2012-10-31(Wed)
たご うら い み しろたへ
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
ふじ たかね ゆき ふ
富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人 やまべのあかひと)
『 読み方 』
タゴノウラニ ウチイデテミレバ シロタエノ
フジノタカネニ ユキワフリツツ
『 現代語訳 』
「田子の浦に出て眺めると、真っ白な富士の高嶺に、しきりに雪が降りつづけているよ。」
※田子の浦・・・駿河国(静岡県)にあった海岸。現在の田子の浦と同じ場所であったかどうかは疑問。現在地よりも西だと考える学説が多い。
※つつ・・・反復・継続をあらわす接続助詞。「何度も~する」「~しつづける」などと訳す。
富士は「不尽(ふじ)」です。
富士に降る雪は永遠に尽きることがない。
真っ白な雪が、冬に降って、春に降って、夏も消えません。
そして再び冬に戻ります。
永遠で巨大な雪のかたまり。
それが富士のイメージ。
「山柿(さんし)の門」という言葉がありますが、山柿はこの奈良時代を代表する歌人・山部赤人と柿本人麻呂をさすといわれています。
人麻呂の歌は、果てもない夜。
赤人の歌は、尽きることのない雪。
白と黒のはざまに、「永遠」というイメージが横たわっています。
この歌は「万葉集」にものっています。
「 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける 」
※降りける・・・「(ここに来てはじめて知ったが)雪が降っていたんだなあ」という、実景にもとづいた感動を表しています。
実景に基づく「万葉集」の歌と比べると、「降りつつ」を用いた「百人一首」はイメージ(幻想)の世界なのかもしれませんね。
『 作者について 』
山部赤人(生没年未詳)
奈良時代初期の下級官人。
後世、柿本人麻呂とともに「歌の聖」と仰がれたが、どんな人生を歩んだかはよくわかっていない。
人麻呂は叙情にすぐれ、赤人は叙景歌に新境地をひらいた。
『万葉集』に長歌13首、短歌37首を残す。
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
ふじ たかね ゆき ふ
富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人 やまべのあかひと)
『 読み方 』
タゴノウラニ ウチイデテミレバ シロタエノ
フジノタカネニ ユキワフリツツ
『 現代語訳 』
「田子の浦に出て眺めると、真っ白な富士の高嶺に、しきりに雪が降りつづけているよ。」
※田子の浦・・・駿河国(静岡県)にあった海岸。現在の田子の浦と同じ場所であったかどうかは疑問。現在地よりも西だと考える学説が多い。
※つつ・・・反復・継続をあらわす接続助詞。「何度も~する」「~しつづける」などと訳す。
富士は「不尽(ふじ)」です。
富士に降る雪は永遠に尽きることがない。
真っ白な雪が、冬に降って、春に降って、夏も消えません。
そして再び冬に戻ります。
永遠で巨大な雪のかたまり。
それが富士のイメージ。
「山柿(さんし)の門」という言葉がありますが、山柿はこの奈良時代を代表する歌人・山部赤人と柿本人麻呂をさすといわれています。
人麻呂の歌は、果てもない夜。
赤人の歌は、尽きることのない雪。
白と黒のはざまに、「永遠」というイメージが横たわっています。
この歌は「万葉集」にものっています。
「 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける 」
※降りける・・・「(ここに来てはじめて知ったが)雪が降っていたんだなあ」という、実景にもとづいた感動を表しています。
実景に基づく「万葉集」の歌と比べると、「降りつつ」を用いた「百人一首」はイメージ(幻想)の世界なのかもしれませんね。
『 作者について 』
山部赤人(生没年未詳)
奈良時代初期の下級官人。
後世、柿本人麻呂とともに「歌の聖」と仰がれたが、どんな人生を歩んだかはよくわかっていない。
人麻呂は叙情にすぐれ、赤人は叙景歌に新境地をひらいた。
『万葉集』に長歌13首、短歌37首を残す。
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