み     かすが
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
みかさ やま  い   つき
三笠の山に 出でし月かも (安部仲麿 あべのなかまろ)



『 読み方 』
アマノハラ フリサケミレバ カスガナル
ミカサノヤマニ イデシツキカモ

『 現代語訳 』
「大空をはるかに仰ぎ見ると、月がかかっている。
この月は、春日にある三笠山にかつて出たあの月なのだなあ。」

※天の原・・・大空。「海原(うなばら)・野原」というように、「はら」は広い平面をいう語。
※ふりさけ見れば・・・はるかに仰ぎ見ること。
※春日なる三笠の山・・・「春日」は奈良の地名で、今の奈良公園のあたり。地名につく「なる」存在<ニアル>の意味。「三笠の山」は春日神社のある山。現在の三笠山(若草山)とは異なる。
※かも・・・詠嘆の終助詞。「~だなあ」などと訳す。

19歳の時に遣唐使として中国に渡った仲麿。
唐の6代目皇帝玄宗に気に入られ、日本に帰ることをなかなか許してもらえませんでした。
帰国を許されて開かれた送別会で日本を懐かしみ、この句を歌ったと言われています。
舟が難破してしまった為に帰国の機会を逃し、再び唐へ戻り唐で72歳の生涯を終えました。

住めば都と言いますが、やはり生まれ故郷である日本が恋しかったのでしょうね。



『 作者について 』

安倍仲麿(701~770)

遣唐留学生に選ばれ、養老元(717年)に入唐。
玄宗皇帝に仕え、詩人李白・王維らと親交、文名を高めた。
唐名(中国での名前)は朝衡(ちょうこう)。
天平勝宝5年(753年)帰国の途中に難破し、唐に戻った後、在唐54年、ついにかの地で没した。
正しくは、阿倍仲麻呂と書く。



晩秋の 中ノ又渓谷♪
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秋田県北秋田市阿仁 中ノ又渓谷

「もしかして、雪と紅葉のコラボが見れたりして?」
というイヤラシイ下心を抱きながら、11/3~11/6まで秋田へ行って来ました。
今年の紅葉は通常よりも1週間遅れてスタートしたものの、中盤からの急激な冷え込みの影響で例年通り
10月中旬~下旬に見頃を迎え、私が訪れた頃は錦秋・晩秋はとうに過ぎ、初冬の装いに満ちておりました。

秋田の神様はクマコの下心をちゃ~んとお見通しで、愛の手が差し伸べられることはなく・・・
心模様と同じ(?)初冬の水辺を彷徨ってきました。(*^^*)

安の滝駐車場から「安の滝」へは、中ノ又渓谷沿いを40分歩くルート。
あと1週間早ければ、秋真っ盛りで綺麗だったことでしょう。(TT)


ここで一句
「 秋過ぎて 冬来にけらし 中ノ又 」
持統天皇の真似っ子です♪
詳しくは「百人一首 2♪」をご参照下さい。(^^)


昨夜遅く(今日?)、拍手とコメントを下さった前田さんへ
嬉しいコメントをありがとうございました♪(^^)
「デジタル音痴のクマコがブログ?」と驚かせちゃいましたね。
私もビックリです。(^^;)
今週末、良い秋景に出合えるといいですネ♪(^^)



☆☆☆ 道路状況のお知らせ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
名称未設定 1のコピー
茶色の線・・・アスファルトの車道。
茶色の点線・・・舗装されていない車道(ジャリ道)。
オレンジの点線・・・登山道。

安の滝がある中ノ又渓谷へは、「玉川温泉からのルート」と「国道105号線から打当温泉マタギの湯を経由するルート」の2通りがあります。
クマコが行った時は「玉川温泉からのルート」は倒木により通行止めでした。
もう数kmの所で目の前に倒木が出現した時は切なかったです。(TT)
出掛ける前に、現地への道路状況確認は必要ですね。
百人一首 6♪
かささぎ わた はし   しも
の 渡せる橋に おく霜の

しろ  み     よ
白きを見れば 夜ぞふけにける (中納言家持 ちゅうなごんやかもち)



『 読み方 』
カササギノ ワタセルハシニ オクシモノ
シロキオミレバ ヨゾフケニケル

『 現代語訳 』
「鵲(かささぎ)が翼をつらねて天の川に渡したという橋、そこに真っ白な霜がおりているのを見ると、もう夜はすっかりふけてしまったのだなあ。」

※鵲・・・カラスの一種。外来の鳥で、身体は黒いが、腹と羽の一部は白い。日本のカラスよりやや小さく、尾は長いという。
※鵲の渡せる橋・・・七夕の夜、鵲が羽をつらねて橋を作り、織女(しょくじょ)を牽牛(けんぎゅう)のもとに渡すという伝説が中国にある。江戸時代の学者、賀茂真淵(かものまぶち)は、これを「宮中の階段」だと考え、以後それが定説となった。
※にける・・・完了の助動詞「ぬ」に、詠嘆(えいたん)の助動詞「けり」が接続したもの。「~てしまったなあ」などと訳す。

きりりと晴れ渡った冬空。
そこに、きらきらと天の川が流れています。
天の川には鵲が橋を渡していて、橋の上の霜がしらじらと光る。
まぼろしです。
光っているのは、本当は星くずなのでした。
ふと我に返ります。
「夜も深くなってしまったなあ」と。

この歌は「鵲の渡せる橋」がキーワードになり、この歌も2通りの解釈があります。

「鵲の渡せる橋」が天の川に掛かる伝説の橋と見るならば、この歌は天上の夜を詠んだとい歌とする「天上説」
「鵲の渡せる橋」を宮中の階段と見るならば、この歌は地上の夜を詠んだ歌とする「地上説」
江戸時代から近代までは「地上説」が通説でしたが、最近では「天上説」をとる人の方が多いようです。



『 作者について 』

中納言家持(718ごろ~785)

またの名を、大伴家持。
大伴旅人の子。
大伴氏の旅長として複雑な政局に身を処し、中納言にまでのぼったが、のちに政変に巻き込まれて家運が衰退。
政治的には不遇のうちに終わった。
『万葉集』に多くの歌をおさめ、その編纂にもかかわったとされる。



クマコから皆様へ

今日の夜から来週の中頃まで出掛けてしまうので、ブログは暫くの間お休みさせて頂きます。
少し思うところがありまして、最近昔の日本語を勉強し始めました。
そして、もう少し思うところがありまして、百人一首を暗記する為にもブログを活用しております。

写真を見に来て頂いた方には「百人一首や俳句ばかりで、写真がない!@@」とご迷惑をおかけして申し訳ございません。
「撮影日記」の方は今迄通りスローペースで1~2週間に1度、週末近くの掲載となりますのでご了承頂けましたら幸いです。
ペコm(_ _;m)ペコm(_ _;m)ペコm(_ _;m)

これも写真とは関係ないことなのですが、お馬鹿で忘れっぽいクマコですので、その時の自分の気持ちもクマコ日記に綴らせて下さい。

昨日、とっても嬉しいことが沢山ありました♪

毛糸の靴下をプレゼントしてくれた方へ
とっても可愛らしいプレゼントをありがとうございました。
早速、昨夜使わせて頂きました。
足元も心もホッコリと温まりました♪(^^)

素敵な言葉を届けてくれたRちゃんへ
いつもありがとう!
頑張っている世界は異なれど、共感持てる言葉の数々に励まされたヨ。
クマコはクマコ。
不器用だけど、クマコのままで頑張るね♪(^^)

尊敬するクック隊長とひなちゃんへ
いつも気にかけて下さいまして、ありがとうございます。
最近、ヘンテコなことを始めて、ご迷惑をお掛けしております。
不器用でお馬鹿なクマコですので、「あっ、またトンチンカンなことやってる。(笑)」
と、目を、いや両の目をつぶっていて下さい。(^^;)

会社のTさんへ
自由人クマコの突発的なお休みで、いつも大変ご迷惑をおかけしております。
出発する際に「いってらっしゃい♪」と笑顔で送って頂き、毎回心を軽くして旅立たせて
頂いております。
いつも、ありがとうございます!(^^)


ではでは、行ってきまーす!(^^)
百人一首 5♪
おくやま もみぢ ふ     な しか
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の

こゑ とき  あき かな
声きく時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫 さるまるだゆう)



『 読み方 』
オクヤマニ モミジフミワケ ナクシカノ
コエキクトキゾ アキワカナシキ

『 現代語訳 』
「奥山に散り敷いた紅葉を踏みわけ、妻を求めて鳴く鹿の声をきくとき、秋はひときは悲しいものと身にしみて感じられる。」

※奥山・・・人里離れた山の奥深いところ。
※紅葉踏みわけ・・・「人(作者)」を主語とする説と、「鹿」を主語とする説とがある。
※鹿・・・雄鹿(おじか)である。秋になると、雄鹿は雌鹿(めじか)を求めて鳴く。

「花々、草々が枯れ落ちたのち・・・。
秋は老いを感じさせる季節です。
老いはやがて死をもたらす。
だから悲しい。」
と、中国の昔の人たちは感じていました。
中国の人たちの影響を受けていた平安貴族も、同じように「秋は悲しい」と感じていたようです。

生産労働に従事する農民にとって、秋は収穫の時期で実り豊かな楽しい季節。
自然とたたかう必要のない、都会生活者である貴族ならではの感覚により詠まれた歌。



『 作者について 』

猿丸大夫(生没年未詳)

三十六歌仙の1人だが、くわしい伝記は不明。
じつは弓削(ゆげ)氏の道鏡といった俗説もあり、さまざまな伝説にいろどられた謎の歌人である。
猿をもって全国を行脚した下級宗教家で、1人ではないと説く学者もいる。

プロフィール

クマコ

Author:クマコ
Photo-ZEROに所属。
自然風景が大好きです♪

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